03/30の日記

23:37
【吉本隆明】の宮沢賢治論――選ばれた者のユートピアか?誰でもの「さいはひ」か?(6)

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 こんばんは (º.-)☆ノ






 前回からひきつづいて、(ニ)節の検討です。

 前回のさいごのところで、私たちは、賢治の“ユートピア”にただよう“強烈なセンチメンタリズム”とも言うべき一途な思念への執着を確認しました。それは、<ほんたう><まこと>を一途に探し求める彼の止みがたい志向に通ずるものと言えます。

 そのことによって私たちは、吉本氏の思考のみちすじと再び出会い、氏の論理を追ってゆく手がかりを得たことになります。






「誰もが生活のあとにのこしてきた世界が芸術であり、生活の諸作そのものが芸術でありうるとすれば、逆に自然の『風』や『朝の日光』もたべものであっていいはずだ。
〔…〕『ぼろぼろのきもの』が『すばらしいびらうどや羅紗』に変るために、自然の光線と想像力があればよい。」
吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,学燈社,23巻2号,p.24.





 引用部分の前半は、『マリヴロンと少女』でマリヴロンが少女に語るコトバ。後半は、『注文の多い料理店』「序」の一部です:



「『いいえ、ちがいます。ちがいます。先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます。』

 マリヴロンは思はず微笑
(わら)ひました。

 『えゝ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよさうでせう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鵠
(こう)がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。』」
『マリヴロンと少女』より。


 『マロヴロンと少女』については、こちら(⇒:3/12「みんな」と独我とアイドルと崇拝者)でちょっと扱いました。



 歌手(声楽家?)のマリヴロンがファンの少女に言うのは、平たく言えば芸術は専門家だけのものではないということです。そらを飛ぶ鳥が「うしろにみなそのあとをもつ」ように、「わたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」

 さっと読み流すと、誰でもが、じぶんの後ろに芸術を「つくって」生きているなんて、すてきな話だなと思いますが、‥ほんとうにそう言えるだろうか?などと考え始めると、なかなか難しい問題になります。

 「みんなはそれを見ない」(見えない?)が、マリヴロンは「それを見る」(見える?)ということになると、ますます難しくなります。なんだか、かっこいい言い方で騙されているようにも感じますw

 しかし、“後ろに芸術をつくりながら生きているのだ”と考えると、それなら身だしなみをもっときちんとしようとか、人の信頼を損ねるようなことはやめようとか‥、人によってさまざまでしょうけれども、毎日の生き方に、かなり大きな影響があることはたしかですね。











「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。

 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。」

『注文の多い料理店』「序」より



 こちらは、自作の詩や童話の“創作”の意味について述べている文で、《心象スケッチ》という方法を説明している一部―――出だしの部分―――です。「桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」「ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしい‥きものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。」の実例を『心象スケッチ 春と修羅』から抜粋してみますと:



「起伏の雪は
 あかるい桃の漿
(しる)をそそがれ
 青ぞらにとけのこる月は
 やさしく天に咽喉
(のど)を鳴らし
 もいちど散乱のひかりを呑む

   (波羅僧羯諦
(ハラサムギヤテイ) 菩提(ボージユ) 薩婆訶(ソハカ))」
『春と修羅』「有明」より。



「ああ何といふいい精神だ
 株式取引所や議事堂でばかり
 フロツクコートは着られるものでない
 むしろこんな黄水晶
(シトリン)の夕方に
 まつ青
(さお)な稲の槍の間で
 ホルスタインの群
(ぐん)を指導するとき
 よく適合し効果もある
 何といふいい精神だらう
 たとへそれが羊羹いろでぼろぼろで
 あるひはすこし暑くもあらうが
 あんなまじめな直立や
 風景のなかの敬虔な人間を
 わたくしはいままで見たことがない」

『春と修羅』「風景観察官」より。



 ↑これらは、『春と修羅』のなかでは、もっともわかりやすい作品だと思います。夜明けの太陽が斜面の雪に映えて、ピーチ・ジュースに見えるとか、ぼろぼろの外套をはおった牧者のすがたが、夕日のなかで、あたかもフロックコートを着ているように立派に見えるとか‥‥、そういえば、じぶんもそういうのを見たことがある―――と誰もが思うような体験です。

 上に引用した「序」の文章は冒頭部分で‥、つまり導入ですから、賢治は、読者にわかりやすい例を選んで書いているのだと思います。 





「如何にしてこういうタイプの想像力を身につけるかが、そのままかれのユートピアであり同時に、ユートピアへの狭き門だという至上の命題があらわれる。
〔…〕

 『なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまたわけがわからないのです。』というのはその通りであった。
〔…〕『わけのわからないところ』にはひっきょう、『わけのわからないところ』そのものが存在するという理念を抜きにしては、宮沢の思想は成り立っていない。」
吉本隆明「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学―――解釈と教材の研究』,学燈社,23巻2号,p.24.



