07/31の日記

18:28
【ユーラシア】フッサールと宮沢賢治―――宗教と科学の位置(1)

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胡四王神社 
花巻市










 こんばんは。(º.-)☆ノ





 『算術の哲学』から『論理学研究』『イデーン』までの歩みにおいて、フッサールがめざしたのは、

 私たちのものの見方や、科学的思考の枠組みが生じてくる根源のしくみを明らかにするために、私たちの日常意識を厚く覆っている常識の外被をことごとく取り除き、意識の発生してくる地平を明るみに出そうとする、いわば“上行の旅”でした。




 わたしたちの無反省な意識のうえに、高度に発達してしまった近代科学の“客観性”“妥当性”を、盲目に“信仰”するのではなく、

 科学をその多面性において正当に理解し評価するためには、知覚、思考、想像、判断といったわたしたちの意識のはたらきの根源に遡って、それらの発生してくるしくみを解明する必要がある。

 そのためには、神経や大脳の生理的メカニズムによって思考と概念が発生するという“科学的”な説明を、いったん停止し、‥‥それどころか、法則にのっとって運行する世界、宇宙が存在し、その中にわたしたちが存在するという素朴な“当然の前提”(「自然的態度」)さえも、いったん停止し(「超越論的還元」)、いっさいの“外被”を削ぎ落とされた状態での・意識のおおもとの働きを訪ねてゆくことになります:




「メルロ=ポンティによれば、われわれの日常的経験は意味の経験であり、ゲシュタルトの経験である。しかし、
〔…〕われわれはすでに構成されている意味の世界に生きており、〔…〕すでにできあがった意味の世界のうちに生きているかぎり、この世界を構成する働きは見えてこない。

 フッサールは、経験のうちにとどまるかぎり見えてくることのない経験の構造の『いかに』を問うために、現象学的還元を行い、自然的態度から現象学的態度へ移行した」

川瀬雅也『経験のアルケオロジー』,勁草書房,2010,p.39.



 ⇒:宮沢賢治の《いきいきとした現在》―――『心象スケッチ』論序説【第3章】(ii)







◇    ◇








 しかし、『経験と判断』『幾何学の起源』などの後期著作でフッサールが遂行したのは、“下行の旅”でした。

 そこでは、“上行の旅”によって到達した“超越論的意識”の高みから、日常的意識の世界が鳥瞰され、われわれが日常、“あたりまえの世界”として馴れ親しんでいる《生活世界》の構造―――「自然的態度」に埋没していたときには見えなかった構造が、明るみに出されるのです。

 その結果をおおざっぱに言えば、意識がアプリオリに持っている内的な“時間”の構造、世界という“地平”の構造が、わたしたちの認識を可能にしている・おおもとのしくみなのでした。

 そして、そうした構造に基づけられた意識のはたらきから、たとえば「3つの辺が等しい三角形は、3つの角も等しい。」といった理念的な判断もまた生まれてくるのです。こうした科学的な判断を含む「述定的判断」が、なぜ、まちがえなく正しいと確信されるのか、その「明証性」の拠ってくる根拠、起源が明らかにされます:




「『いっさいの述定的明証性は、最終的には、まさに経験の明証性に基礎づけられている。
〔…〕経験の世界への帰還は『生活世界』への帰還、すなわち、そのうちでわれわれが常に既に生きており、また、いっさいの認識能作といっさいの学問的規定にとっての地盤をなしている世界への帰還である。』(EU,38)

     
〔…〕

 『生活世界』とは、われわれの日常的・現実的な経験の世界であり、その明証性において与えられている世界、自然的態度における存在信念のもとに与えられている世界である。したがって、そうした世界は必然的に、既知性および親密性という性格を持つと言える。
〔…〕

