01/08の日記

02:25
【宮沢賢治】『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(4)

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りょうけん座 M106 渦巻銀河  

spiral galaxy M106, by NASA, ESA, the Hubble Heritage Team and R.Gendler. 









 こんばんは (º.-)☆ノ




 『銀河鉄道の夜』草稿の失われた“欠落部分”には、何が書いてあったのか?‥‥(⇒:『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(1) 『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(2) 『銀河鉄道の夜』――ブルカニロとは何者か?(3)

 今回は4回目です。













【1.8】 がらんとした冷たい宇宙





 さて、ブルカニロ博士は、“欠落部分”で、ジョバンニとどんな話をしたのでしょうか?…ここでも、“欠落部分”の直後の描写が参考になります:



「やっぱりその青い星を見つづけてゐました。

 ところがいくら見てゐても、そこは博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。」

『銀河鉄道の夜』〔第3次稿〕より。


 「青い星」は、ここでも「琴の星」ヴェガを指していると思われます。ヴェガは別名織女星ですから、天の川の岸辺にあります。

 ブルカニロ博士はジョバンニに、「そこ(天の川)は‥‥がらんとした冷いとこだと」受けとられるような話をしたことがわかります。その話をする機会は、“欠落部分”以外にはありません。

 ちなみに、上の引用で「そこは博士の云ったやうな」のところは、〔第4次稿〕では「そのそらはひる先生の云ったやうな」に直されています。つまり、私たちがふつうの『銀河鉄道の夜』テクストで最初に見る、あの「午後の授業」場面での先生の話に変えられてしまっているのです。

 そうすると、〔第3次稿〕のブルカニロ博士は、〔第4次稿〕でジョバンニたちの学校の先生がしたような、天の川は銀河系という星の集まりだ‥‥という話をしたことになります。もちろん、それだけでなくほかの話もしている可能性はあります。



 そこで、〔第4次稿〕から「先生」の話を引用してみますと:



「『このぼんやりと白い銀河を大きないゝ望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんさうでせう。』

 
〔…〕それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書〔斎〕から巨きな本をもってきて、ぎんがといふところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。〔…〕

 『ですからもしもこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮んでゐるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでゐるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちゃうど水が深いほど青く見えるやうに、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。』

 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。

 『天の川の形はちゃうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じやうにじぶんで光ってゐる星だと考へます。私どもの太陽がこのほゞ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まはすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いのでわづかの光る粒即ち星しか見えないのでせう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるといふこれがつまり今日の銀河の説なのです。
〔…〕』」
『銀河鉄道の夜』〔第4次稿〕

















 この「午後の授業」の場面は、〔第3次稿〕にはありません。〔第3次稿〕では、学校の先生のかわりに、ブルカニロ博士が「天気輪の丘」の上で、こういう話をジョバンニにしていた可能性は高いことになります。その話の中には、「今日の銀河の説」の説明もあったはずです。

 しかし、“欠落部分”は5枚もありますから、ブルカニロ博士の“セミナー”には、学校の先生が言わないような、もっといろいろな話が含まれていたでしょう。

 「午後の授業」で「先生」が説明しているのは、天の川とは星(恒星)の集まりであり、巨大な両面凸レンズのかたちをした銀河系を、その中心部から眺めた像なのだ‥という概説だけです。しかし、ブルカニロ博士の話はそれだけではなかったように思われるのです。



 ギトンは、『銀河鉄道の夜』をはじめて読んだ中学生くらいの時、



「ひる先生の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。」



 という「天気輪の柱」章の叙述に、なんとなく妙な異和感を覚えたことを記憶しています。「午後の授業」で「先生」がしたような通りいっぺんの説明では、そこが「がらんとした冷いとこだ」という印象は出てこないような気がしたからなのです。

 いま読んでみると、星と星との間の空間がどうなっているかについては、「それは真空といふ光をある速さで伝へるもので」としか説明されていません。これだけを言われても、そこから「がらんとした冷い」というイメージは出てこないのではないでしょうか?まして、ジョバンニのような中学生(小学生?)には、まったくイメージが湧かないでしょう。

 「先生」がしているような銀河系の概念的な説明から、「がらんとした冷いとこだ」という印象を感じるためには、そのあいだに何らかの“大人の論理操作”が必要なのではないでしょうか?

