12/27の日記

15:21
【宮沢賢治】《心象》の原風景(3)―――『春と修羅』の原像

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 こんにちは (º.-)☆ノ




 
 宮沢賢治の作品に現れる作者の特異な“視線”に注目したのは、吉本隆明氏でした。それは、視線というより、視座と言ったほうが正確かもしれません。作品の情景やできごとを見て描写している“眼”の在りかが、私たちの通常の人間の眼とも、童話や小説の作者の視座とも、しばしば異なっているのです。



「宮沢賢治の作品が誇らしげにふり撒く魅惑のうちもっとも巨きなひとつは、並外れて自在な<視線>の位置にあるといえる。かれの作品の<眼>は、遥か高層にとどいた巨大な身体についた<眼>のように、近似的には無限の遠くからわたしたちをとらえてくる。かとおもうと瞬間に這う虫の微小な頭についた<眼>のように極微化される。わたしたちが本能的に慣れていない視角をよく知っていて、そこを衝かれるような気さえする。

 
〔…〕この<視線>の拡大と縮小とが同時に使われた作品に出遇ったとき、かれの文学のいちばん魅力的な根源にぶつかっていることになる。」
吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,23巻2号,1978年2月号,学燈社,p.6.

 ⇒:【吉本隆明】の宮沢賢治論――選ばれた者のユートピアか?(1)









 たとえば、童話『やまなし』で、水の中に飛びこんできて魚を襲うカワセミの嘴を、恐怖におののきつつ描写する、川底から見上げているような視線。また、『ありときのこ』(朝に就ての童話的構図)で、“蟻の兵隊”と蟻の子どもたちとのやりとりを、地面すれすれの、微小な虫の眼となったような視座から見ている視線。

 一方では、このような“下から”の虫瞰的な視線があるかと思えば、逆に、ひじょうに高い場所からの鳥瞰的な視線があります。





 短歌や、初期のエッセイ的な散文では、高所からの視線を得ようとする賢治の努力が、よりはっきりと主題的に述べられています:



「今日こそ飛んであの雲を踏め。」

宮沢賢治『秋田街道』より。



      ※

 なつかしき
 地球はいづこ
 いまははや
 ふせど仰げどありかもわかず。

      ※

 そらに居て
 みどりのほのほかなしむと
 地球のひとの知るや知らずや。

      ※

 われはこの
 夜のうつろも恐れざり
 みどりのほのほ超えもゆくべく。

      ※

 黒みねを
 はげしき雲の往くときは
 こゝろ
 はやくもみねを越えつつ。

      ※

 黒みねを
 わが飛び行けば銀雲の
 ひかりけはしくながれ寄るかな。

『歌稿B』#159,160,284,654,656.



 これらの断片から私たちが感じるのは、作者がこのようにさまざまな特異な視線を行使している動機は、たんに変った文学作品を作ろうというだけではなしに、むしろ、日常からの脱却…、日常の狭い視野から脱却することによるカタルシスにあったのではないかと思われるのです。たんに“天から見おろしてみたい”というよりも、毎日見馴れたけしきを、ときには違うほうから見ようとする……いつもとは違う視座からこの“世界”を見ることを覚えると、なんだか楽な気分になれる――そういう試みだったのではないかと思われてきます。







東岩手火山 
西火口原から








 ところで、『秋田街道』が着想された 1917年、また、上の短歌が書かれた 1918年よりも少し後になりますが、『冬のスケッチ』
(★)では、当時新しく登場した無声映画を見た体験を述べている部分があるので、↓引用してみたいと思います:

★ 『冬のスケッチ』の制作時期については諸説ありますが、通説(全集解説など)は、『春と修羅』収録の口語詩群が執筆される直前及び執筆と並行する 1921-22年ころとしています。また、有力な異説として(小野隆祥『宮沢賢治 冬の青春』;奥山文幸『宮沢賢治「春と修羅」論』,pp.39-40.)1919年成立とする説があります。いずれにせよ、高等農林在学時までの文語短歌から、『春と修羅』以後の口語自由詩への移行期の習作として『冬のスケッチ』を位置づける見方が主流です。