 吉本氏が「ユートピアへの狭き門」と言っているのは、上の2つの例では、ちょっとピンときません。「狭き門」どころか、誰にでもわかる感性ですから。

 しかし、マリヴロンが言う「鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。」になると、ちょっとわかりにくい。童話で、柏ばやしの柏の木が、迷いこんだ人間にいじわるをするようなのは、もっとわかりにくい。





 





「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

『注文の多い料理店』「序」より



 人里離れた林や野原に行って、陽が沈む時刻になってしまい、不安にさいなまれ「ふるへながら立」っていたりすると、底しれない恐怖の感情とともに、山や樹になにか邪悪な意志があるように感じることも、ないではありません。

 上の「序」の文章は、宮沢賢治の創作の“発端”となった・そうした体験を述べているのだと思います。

 ですから、賢治は私たちよりもずっと鋭敏な感覚を持っていたにしても、その体験は、まったく特殊なものというわけではなく、私たちも体験するような“自然の姿”と、つながっているのだと思います。
 


 しかし、吉本氏は、「如何にしてこういうタイプの想像力を身につけるかが、‥かれのユートピア‥への狭き門だという至上の命題」が現れると言うのです。吉本氏のイメージする“宮沢賢治のユートピア”とは、いったいどういうものなのかが、はっきりしないために、それこそ「わけがわからない」主張になってしまっているのですが‥、

 吉本氏としては、賢治の「ユートピア」は、現実の「幻想的美化」であり「心理学上の構想」であるという“前提”があるので、そのように考えるのでしょう。

 「ユートピア」への「門」かどうかはともかく、賢治の《心象スケッチ》作品に難解なものが多いことはたしかです。もし、それを「想像力」の問題だと考えれば、特殊な「タイプ」の想像力を身につける訓練をしなければ、賢治のような詩や童話は、書くことも十全に理解することもできない‥‥ということになってしまうのかもしれません。



 「『わけのわからないところ』にはひっきょう、『わけのわからないところ』そのものが存在するという理念」‥‥つまり、一種の“不可知論”。人間の知り得ない存在には、ただ信じて従うほかないという理念‥‥が、宮沢賢治の考え方の核にあったと、吉本氏は考えているようです。しかし、《心象スケッチ》を説明した↑上の文にそれを読みとるのは無理があるように思います。

 ここで賢治が、「なんのことだか、わけのわからないところ」は、作者である自分にも「わけがわからない」と言っているのは、“それは何々であるはずだ”という先入見を排除して、《現象》そのものを曇りない眼で見ようとする《心象スケッチ》の方法を述べたものだと考えます。⇒:『心象スケッチ論序説』第1章(i)





「本音をいえば宮沢自身はそれさえいえれば、作品の出来ばえなどどうでもいいのだとおもい込んでいたにちがいないことがあった。作品のなかでは<ほんたうの幸(ひかり・ちから)>とか<まことの願(ちから・ひかり・幸)>とかいう言語であらわれる不可知論の語彙に象徴される。

 かれがこの言語でいいたかったこと」
は、「言葉通りに受け入れると一種の言語の聖領域のようなものとして了解できるようにおもわれてくる。

 これは
〔…〕『わけのわからないところ』は『わけのわからないところ』自体として存在するという概念にあたっていた。そこを目指すと言葉はいつも近傍で外れていってしまう。〔…〕わたしたちは宮沢賢治の作品からなんべんも<まこと>あるいは<ほんたう>という言葉が、狙われてはまた外れてゆくのを受け取ることができよう。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.24-25.