 科学的に考えてみても、“恒星の集まり”ならば、むしろ灼熱した火の玉が充満した熱い場所を想像しないでしょうか?‥‥現在の科学的宇宙論では、多くの銀河の中心部には、高エネルギー状態のクェーサーが存在すると考えられていますし、宇宙の中心部が高エネルギー状態のプラズマになっているような宇宙モデルも、科学雑誌ではよく見かけます。

 「がらんとした冷いとこだとは‥‥」という“欠落”直後のジョバンニの心理描写を考えると、

 “欠落部分”でのブルカニロ博士の話は、「午後の授業」のような通りいっぺんの話ではなくて、宇宙空間についての、もっとわかりやすい具象的な説明があったように思われるのです。






 ここでちょっと参考になるのは、詩集『春と修羅』の↓つぎの部分です:



「太陽がくらくらまはつてゐるにもかゝはらず
 おれは数しれぬほしのまたたきを見る
 ことにもしろいマヂエラン星雲

     
〔…〕

  (天のサラアブレツドだ 雲だ)

     
〔…〕


 いまは一むらの軽い湯気になり
 零下二千度の真空溶媒のなかに
 すつととられて消えてしまふ」

『春と修羅・第1集』「真空溶媒」より。



 「零下二千度」は科学的説明としては誤りですが(熱力学第3法則「絶対零度よりも低い温度はありえない」に反します)、とてつもなく低い温度というような意味にとることはできます。おそらく、“宇宙空間は絶対零度である”というような宇宙のイメージがあるのだと思います。第3法則は「絶対零度の到達不可能」という形でも表現されますから、賢治は、“絶対零度は無限に低い温度だ”と考えていたかもしれません。

 「がらんとした冷いとこ」とは、何もない真空の空間に、冷えきった岩石と氷の天体が浮いているイメージでしょう。「星」と言ても、当時はまだよくわかっていなかった恒星よりも、月や火星のような岩石天体から「星」のイメージをつくっていたのだと思います:



「私はこどものときから
 いろいろな雑誌や新聞で
 幾つもの月の写真を見た
 その表面はでこぼこの火口で覆はれ
 またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
 后そこが大へんつめたいこと
 空気のないことなども習った」

『雨ニモマケズ手帳』「月天子」より。






 宮沢賢治の抱いていた銀河系のイメージは、現在の私たちのイメージと基本的に変らないと思います。ただ、↑上の「午後の授業」の引用には、



「私どもの太陽がこのほゞ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。」



 とあって、太陽系は銀河系(天の川銀河)の中心部にあるように書いています。これは賢治が読んでいたA・トムソンの『科学大系』(1923年和訳発行)にある説明なのだそうです
(森荘已池『宮沢賢治の肖像』,p.85;『定本宮沢賢治語彙辞典』「銀河系」)。銀河系の形をレンズで説明しているのも、『科学大系』に依るもののようです(大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』,p.124)

 この本は「30巻の大冊もの」でしたが、花巻農学校には購入されてあって、賢治は熟読していたと言います。「午後の授業」の場面のある〔第4次稿〕を執筆したのは、農学校を退職して何年もたったあとですから、もし「先生」の話のソースのひとつが『科学大系』だとすると、もともとは、農学校在職中にブルカニロ博士の話の一部として“欠落部分”に書いたものだったかもしれません。〔第4次稿〕では、それを利用して、学校の先生らしい口調に直して冒頭の章に移したのでしょう。

 もしも“欠落部分”の草稿がどこかから発見されたら(仮想ですが)、ブルカニロ博士の話には、「午後の授業」に直すための黒インク手入れが、ぎっしりと書きこまれていることでしょう。



 地球から見える天の川の光の帯は天球を一周しているため、天文学者が考えた初期の銀河系モデルは、みな太陽系を銀河系の中心に置いていました。古代ギリシャでは、天の川を κυκλος γαλακτικος(kyklos galaktikos)と呼んでおり、これは「乳の環」という意味です。