 そのとき人工の火ひらめきて
 水より滋くもえあがり
 またほのぼのと消え行けり。
 
      ※
 
 なにゆゑかのとき きちがひの
 透明クラリオネット、
 わらひ軋り
 わらひしや

      ※
 
 たばこのけむり かへって天の
 光の霧をかけわたせり。

      ※
 
 せんたくや、
 そのときまったく泪をながし
 やがてほそぼそ泪かわき
 すがめひからせ
 インバネスのえりをなほせり。

      ※
 
 三疋の
 さびしきからす
 
――――――――――――――――――――――
 
 三人の
 げいしゃのあたま。
 
      ※
 
 あたかもそのころ
 キネオラマの支度とて
 紫の燐光らしきもの
 横に舞台をよぎりたり
 
      ※
 
 (その川へはしをかけたらなんでもないぢゃ
 ありませんか。)と、おもひつめし故かへって
 愚のことを云へり。
 
      ※
 
 あけがたを
 雲がせはしくながれて行き
 上等兵は
 たばこの火をぴたりと地面になげすてる。
 
      ※
 
 劇場のやぶれしガラス窓に
 するどくも磨かれ、むらさきの身を光らしめ
 西のみかづき歪みかゝれり。

『冬のスケッチ』§4-5.

   ―――― は、紙葉の切れ目を示す。






 これは、当時、花巻の芝居小屋(「朝日座」か。宮沢清六『兄のトランク』,ちくま文庫,pp.40-42.)で見た活動写真の興行をスケッチしたものと見られます。

 奥山文幸氏によれば、§4 の第1節:「そのとき人工の火ひらめきて‥」,第4節:「せんたくや、‥」,第5節「三疋の/さびしきからす」,§5 の第4節:「あけがたを‥」が、映画の画面を描写したもので、それら以外は、劇場の客席や、オーケストラ・ボックス、映写幕のまわりの舞台、窓の外などのようすを書いています
(奥山文幸『宮沢賢治「春と修羅」論』,1997,双文社出版,pp.30-35.)

 どれが映画の情景で、どれが現実の劇場の風景なのかは微妙で、↑これ以外の読み方もいろいろできると思いますが、ここでは奥山氏の読みに従っておきたいと思います。







 






 まず、§4 最初の
 

 そのとき人工の火ひらめきて
 水より滋くもえあがり
 またほのぼのと消え行けり。



 ですが、映写幕に映画の画面(「人工の火」)が映し出されたようすを、映画の見せる内容とは無関係に、人工の光とその反射として見ています。

 次の:
      

 なにゆゑかのとき きちがひの
 透明クラリオネット、
 わらひ軋り
 わらひしや



 は、オーケストラ・ボックスで伴奏の音楽を演奏しはじめたのでしょうけれども、それがいかにも唐突で、場の雰囲気をぶち壊している。その奇態さを述べています。「透明クラリオネット」は、客席もオーケストラ・ボックスも薄暗いために、クラリネット奏者の姿はよく見えず、音だけが聞こえるということでしょう。



 たばこのけむり かへって天の
 光の霧をかけわたせり。



 当時の劇場や映画館は禁煙ではなかったそうです。退屈して煙草を吸う観客もいたのでしょう。

 「光の霧をかけわたせり」とは、何人かの吸う煙草の煙が客席に充満して、映写機からスクリーンへ延びる光の路筋が見えている――チンダル現象を言っているのだと思います。

 §4 の第1節からここまで、映画として映し出されている内容にはまったく関心を示さぬまま、その映写のようすばかりが、現実の客席の風景として描かれています。それでも、



 「そのとき‥‥ひらめきて/水より滋くもえあがり/またほのぼのと消え行けり。」

 「なにゆゑかのとき‥‥/わらひ軋り/わらひしや」

 「かへって天の/光の霧をかけわたせり。」



 と並べてみると、なにやらアレゴリックな筋が浮かんできます。“天・地”の対比や、燃え上がる炎のイメージを伴なった、自然世界の《心象》といったものでしょう。もちろん、映画の内容とは無関係です。