 『生活世界は、それ自体として最もよく知られたもの、いっさいの人間の生活において常に既に自明なもの、経験を通してその類型において常に既にわれわれに親しまれているものではなかろうか。そのいっさいの未知の地平は、単に不完全な既知性の地平にすぎないのではなかろうか。すなわち、その一般的類型においてあらかじめ知られているのではなかろうか。』(Hua.Y,126)

 さらにフッサールは、
〔…〕この主観的‐相対的な生活世界が客観的な学問を基礎づけており、その地盤をなしていると考える。〔…〕

 『諸々の学問は、生活世界から、そのつどの自己の目的にとってそのつど必要なものを取り出して利用するという仕方で、生活世界の自明性のうえに建っている。』(Hua.Y,128)

 
〔…〕客観的科学の世界とは、〔…〕精密な仕方で数学化され、客観化された世界のことであろうが、こうした世界は近代科学の発展の中で、しばしば世界の真の姿とみなされてきた。しかし、それに対してフッサールは、こうした客観的科学の世界、精密科学の世界を、生活世界が理念化された姿として、あるいは、生活世界に纏わされた『理念の衣』として暴き出し、〔…〕こうした理念化の地盤、理念化に先立つ生活世界、理念の衣をはぎ取られた生活世界へ立ち帰ろうとするのである。」
『経験のアルケオロジー』,pp.20-23.

『』内はフッサールの著作からの引用。





 じっさい、わたしたちの経験世界とはかけはなれた完結した“理念の世界”を形づくっているように見える幾何学でさえも、その公理を眺めてみれば、それらはわたしたちの日常的な素朴な常識に立脚していることがわかります。

 まして、社会科学や人文科学のさまざまな本に書かれている理論は、素朴な日常的判断のうちから適当なもの(その学者にとって都合の良いもの)を“切り取って”きて、もっともらしい「理論の衣」をまとわせたのではないかと思われることがしばしばあります。そう思うことは、理由のないことではないし、そのように言うことは、決してまちがえではないのです。








 







 ところで、きょうここで考えてみたいのは、現象学プロパーではなくして、宮沢賢治の有名な書簡に書かれた次の部分↓の意味です:





「私はあの無謀な『春と修羅』に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く変換しようと企画し、それを基骨としたさまざまの生活を発表して、誰かに見てもらひたいと、愚かにも考へたのです。

 あの篇々かいゝも悪いもあったものでないのです。私はあれを宗教家やいろいろの人たちに贈りました。その人たちはどこも見てくれませんでした。『春と修養』をありがたうといふ葉書も来てゐます。

 出版者はその体裁からバックに詩集と書きました。私はびくびくものでした。亦恥かしかったためにブロンヅの粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります。辻潤氏、尾山氏、佐藤惣之助氏が批評して呉れましたが、私はまだ挨拶も礼状も書けないほど、恐れ入ってゐます。私はとても文芸だなんといふことはできません。そして決して私はこんなことを皮肉で云ってゐるのではないことは、お会ひ下されば、またよく調べて下されば判ります。」

宮沢賢治書簡[200] 1925年2月9日付 森佐一あて



 つまり、自費出版した『春と修羅』(第1集)は、「歴史や宗教の位置を全く変換しよう」という「企画」のもとに世に問うたもので、その「企画」は「無謀」であったけれどもまじめなもので、「文芸だなんといふこと」を標榜しているわけではないのだ―――と言うのです。

 ここで宮沢賢治が言う「歴史や宗教の位置を全く変換」するとは、どういう意味なのでしょうか?↑上の文脈から、それは『春と修羅』「序詩」に書かれている主張のようです。



 そこで「序詩」を見ると、「歴史や宗教」に関係しているのは、次の部分ではないかと思われます:



「これらは二十二箇月の
 過去とかんずる方角から

     
〔…〕

 ここまでたもちつゞけられた
 かげとひかりのひとくさりづつ
 そのとほりの心象スケツチです

   
 これらについて人や銀河や修羅や海胆は
 宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
 それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