 現在は、銀河系の半径約10万光年に対して、その中心から太陽系までの距離は約2万6000光年と考えられています。中心から少しずれているわけです。

 賢治の時代には、中心にあるという考えと、はずれにあるという考えが並び立っていたようです。18世紀のハーシェルの銀河系図では、太陽系は天の川銀河のほぼ中心にあり、1922年にオランダの天文学者ヤコブス・カプタインが発表したモデルでも、中心から約2000光年という中心に近い位置にあります。

 これに対して、1918年にアメリカのハーロー・シャプレーが考案した銀河系モデルは、太陽が中心から離れた場所にある直径約7万光年の平らな円盤状でした。






 
  銀河系(天の川銀河)









 宮沢賢治は、〔第4次稿〕の「午後の授業」ではたしかに、銀河系の中心にあるという説を「先生」に述べさせているのですが、“銀河の旅”の中では、↓つぎのように書いているのです(この部分は〔第3次稿〕でも〔第4次稿〕でも同じです):



「ジョバンニは、

 (あゝ、さうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたりにゐらっしゃって、いまぼくのことを考へてゐるんだった。)と思ひながら、
〔…〕



 「あの遠い一つのちりのやうに見える橙いろの三角標のあたり」は、“銀河鉄道”の列車の窓から見える地球の位置、つまり太陽系の位置を示していることになります。「橙いろの三角標」は太陽でしょう。

 つまり、ここでは賢治は、太陽系は銀河系の中心から遠くへだたったはずれにあると考えているように見えます。この時、列車は北十字(はくちょう座)の手前にいます。賢治は、『科学大系』以外の本か雑誌で、太陽系は銀河系の中心部ではなく、外れにあるという説も、読んでいたのではないでしょうか?

 宮沢賢治がどこでシャプレー説を知ったのかは、よくわかりませんが、木村栄博士など一線の天文学者が知り合いにいたことはたしかです。



「太陽が銀河系の中心に無いことは、球状星団の偏りから 1918年にシャープレーによって指摘されたが、大正期の天文書にはまだほとんど紹介されていなかった。」

大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』,1993,朝文社,p.123.






 また、当時の天文学の宇宙論が現在と大きく違うのは、銀河系(天の川銀河)外の銀河星雲(アンドロメダ大星雲、マジェラン星雲など)についての考え方です。

 アンドロメダ大星雲などの渦巻き状の星雲は銀河系外の別の銀河であるという《島宇宙説》は、1917年にH・D・カーチスによって提唱されたものです。しかし当時はまだ、渦巻星雲は、惑星系(太陽系)が誕生する過程にあるガスの渦だという《惑星系形成段階説》も有力でした。

 1923年、ハッブルが新造の 100インチ望遠鏡で渦巻状星雲の距離を正確に求め、それらは銀河系の直径よりもはるかに遠い場所にあることがわかったので、《島宇宙説》が通説として確定しました。しかし、この発見も、日本ではすぐには浸透しなかったようです。

 賢治の『土神ときつね』で、きつねが樺の木にしている↓つぎの説明は、《惑星系形成段階説》によるものです:



「『全体星といふものははじめはぼんやりした雲のやうなもんだったんです。いまの空にも沢山あります。たとへばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。
〔…〕そんなのが今の空にも沢山あるんです。』」
『土神ときつね』より



「『渦巻状星雲』を巡る『島宇宙説』と『惑星系形成段階説』。
〔…〕

 ここで賢治は、
〔…〕『アンドロメダ大星雲』と『猟犬座渦巻星雲』を、『オリオン座ガス星雲』と同じ銀河系内の〈惑星系〉〔…〕誕生の一段階として扱っている。即ち賢治は『惑星系形成段階説』を取っていることになる。論者はこの知識の論拠がアレニウスの『宇宙発展論』〔1914年和訳発行――ギトン注〕にあるのではないかと指摘したことがある。〔…〕

 アレニウスは『宇宙発展論』の中で、『渦巻状星雲』を
〔…〕《惑星系》が形成される一段階とする立場に立ち、〔…〕『アンドロメダ大星雲』、『猟犬座渦巻星雲』、『琴座環状星雲』、『オリオン座大星雲』を、同じく《惑星系》誕生過程の諸段階を示す星雲として、写真入りで一括して説明しているのである。これは『土神ときつね』の説明と完全に一致している。」
大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』,pp.120-122.