 次の第4節で、ようやく映画の内容に言及します:



 せんたくや、
 そのときまったく泪をながし
 やがてほそぼそ泪かわき
 すがめひからせ
 インバネスのえりをなほせり。



 「せんたくや」は、奥山氏の“読み”にしたがえば、映画の登場人物です。客席にたまたま近所のクリーニング店員がいたわけではありません。

 どんな場面なのか、いっこうに分かりませんが、「泪をながし/やがてほそぼそ泪かわき」というのは、居合わせた別の人物から、よほどの侮辱を受けたのでしょうか?泣きやんでもまだ「すがめひからせ」、相手を警戒するか、睨みつけているようです。

 「インバネス」は、「せんたくや」が着ているのでしょうか?…あるいは、彼はいま店頭にいて、客から預かったインバネスの皺を直しているのかもしれません。あとのほうに解したほうが、「せんたくや」という呼称が有意味になります。

 【参考】「インバネス」⇒:インヴァネス・コート

 しかし、いずれにしろ、このように並べられたスケッチのなかでは、映画のスジを越えて、「天の/光の霧」の下での《心象》世界の一部と化してしまっています。





 
 三疋の
 さびしきからす
 
――――――――――――――――――――――
 
 三人の
 げいしゃのあたま。



 奥山氏の解釈では、前半2行は映画の内容、後半2行は客席の状況です。ここでは、映画の中のヴァーチャルな世界と、現実の客席とが、切れ目もなく連続してしまっています。映画に映っている烏とよく似た高島田に結った頭部のシルエットが、作者の前方の席に見えるということでしょう。しかし、作者が両方を同時に視ているとか、芸者が烏の映った画面を見ているといった説明はありません。むしろ、映画の仮想現実は、客席の現実と、まったく無媒介に続いているのです。



















 あたかもそのころ
 キネオラマの支度とて
 紫の燐光らしきもの
 横に舞台をよぎりたり



 「キネオラマ」とは、1934年発行の三省堂『新修百科事典』には、↓つぎのように説明されているそうです:



「明治40年頃から大正の初期浅草に行はれた映画常設館の呼び物として映画の番組の間に見せた電気照明応用のパノラマ。ヴェネチヤなどの書割に光線の変化を与へて朝・夜・雷鳴・風雨の感を出し、傍から説明者が説明を加へた。一回の演出約十分。半月位に景を変へた。」

奥山文幸『宮沢賢治「春と修羅」論』,1997,双文社出版,p.35.






 つまり、風景を描いた板を舞台に立てて、そこに照明をあて、明るくしたり暗くしたり点滅させたりするという、たわいのない見世物ですが、映画が本格的に入って来る前は、このような見せ物が「呼び物」になったのだそうです。

 「キネオラマの支度」とは、無声映画が終りに近づいたので、幕間の「キネオラマ」のために、書割を舞台に立てるなどの作業を始めたのでしょう。舞台は暗いので、映画上映の邪魔にならないように、紫色の明かり――ピンスポットライト?――で作業員の足元を照らしているのだと思います。

 しかし、賢治のスケッチは、これを「燐光らしきもの」と呼んでいます。

 「燐光」は、本来の意味は、黄燐が空気中で酸化して発する青白い光のことで、そこから一般に、“蛍光”よりも寿命の長い発光現象を指します。とくに日本では、「燐光」は墓場などで死体の骨から分解した燐が青白く発光すると、昔から信じられていました。そのため、「燐光」と言うと、死者にまつわるイメージがつきまといます。






 (その川へはしをかけたらなんでもないぢゃ
 ありませんか。)と、おもひつめし故かへって
 愚のことを云へり。



 ↑これは、奥山氏は「映画に対する感想(心中語彙)」と説明しています
(p.33)。しかし、「云へり」とありますから、「その川へ」以下の( )内は、じっさいに誰かが口に出した言葉だと考えなければならないでしょう。

 口に出したのが、映画の中の人物、ないし“活動弁士”だとしたら、「おもひつめし故」以下は、その言動に対して賢治が心の中で思った感想。もし口に出したのが賢治だとすれば、いっしょに映画見物に来た誰かに、私語を述べていることになります。