     
〔…〕

 けれどもこれら新生代沖積世の
 巨大に明るい時間の集積のなかで
 正しくうつされた筈のこれらのことばが

     
〔…〕

 すでにはやくもその組立や質を変じ
 しかもわたくしも印刷者も
 それを変らないとして感ずることは
 傾向としてはあり得ます

 けだしわれわれがわれわれの感官や
 風景や人物をかんずるやうに
 そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
 記録や歴史、あるひは地史といふものも
 それのいろいろの論料
(データ)といつしよに

 (因果の時空的制約のもとに)

 われわれがかんじてゐるのに過ぎません

 おそらくこれから二千年もたつたころは
 それ相当のちがつた地質学が流用され
 相当した証拠もまた次次過去から現出し
 みんなは二千年ぐらゐ前には
 青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
 新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
 きらびやかな氷窒素のあたりから
 すてきな化石を発堀したり
 あるひは白堊紀砂岩の層面に
 透明な人類の巨大な足跡を
 発見するかもしれません

   
 すべてこれらの命題は
 心象や時間それ自身の性質として
 第四次延長のなかで主張されます」

『春と修羅』「序詩」

 2行空けの段落は原文。1行空けの段落は引用者。


















 まず、「宗教」については、はっきりそれと名指して書かれてはいませんが、上のほうに「本体論」という語があります。

 「本体論」は、哲学一般の用語としては「実体論」と同じ意味ですが、とくに仏教では「本仏論」の意味で用いられます。「本仏論」を、とくにやかましく議論するのは日蓮宗です。

 【参考】⇒:宮沢賢治の《いきいきとした現在》―――『心象スケッチ』論序説【第2章】(iii)




 賢治がここで、「本体論」をどちらの意味で使っているのかはわかりません。両説がありますw しかし、いずれにしろ、この前後で言っているのは、宗教理論、あるいは宗教哲学の言説は、相対的なものだということだと思います。

 理念化され定式化された宗教理論は、それこそが実体(実在)で、われわれの日常見える世界は「虚無」(虚妄)だと主張するけれども、それは逆だということです。むしろ、われわれに見える「現象」のほうが本来あるもので、宗教理論――「本体論」――は、それを誰かが理念化し、「理念の衣」をかぶせたもの、それを考えているその人の「こゝろのひとつの風物」にすぎないと言うのです。

 これは、これだけを見れば、かなり“心理主義”の傾きをもった考え方です。それを突き詰めて行けば、そもそも宗教は人間の生理のはたらきが作り出した幻想にすぎない、という唯物論的な宗教観に行き着くようにも思われなくはありません。

 しかし、この「序詩」全体の主張のベース、とくに―――上の引用では省略しましたが―――冒頭の「わたくしといふ現象は‥‥」以下の部分を併せて見ますと、作者は、むしろ仏教哲学的な“刹那滅”的世界観を前提として語っているように思われます。仏教的な一般的な世界の見方は前提としながら、そこから発生し“理念化”された仏教哲学の理論は、しかじかの思想家、仏教家が考えた相対的なものにすぎない―――としているのだと思います。

 

 「宗教」については、こんなところですが、「歴史」については、上の引用の「けだしわれわれがわれわれの感官や」以下で主題的に述べられています。その内容を要約しますと:


 一瞬もとどまらない時間の流れのなかで、変化し流転してゆくのは、人間や生き物や物だけでなく、それらをある一瞬に記録した詩篇もまたそうである。「心象スケッチ」として記録され、この詩集に収録された諸篇も、「新生代沖積世」というような永い時間の中では、変化をまぬかれない。印刷された諸篇は、著者も印刷者も気づかないあいだに、一瞬ののちには、僅かなりともすでに「その組立や質を変じ」ている。―――これは、紙やインクの化学組成が変化するだけでなく、内容の意味が変ってしまうことを含んでいるのでしょう。