 つまり、賢治はアーレニウスの《惑星系形成段階説》のほうを信じていたようです。



 ‥そういうわけで、〔第3次稿〕の“欠落部分”にあったブルカニロ博士の話は、〔第4次稿〕の学校の先生の話よりも内容豊富だった可能性があります。たんに“天の川は星の集まりだ”というだけでなく、その銀河系の中での太陽系の位置や、宇宙空間の真空、またその“温度”やエネルギー、空気も無い岩石だけの惑星、またガス星雲から太陽系その他の惑星系ができてきた進化の歴史などに、博士の話は及んでいたかもしれません。
















「銀河のなかで一つの星がすべったとき
 はてなくひろがると思はれてゐた
 そこらの星のけむりをとって
 あとに残した黒い傷
 その恐ろしい銀河の窓は
 いったいそらのどこだらう
 誤ってかあるひはほんたうにか
 銀河のそととみなされた
 星雲
(ネビュラ)の数はどれだらう」
『春と修羅・第2集』#179,1924.8.17〔北いっぱいの星ぞらに〕〔下書稿(五)第2葉裏面・手入れ〕より。



 引用の最後の行の〔手入れ〕前の形は、「大星雲はどれだらう」でした。

 この〔下書稿(五)〕の逐次形の中に、「資本制度も終りになって」と書いて消した部分があります。〔下書稿(五)〕は、賢治が労農党稗貫支部の設立(約半年で、労農党は結社禁止・強制解散となる)にかかわっていた 1927年ころに書かれたのではないでしょうか。。。



 「黒い傷」「銀河の窓」は、暗黒星雲のことで、現在は、星間物質のために天の川の星の光がさえぎられて、そこだけ暗く見えていることが解っています。しかし、当時は、この《暗黒星雲説》のほかに、《銀河の裂け目説》がありました。

 無数の星でちりばめられた銀河宇宙の中で、そこだけは星が全く無い「裂け目」であるために、銀河の向うの何もない空間が見えているのだと言うのです。アーレニウスは《銀河の裂け目説》をとっていました。



「アレニウスは、『白鳥座』付近の銀河に見られる、細長い裂目(暗黒部分)について、
〔…〕大きな星が銀河(天の川)に広がるガスの中に侵入し、そこに横たわる星雲質(ガス)を奪い取った跡だと解釈する。

 『
〔…〕此処に侵入せる星は其進行中に其途上に横はれる星雲質を奪ひ取りて之を其周囲に集積せしめ、かくして其背後に虚無の坑道を残し、〔…〕』」
大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』,pp.125-126.



 当時広く読まれた吉田源治郎『肉眼に見える星の研究』(1922年)も、南十字星の脇にある「石炭袋」について、



「『見える宇宙』そのものを貫いて、『星々の彼方の暗黒』を覗く」

大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』,p.124.



 と説明していました。



 上で引用した詩の下書きに、「一つの星がすべっ」て周りの星雲を取りながら通過したので、何もない裂け目の空間ができた―――とあるのは、ほぼアーレニウスの説明と同じです。そして、その裂け目を透して、銀河系の外の“星の無い空間”が見えていると、当時は考えられており、賢治は、その銀河系外の虚無空間を「異の空間」と呼んだのです。

 つまり、宮沢賢治にとっての「宇宙」とは、銀河系の範囲に限られていたのです。彼にとっては、それが“世界”のすべてでした。銀河系の外は、われわれの感覚が及ばない、見ることも考えることもできない「異の空間」であり、「悪魔の考へ」でした
(『宮沢賢治 心象の宇宙論』,pp.124-125)



 『銀河鉄道の夜』で、カムパネルラが突如としていなくなる直前に、車窓の外に現れる「石炭袋」も、大きな暗黒星雲のひとつです。賢治がそれを、虚無の「異の空間」が口をあけている“銀河の裂け目”だと考えていたことは重要です。カムパネルラが、