 当時の無声映画見物は、感想を口に出す観客もいたにちがいありません。

 ともかく、ここでも、「その川へはしをかけたら」は、なにやらアレゴリックです。ひとつ前の節の「燐光」と併せて考えれば、生者の世界と死者の世界の間に架ける橋――ということになるかもしれません。しかし、そこまではっきりとは示されていません。あまり限定的すぎる“読み込み”は、作者の意図を越えてしまうでしょう。

 むしろ、次節の「あけがたを」以下との関連を重視すれば、いっしょに見ていた人は保阪で、「紫の燐光」は、人と人の心を媒介する神秘な光、「はしをかけたら」で賢治は、宗教観や文学的な想像力まで含めた感情・観念の一致を親友保阪に対して、「おもひつめ」るほど望んでいる――という読みも考えられます。ただ、そのためには、このスケッチの場所が東京・浅草の映画館で、賢治と嘉内が二人で見に行ったという仮想的伝記事実を読みこまなければなりません。






 あけがたを
 雲がせはしくながれて行き
 上等兵は
 たばこの火をぴたりと地面になげすてる。



 ↑ここは、奥村氏によれば、ふたたび映画の中の場面です。雲が流れる明け方の空、そして「上等兵」の動作が映し出されています。「上等兵」の態度は、何かを思い切るような、無造作で非情な行動として述べられています。

 映画のスジがそうなのかどうかは分かりませんが、「上等兵」の態度の非情さは、それを見ている作者の感想が付け加わっているでしょう。さきほど泣きやんでなお睨んでいた「せんたくや」との関係も考えられます。

 たとえば、この「上等兵」の描かれ方に、保阪嘉内
(兵役で現役入営中は上等兵、1920年11月満了除隊後は軍曹でした)に対する賢治の感情を読みとることは十分に可能でしょう。

 





 









 この『冬のスケッチ』§4-5 をもとにして、晩年の賢治は、↓つぎのような2篇の文語詩を作っています:






   軍事連鎖劇

 キネオラマ、 寒天光のたゞなかに、 ぴたと煙草をなげうちし、
 上等兵の袖の上、 また背景の暁
(あけ)ぞらを、 雲どしどしと飛びにけり。

 そのとき角のせんたくや、 まったくもって泪をながし、
 やがてほそぼそなみだかわき、 すがめひからせ、 トンビのえりを直したりけり。

『文語詩稿一百篇』より〔定稿〕。



 インヴァネス・コートは、当時俗に「とんび」とも呼ばれていました。

 §4,2 と§5,4 から改作したものですが、「寒天光」は、コロイドの中を走る光線ということでしょう。最初のスケッチの、タバコの煙幕の中に浮き出た映写機からの光束(§4,3)、そのチンダル現象のイメージが“原風景”としてあることに注意したいと思います。

 しかし、文語詩になった形では、この詩篇全体が現実の場面風景として描かれています。「角
(かど)」に「せんたくや」があり、その町角での通りがかりの「上等兵」の行動を描いた一コマというわけです。「キネオラマ、 寒天光のたゞなかに、」も、ここでは、「上等兵」がふかしたタバコの煙がただようなかに、「キネオラマ」の投射光のように陽の光が差し込んでいる――という情景になります。

 宮沢賢治は、この定稿を完成した 1933年に没していますが、まだまだ生きて創作を続ける希望を直前まで持っていたと思われます。『文語詩稿一百篇』『文語詩稿五十篇』中に多く含まれる定稿も、それぞれが独立して何かを訴える作品というよりは、将来のまとまった作品の部品となるような断章的なスケッチとして書かれたのではないかと、ギトンは思っています。

 この作品は、構想の基礎に映画があり、無声映画から着想してまとめられたという点でも重要ですが、それ以上に重要なのは、その、もとになる無声映画の“鑑賞”のしかたです。スクリーンに映し出される映画の内容を受け取るだけでなく、同時に、客席の上をスクリーンへと向かう光の束を観察し、いわば、映画の場面というヴァーチャルな世界と、それを成り立たせている現実のプロジェクション(映写)のしくみとを、併行して分析的に視ていることが、重要だと思うのです。