 吉本氏が、<ほんたう><まこと>に賢治が寄せた強烈な思いを、『料理店』「序」の説明と関連づけているのは、あまり賛成できません。しかし、<ほんたう><まこと>という言い方で賢治が志向したものは何だったのか?‥という問題に吉本氏が切り込んでいるこの議論は、傾聴に値するものです。

 上の最初の段落で、青い字にした「それ」は、アナフォラ(前方照応)ではなく、カタフォラ(後方照応)です。前のほうの段落にある何かを受けているのではなく、あとのほうにある青字の「こと」を受けています。つまり、<ほんたう><まこと>という語で表されることがら――それさえ言えれば、作品の出来ばえなどはどうでもいいと、宮沢賢治は思っていた‥、ということです。

 そして、吉本氏によれば、その<ほんたう><まこと>の何たるかは、作者自身にもわからないし、そもそも人間には知り得ない「不可知」なのだ。賢治は、そう考えていた。―――と言うのです。<ほんたう><まこと>という言葉につきあたったとたんに、賢治の思考は停止してしまった、ということになります。











 ……マリヴロンが、


「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、いつでもいっしょにゐるのです。」

『マリヴロンと少女』より。


 と言う「まことのひかり」とは何なのか?‥詩「春と修羅」で、


まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる」


 と詠われた「まことのことば」とは何なのか?‥吉本氏の肉迫を期待したのですが、「不可知論の語彙」「一種の言語の聖領域」だ、ということでは困ってしまいます。

 ギトンの考えでは、おそらく賢治は、それらが何を意味するのか、読者にも考えてもらいたいのだと思います。『料理店』「序」の「わけのわからないところ」とは、まったく別です。作品ごとに、違う意味をもっていると考えてもよいように思います。

 しかし、<ほんたう><まこと>を“聖領域化”するという吉本氏のアイデアがみちびいてゆく地点を、見極めたいと思います。





「ただそこへ接近するための入口は、すくなくとも宮沢賢治にははっきりしていたにちがいなかった。弱小なもの、うとまれるもの、いじめられてしまうものの<無償>や<善意>だけをとくべつに感受するアンテナがあるとすれば、かれの作品がいつも出現させたような磁場があらわれる。そこでは『オロオロ』した<無償>や<善意>と、それに感応したもののかもしだす身も世もないような敏感な<察知>の場ががつくりだされる。その『デクノボー』の善意の磁場が宮沢の<まことのひかり>とか<ほんたうの幸>とかへつづく通路の入口になっている。
〔…〕

 ほんらいならばここのところは、宮沢の構成した独特の<善意>や<無償>の磁場を通って、宗教的な至上世界(無上菩提)にいたるといえばすむはずのところであった。

 
〔…〕詩語『雨ニモマケズ』のなかの難解な『ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ』の『ワカリ』という言葉はたぶんここに関連していた。それは<察知>そのままの場が<天上>のユートピアへゆくのだというかれのかんがえをあらわしていたと受け取れる。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.25.

☆ 「無上菩提」:むじょうぼだい。「無上正覚(むじょうしょうがく)」に同じ。最上の完全な悟り。



 つまり、吉本氏によれば、「弱小なもの、‥」の「無償や善意」にふれた衝撃、それらにたいする「敏感な察知の場」、それら「無償や善意」がつくりだす「磁場」は、<ほんたう><まこと>「へつづく通路の入口」だと言うのです。

 そして、どうやら、<ほんたう><まこと>の「聖領域」とは、「宗教的な至上世界(無上菩提)」であり、「<天上>のユートピア」である……というのが、吉本氏の読みとった宮沢賢治の考えであるようです。また、ここで吉本氏が言う宮沢賢治の「<天上>}とは、必ずしも死後の世界ではなく、悟りきった人にとっては、この世がそのまま<天上>であるというようなこと、つまり、「『心理学』上の構想」である賢治の「ユートピア」―――吉本氏によれば「幻想的美化」、すなわち現実の隠蔽であり、現実からの「幻想的離脱」である―――なのだと思います。

 しかし、吉本氏がここで、弱者の「無償や善意」を<察知>することが、<ほんたう><まこと>「へつづく通路の入口になっている。」と述べていることを、まえに述べていた「ユートピアへの狭き門」(op.cit.p.24)と重ねますと、

 賢治の「ユートピア」は、「狭き門」の向う側にある……「<察知>の能力」を身につけた少数の求道者だけが、そこをくぐりぬけて「至上世界」に入ることができる……ということになります。

 というのは、この「<察知>の能力」は、“<如来>の察知の能力”すなわち「一切種智」と同じものだとされるからです。

 吉本氏は、『猫の事務所』について述べた箇所で、この弱者に対する「<察知>の能力」、すなわち『雨ニモマケズ』の「ヨクミキキシワカリ」は、如来の「一切種智」の能力だと言っていました:



「『ヨクミキシワカリ ソシテワスレズ』という個所
〔…〕聡明な判断力、理解力、記憶力といったものをたくさんのなかから選択していること〔…〕

 宮沢賢治が好んでいる<察知>の能力(あるいは超能力)の強調に結びつけたいようにかんがえられてくる。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.14-15.