「あすこがほんたうの天上なんだ」



 と叫んで消えて行った空間は、じつは“無間地獄”だったかもしれないのです。



 それはともかく、↑引用した下書きの最後の3行を見ると、この 1927年ころには、賢治も《島宇宙説》の理解を深めたようです。ただ、やはり完全にはそれを信じ切れなかったのは、銀河系の外を、何もない暗黒の「異の空間」として恐れる観念から、脱却しきれなかったせいなのかもしれません。。。

 もし宮沢賢治が、銀河系の外にも、天の川銀河と同じような銀河の浮かぶ宇宙空間が、ほとんど限りなく広がっているという今日の宇宙観を確信することができたとしたら、『銀河鉄道の夜』は、もっと違った物語になっていたはずです
(『宮沢賢治 心象の宇宙論』,p.126.参照)






【1.9】 「青い星」の謎



 “欠落部分”の直後を、ここでもういちど引用しますと:



「やっぱりその青い星を見つづけてゐました。

 ところがいくら見てゐても、そこは博士の云ったやうな、がらんとした冷いとこだとは思はれませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。そしてジョバンニはその琴の星が、また二つにも三つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、たうたう蕈のやうに長く延びるのを見ました。」

『銀河鉄道の夜』〔第3次稿〕より。






 天の川の周辺は「小さな林や牧場やらある野原」のようなところだというジョバンニの考えは、(2)で見た“子どもの見方”のひとつだと言ってよいでしょう。しかし、その想念は、「青い星」を見つめることによってますます確信されてゆく…という関係があることに注目したいと思います。

 天空に神秘な色で輝く「青い星」と、そこから送られてくる「小さな林や牧場やらある野原」のような“銀河世界”の光景は、ブルカニロ博士が説明した科学的な真空と岩石球の宇宙像――「がらんとした冷い」宇宙のイメージと対比されています。





 
薔薇輝石  




 この「青い星」は、ここではヴェガなのですが、より広く、作者が「青い星」に対して抱いていたイメージと、そこに託したメタファーを理解するために、〔第1次稿〕成立の時期に書かれた《心象スケッチ》↓を見ておきたいと思います。

 ↓この詩の日付は 1925年1月6日で〔第1次稿〕成立の直後ですが、なるべく日付に近いテクストを読みたいので、推敲される前の初稿のかたちで見ることにします。



「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて
 その清麗なサファイア風の惑星
 溶かさうとするあけがたのそらに
 わたくしは何を挨拶し なにを贈ればいゝのだらう
 なあにそいつはまん円なもので
 リングもあれば月も七っつもってゐる
 第一あんなもの生きてもゐないし
 まあ行って見ろごそごそだぞと
 誰かゞ仮に云ったとしても
 ぼくがあいつを恋するために
 このうつくしいあけぞらを
 少うし変な顔をして 見てゐることは変らない
 それでて変らないどこかそんなことなど云はれると
 いよいよぼくはどうしていゝかわからない
 いったいさっきみちが渚を来たときに
 あんまり青くあやしく澄んで
 ぼくを誘惑しないといゝんだ
 雪をかぶったはひびゃくしんと
 百の岬がいま明ける
 あの清らかなサファイア風の惑星
 おまへの上の鴇いろをした眩盤に
 ひかりたえだえ溶けかゝるとき
 わたしは何を挨拶し
 なにをちかへばいゝんだらう」

『春と修羅・第2集』#343「暁穹への嫉妬」1925.1.6.〔下書稿〕






サファイア(原石)








 青い「サファイア風の惑星」は、土星をそう呼んでいるようです。「リングもあれば月も七っつもってゐる」と言っていますから。

 暁の桃色の空に溶けて消えようとする“青い惑星”を、作者は心から惜しんでいる―――と言うより、もうどうしたらよいかわからないくらい取り乱してしまっています。明け空の美しさも、作者の心にはまったく響いてきません。