 そして、当初の観察と⦅スケッチ⦆は、映画館で行われたのですが、文語詩に改作される過程で、それは、“現実の町角の風景と、それを成り立たせているしくみ”という構造にシフトされています。 

 つまり、賢治は、無声映画の鑑賞で培った分析的な、特異なものの見方を、現実の町の風景や自然に対する観察に応用して、⦅心象スケッチ⦆という方法を練り上げて行った。その行跡が、最晩年の作品に、あたかも総決算のように現れているのだと思います。

 




 われかのひとをこととふに
 なにのけげんもあらざるを
 なにゆゑかのとき協はざる
 クラリオネットの玲瓏を
 わらひ軋らせ
 わらひしや

『文語詩未定稿』より〔下書稿(二)手入れ〕



 ↑こちらの文語詩は、「軍事連鎖劇」よりも未完成の断片のおもむきが強いものです。『冬のスケッチ』§4,2 がもとになっています。

 1921年に賢治が保阪嘉内と再会し、(おそらく)言い争う顛末になった“図書館幻想”事件(↓《ゆらぐ蜉蝣文字》0.8.5〜参照)の反映を読みとることは、十分に可能でしょう。

 「かのひと」を訪れた「われ」に向って、「わらひ軋らせ/わら」っているのは、「かのひと」ではなく、その背景に、あるいは二人の周りにひろがる「協はざる/クラリオネットの玲瓏」です。

 「玲瓏」は、本来の意味は、月の光のように澄明な輝きですが、宮沢賢治が使う場合には、もっと柔らかく濁った薄雲のような美しさを指しているようです。つまり、ここで「クラリオネットの玲瓏」は、「雲どしどしと飛」ぶ「暁ぞら」、あるいは「寒天光」に近いものとなります。その上に、不協和音のイメージが重なります。

 それにしても、再会事件の直後に書かれた『図書館幻想』などと比べると、イメージも表現も、ずいぶん穏やかになっています。保阪との軋轢も、この晩年には、若かった頃の思い出として、遠い映像になっていたのかもしれません。

 【参考】⇒:ダルゲ草稿群

 【参考】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》8.2.4

 【参考】⇒:《ゆらぐ蜉蝣文字》0.8.5






















 劇場のやぶれしガラス窓に
 するどくも磨かれ、むらさきの身を光らしめ
 西のみかづき歪みかゝれり。



 §5,5 です。劇場の窓の外に見える現実の月のすがたが描かれます。
 現存する賢治の自筆画のひとつにも、似ているように思われます(⇒:水彩画「ケミカル・ガーデン」)。

 このまがまがしい月のすがたは、前のほうの節の「紫の燐光」や、「すがめ」の「せんたくや」、非情な態度の「上等兵」などと、⦅心象⦆としてつながっていることは明らかです。

 あるいは、「愚のことを云へり。」で保阪(?)との情念の一致に失敗した作者の胸のうちを、アレゴリックに示しているとも言えるかもしれません。



 月が、吹きすさぶ強風や、飛び過ぎる雲によって「磨かれ」るというイメージは、『春と修羅・第1集』以後の作品には、しばしば見られます:



「風が偏倚して過ぎたあとでは
 クレオソートを塗つたばかりの電柱や
 逞しくも起伏する暗黒山稜や

   (虚空は古めかしい月汞にみち)

 研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
 すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
 すきとほつて巨大な過去になる」

『春と修羅』「風の偏倚」






 こうして、『冬のスケッチ』に現れている無声映画の鑑賞と“観察”から培われた特異な分析的見方は、『春と修羅・第1集』以後の⦅心象スケッチ⦆という方法の基礎となり、最終的には、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』の、あの壮大で奥深く神秘な世界を創り上げているのだと思います。

 それは、現実の世界の風景や人物、できごとを、その成り立ちの起源にさかのぼって分解し、鉱物的、理化学的な特異な語彙、表現を重ねて表出してゆくものでした。

 【参考】⇒:【序説】宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ【第2章】(i)









ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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