 変化してやまない世界の姿を、さなざまな瞬間瞬間に記録して、その“歴史”を明らかにしようとしても、そうした「記録や歴史、あるひは地史といふもの」自体が、時間の流れのなかで変化して行ってしまう。

 まして、未来にどんな地質学が行われているか、未来の地質学や歴史の書物が、現在の時代をどのようなものとして“発見”するかは、とうてい予想することができないのであって、

 われわれの時代には「青ぞらいつぱいの無色な孔雀」が生息していて、未来の時代に、成層圏からその化石が発掘されるとか、われわれの時代にいた「透明な人類の巨大な足跡」が発見されるとかいうようなことも、けっして荒唐無稽な空想とは言えないのだ。





 ざっと、このようになるでしょう。

 逆に言えば、私たちは、私たちの生きている世界を、けっして完全に解っているわけではない。身近な野山に「透明な人類」が住んでいないとも、「青ぞらいつぱい」に「無色な孔雀」がいないとも、私たちは断言することはできない。それら私たちの知らない生物たちが、2000年後に化石となって発見されるかもしれない。‥‥‥

 ここで述べられていることは、「歴史」に関する以上に、「科学」に関する作者の考え方を表明するものです。「心象や時間それ自身の性質として/第四次延長のなかで主張されます」という「序詩」の締めくくりとも言える言明は、作者の主張が、地質学だけでなく、心理学、物理学をふくむ科学全般に対して述べたものであることを示しています。



 そうすると、さきに引用した《書簡[200]》の「歴史や宗教の位置を全く変換」するとは、“科学と宗教の位置を変換”すると言い換えてもよいように思われます。









 







 それでは、“科学と宗教の位置を変換”するとは、どういうことなのか?

 「序詩」では、わたしたちの眼の前にある“現象”こそが本来あるものだということが基調として述べられ、「科学」も「宗教」も相対化されます。

 紙幅から言えば、「宗教」よりも「科学」の相対化のほうが、中心的に述べられていると言えます。著者が、とくに「序詩」の後半で力を入れて述べているのは、「科学」のいわば歴史的な相対性です。そして、「宗教」のほうは、理念化された宗教理論、宗教哲学は、たしかに相対化されるのですが、もっと一般的な漠然とした仏教的見方、素朴な仏教的世界観は、むしろ著者の議論の前提とされているように思われます。

 そして、重要なことは、賢治は、「位置を全く変換」すると言っているのであって、「科学」を否定するとも、「宗教」を否定するとも言っていないことだと思います。

 2000年後に、透明な生物の化石が発見されるからといって、現在の生物学や地質学が“まちがえ”だとは言えないのです。それが賢治の考え方だと思います。

 同じことは「宗教」についても言えます。あらゆる宗教は、なんらかの意味で“唯一性”“絶対性”を信ずるのでなければ、破綻してしまうかもしれません。しかし、あらゆる宗教の“かなた”に、唯一絶対の「ほんたうの」宗教を見透かすことは可能かもしれない。各人それぞれが信ずる宗教は、唯一絶対の「ほんたうの神さま」に至るための道すじであって、それぞれが自分の“神”に対し誠実に向かうことによって、諸宗教の共通の“唯一者”に至ることができる……それが、宮沢賢治の“相対的宗教観”ではなかったか?

 『銀河鉄道の夜』にある、キリスト教徒たちとジョバンニとの間の、↓つぎの有名な会話を読むと、そう思われてくるのです:






「『そんな神さまうその神さまだい。』
 『あなたの神さまうその神さまよ。』
 『さうぢゃないよ。』
 『あなたの神さまってどんな神さまですか。』青年は笑ひながら云ひました。
 『ぼくほんたうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんたうのたった一人の神さまです。』
 『ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。』
 『ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんたうのほんたうの神さまです。』
 『だからさうぢゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんたうの神さまの前にわたくしたちとお会ひになることを祈ります。』青年はつつましく両手を組みました。女の子もちゃうどその通りにしました。みんなほんたうに別れが惜しさうでその顔いろも少し青ざめて見えました。ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出さうとしました。」

『銀河鉄道の夜』より。














 「位置を全く変換」するとは、どういうことなのか?