 その神秘な青い光―――星の色なのか、海の色なのか―――が、「青くあやしく澄んで」誘惑してくるのだと言うのです。

 たんなる明け方の風景のスケッチにしては、「青い惑星」に魅了されすぎているようにも思われます。「ぼくがあいつを恋する」とまで言っていますし、「わたくしは何を挨拶し なにを贈ればいゝのだらう」「わたしは何を挨拶し/なにをちかへばいゝんだらう」という言い方もおおげさに感じられます。

 「青い惑星」の魅惑的な輝きに対して、「なあにそいつはまん円なもので」以下の4行は、土星の宇宙空間における実像です。ただ、じっさいに地上の人間に見えているのは魅了する光のほうで、“実像”は科学研究の結果として構成(想像)されたものです。

 「まあ行って見ろごそごそだぞ」は、『銀河鉄道の夜』の「がらんとした冷いとこ」に対応していますし、サファイア風の輝きは、ジョバンニの牧歌的な“天の川の草原”に対応するでしょう。

 ところで、宮沢賢治の口語詩(《心象スケッチ》)は、しばしば意識的にか無意識にか、なにか別のことを考えているような言外のふくみを感じさせます。つまり、アレゴリー(寓意)なのです。(奥山文幸『宮沢賢治「春と修羅」論』,1997,双文社出版,pp.72-77,147-151,282;同『宮沢賢治論 幻想への階梯』,2014,蒼丘書林,pp.10-23,252-257,261-264;中村三春『係争中の主体』,2006,翰林書房,pp.221-226,232-246.)

 アレゴリーなのではないか‥、ということは誰でも容易に気づくのですが、さてそれでは言外に何を言いたいのか?‥ということになると、かんたんにわかりません。感じ方は百人百説になってしまいます。そういうところは、カフカの小説に似ていると言われます。

 いまは「暁穹への嫉妬」を詳しく論ずる場ではないので、手っ取り早く結論から言いますと、この詩、とりわけ初稿は、作者のやむにやまれぬ同性愛感情を主題にしているとギトンは考えます。青い「サファイア風の惑星」は作者が「恋する」若い男性であり、「薔薇輝石」のように美しい「あけがたのそら」は、その男の結婚相手の女性。作者は、自分の同性愛感情をひた隠しに隠して結婚を祝福し、贈り物をしたり式場で挨拶を述べるべき社会的立場におかれています。

 賢治がこの「サファイア」のような青年に冠せている「清麗な」「清らかな」という形容語からは、その恋愛感情の純粋さがうかがわれますが、「あんまり青くあやしく澄んで/ぼくを誘惑しないといゝんだ」まで行くと、相手はともかく賢治のほうは、純粋さの先まで突進して行きそうな勢いを感じさせますw



「おまへの上の鴇いろをした眩盤に
 ひかりたえだえ溶けかゝるとき」



 ↑この箇所では、作者はついに、隠喩で隠していた男性を、いきなり「おまへ」と呼んで登場させてしまいます。「鴇いろをした眩盤」は、「あけがたのそら」と同じで、美しい女性のメタファーです。

 ちなみに「ごそごそ」のほうは、方言なのでしょうか、意味がよくわかりませんが、賢治書簡[194: 1921年7月3日 保阪嘉内宛て]での用例から推せば“子どもっぽい”という意味だと思います。





 








 なお、推敲後の草稿では、「あんまり青くあやしく澄んで/ぼくを誘惑しないといゝんだ」のところは、



「星はあやしく澄みわたり
 過冷な天の水そこで
 青い合図
(wink)をいくたびいくつも投げてゐた」
#343「暁穹への嫉妬」〔下書稿手入れ〕



 と改めています。星の「青い合図」「ウインク」は、『銀河鉄道の夜』の「琴の星」のまたたきや「脚を長く延ば」すあいさつに対応していないでしょうか?






 さて、細かい点はともかく、この詩から確認しておきたいのは、同性愛の感情と“少年のこころ”と“銀河世界”の牧歌的イメージ―――この3つのものが、宮沢賢治という人の中では、ひとつにつながっていたということです。

 なお、この《心象スケッチ》の舞台は、岩手県の三陸海岸北端にある種市駅付近と推定されています:⇒:《ギャルリ・ド・タブロ》八戸、種市











ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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