 ギトンは次のように考えます:




 フッサールらの現象学が明らかにしたように、科学は、私たちの日常的な意識の世界、「生活世界」から、《理念化》によって発生します。そして、しばしば私たちの常識的な世界像を、それは正確なものではない、まちがった迷信だ、と言って否定し、訂正しようとします。

 しかし、逆に、そうした科学を、“現象学的還元”の高みから批判的に扱い、科学的な理念的世界観よりも、そのもとになった「生活世界」のほうに軸足を置いて批判したとしても、それは、科学や科学的世界観を否定することを意味しません。むしろ、科学の“正しさ”がどのようにして“正しい”と認められるのか、そのしくみを、科学を外側から“つつみこむ”「生活世界」の視点によって、まっとうに理解することとなるのです。

 つまり、比喩的に言えば、科学的世界を、そのまわりから広く包みこむものとして、「生活世界」がある‥‥そのように言えると思います。


 同じことは、宗教についても言えるのではないかと思います。 

 宗教、とくに宗教哲学―――キリスト教神学、あるいは仏教教学―――は、多分に理念的なものです。それらは、やはり「生活世界」という素朴な世界観から、《理念化》されて立ち上がってくるものだと思います。

 したがって、宗教も、科学も、「生活世界」の素朴な見方が《理念化》されて結晶したもので、それぞれの妥当性は相対的であり、どちらかがどちらかを否定するということはない。‥‥‥このように考えると、宮沢賢治の「序詩」の主張にひじょうに近くなるのではないでしょうか?


 (註)ただし、現象学は、賢治のような相対主義とは異なります。ここでは、あくまでも、「生活世界」「理念化」などの現象学の枠組みを利用して、宮沢賢治の思想を解明する糸口にしようとしているのです。







 ただ、「序詩」においては、宗教―――完成された“理論的宗教”ないし宗教教義については、はっきりとした言及がありません。「本体論」は、だれかが《理念化》して考え出したものにすぎない。それは相対的なものだと言っているだけです。

 そして、「序詩」においては、むしろ、もとになる「生活世界」のとらえかた自体が、仏教的な色彩を帯びています。その“刹那滅”的世界観は、科学と矛盾するものではありませんが、もとは古代仏教、ないし古代インド哲学にあると思われます。

 【参考】(刹那滅)⇒:ゆらぐ蜉蝣文字 0.1.2

 【参考】(刹那滅)⇒:ルバイヤートと宮沢賢治(7)





 以上をまとめますと、

 「科学」を、かならずしも否定はしないが、それを外側から包みこむものとして、より広い“地平”として、「生活世界」がある。ただ、その「生活世界」は、賢治の場合には多分に宗教的色彩を帯びた世界である。ざっと、こう言えるのではないでしょうか?

 そしてこれが、“科学と宗教の位置を変換”するという『春と修羅』の企ての意味だと思います。

 私たち近代人のふつうの考え方では、科学は宗教を包摂する位置にあります。私たちの基本的な観念は、科学の教える世界観に近いもので、その科学的な見方のすきま、すきまを埋めるように、―――宗教を信じる人の場合には―――宗教的な見方が架橋しているのだと思います。

 しかし、賢治の「序詩」は、この科学と宗教の“位置関係”を逆にすることを企てているのです。

 賢治にとっての科学は、多分に宗教的な「生活世界」のなかから、そのある面をとりあげて《理念化》しつつ立ち上がってくるものにほかなりません。

 その場合に、科学を、より広い位置において“包摂する宗教”とは、《理念化》され、完成された宗教の理論や教義ではなく、ずっと素朴で一般的な、“宗教的色彩を帯びた「生活世界」”にほかならないのです。

 それは、東北の古い伝説や“迷信”とつながるような、アニミズムを含んだ原始信仰的な風土だと思います。仏教的信仰も、キリスト教的信仰も、そこから生み出されてくるような、いわば諸信仰の“土壌”となりうる素朴な情緒的確信の世界なのでしょう。

 【参考】⇒:津軽を彩る霊の世界


 それが、『春と修羅』のはじめのほうに置かれた↓つぎの詩篇にある、「ひとつの古風な信仰」の意味だと思います:





「    
〔…〕

 ほんたうにそんな酵母のふうの
 朧ろなふぶきですけれども
 ほのかなのぞみを送るのは
 くらかけ山の雪ばかり

   (ひとつの古風な信仰です)」

『春と修羅』「くらかけの雪」


 ⇒:ゆらぐ蜉蝣文字【2】くらかけの雪 1.2.5







 






 もっとも、『第1集』出版以後の歩みの中では、「科学」と「宗教」の位置関係について、賢治には動揺があったと推察されます。

 『銀河鉄道の夜』〔初期形3〕では、カムパネルラを見失って悲嘆に暮れるジョバンニの前に、「黒い大きな帽子をかぶった‥学者」が現れて、講義ともお説教ともつかない話をはじめるのですが、その「学者」の話のなかに、つぎのような部分があります:






「『おまへは化学をならったらう、水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんたうにさうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると言ったり、水銀と硫黄でできてゐると言ったりいろいろ議論したのだ。

  みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。

  けれども、もしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えと、うその考えとを分けてしまへば、その実験の方法さへきまれば、もう信仰も化学と同じやうになる。』」

『銀河鉄道の夜』より。






 宗教の問題を化学と同じようにして、「実験」によって真偽を判定するというこの「学者」の話は、私たちにはあまりにも荒唐無稽に思われます。しかし、前後の文脈を見れば、この「学者」の言う「実験」とは、比喩でも何でもなく、電気分解によって水の元素組成を調べるのと同じ「実験」そのものであることがあきらかです。

 かといって、この「学者」は、奇妙なことを言う気の狂った人物、あるいは、ホラを吹いて子どもを騙す人物として設定されているわけでもありません。「実験の方法さへきまれば」―――いったいどんな「実験の方法」がありうるのか想像を絶していますが―――「実験」によって宗教問題を判定できると、作者自身が、この段階では考えていたと思わざるをえないのです。どれだけ本気で考えていたか、わからない気がしますが、少なくとも、そういうことができたらいいなと空想していた‥‥そう考えるほかはありません。

 これは、宮沢賢治の書いたもののなかでも、もっとも理解しにくい、難しい箇所だと思います。難しい言葉がいっさい使われていないだけに、よけいに内容の困難さが際立っています。

 しかし、現象学からヒントを得た、さきほどの図式に当てはめて考えますと、これも、宮沢賢治の思考の歩みの中に位置づけて見ることができます。

 「学者」の話は、「宗教」を「科学」によって基礎づけようとしていることになります。「実験」という「科学」の方法によって、「宗教」の基本的真理を証明しようという話だからです。

 『春と修羅』「序詩」では、漠然とした素朴な宗教的「生活世界」が、「科学」を包摂していたのですが、ここでは、《理念化》された全き「科学」が、《理念化》された全き「宗教」を包摂しています。「宗教」と「科学」の位置関係が、「序詩」とは逆になっているのです。


 しかし、この・「科学」が「宗教」を包摂している…「科学」は「宗教」を基礎づけることができるという図式は、賢治の一貫した思想でも、最終的な到達点でもなかったと思います。『銀河鉄道の夜』〔初期形3〕を〔最終形〕に改訂した際、賢治は、この「学者」の登場する場面をそっくり削除しているからです。

 賢治の思想の歩みの中では、この「学者」の言説は、一時の“ゆらぎ”にすぎなかったのだと思います。







 










ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: ユーラシア

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