 ⇒:選ばれた者のユートピアか?誰でもの「さいはひ」か?(3)



「なぜ突然『獅子』が窓の外からのぞいたのか。
〔…〕そして一瞬のうちに『かま猫』がいままでみなから意地悪されいじめられてきたという<猫>の事務所の<歴史>と<地理>を、その場の様子ですぐに<察知>したのか。〔…〕

 わたしの憶測をいえば、突然猫の事務所をのぞきに登場し」
「『獅子』は、『法華経』のなかの〔…〕究極の一切種智を説く<如来>から着想された。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.19-20.

☆ 「一切種智」:一切のものについて、個々の具体的、特殊的な姿を知る智慧。仏の有する、最高の完全無欠な智慧。仏智。

 ⇒:選ばれた者のユートピアか?誰でもの「さいはひ」か?(4)





 
『猫の事務所』    





 吉本氏は、この論文以後の講演でも、同じことを述べています。↑上のことを、わかりやすいコトバで語っているので、引用しておきたいと思います。



「この作品
〔『銀河鉄道の夜』―――ギトン注〕を読む場合、登場人物たち、とくに主人公のジョバンニや副主人公のカムパネルラの敏感な気づき方とか察知の仕方とか、わかり方をよく描いていることが、とても大きな特徴で、この作品をいい作品にしている要素だとおもいます。

 たとえば冒頭の、午後の授業という場面がそうです。
〔…〕それはいわば作者のもっている察知の力にかかわるとおもいます。つまり、そういう敏感さは心理的な敏感性なんですが、宮沢賢治はそれを一種の倫理の敏感さにもっていこうとするわけです。〔…〕

 よくよく作者の思惑を察知してみますと、
〔…〕その心理主義的な察知の仕方を、倫理として、つまり人間の善なる行いであるというふうにもっていきたいのが宮沢賢治のモチーフだとおもいます。

 モチーフがどこからくるのかは、たいへん明瞭で、仏教的な倫理観からだといえます。法華経という経典の根本的な倫理は菩薩行ということです。つまり超人的な意志でじぶんを粉にして人に与えてしまうというのが菩薩行です。
〔…〕そこで菩薩はどんな特性をもっているかといいますと、ひろく大乗仏教の理想ですが、鋭敏な察知がすぐでき、その察知のように他人を救済することです。つまり、〔…〕遠くに離れている人でも救済をもとめていれば、すぐにその場所に行ってその人を救けられる。菩薩の察知はそんな時空を超えたものです。〔…〕

 『ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ』という言葉があるでしょう。あれはほんとうは、ただそういっているだけじゃなくて、菩薩でありたいということです。」

吉本隆明「宮沢賢治 詩と童話」,1992年講演, in:ders.『宮沢賢治の世界』,pp.265-267.



「宮沢賢治にもそういうところがしばしばあります。
〔…〕あの人は超人、菩薩になりたかった。そのために、盛んに精進に精進を重ね、無理に無理を重ねていく。菩薩というのは向こうの世界から来た人だというのが、大乗仏教の考え方です。〔…〕そういう人に学ばなければいけないというのが仏教の考え方です。そういうところに宮沢賢治は行きたかった。そして、生涯それに費やした。」
吉本隆明「宮沢賢治を語る」,1990年講演, in:ders.『宮沢賢治の世界』,p.214.





◇    ◇





 さて、ここで吉本氏の論理をまとめてみますと、つぎのようになるでしょう:



@ まず、「弱小な者」の「<無償>や<善意>の行為」というものがあります。「さげすまれ」「ないがしろにされている」者、つまり差別されている者が、差別に対して抗議するのではなく、逆に、差別するものに対して「<無償>や<善意>」を向けるとき、そこに大きな「磁場」が現れます。

 「磁場」が現れるという意味は、ふだんなんでもない平板な世界が、「弱小な者」の「<無償>や<善意>」に接したとたん、その「磁力」が、その世界のすべての倫理的意味を規律するようになり、その「場」にいる者はみな、反発力であれ、吸引力であれ、磁極から抗いがたい力を受けるということです。



A そこで、それまで“なんでもない”――差別など無い―――と思われていた世界に「磁場」が現れた効果は、まずは大混乱をひきおこし、「対処のしようもないほどおたおたした羞恥や狼狽や戸惑い」が「巻きおこされ」ます。



B しかし、「磁場」の効果は、つねに現れるわけではない。「さげすまれ」「ないがしろにされている」者の「<無償>や<善意>の行為」を、「無償」「善意」と察知するためには、<察知>の能力が必要だからです。弱者をしいたげている者は、しいたげられて抗議もせずに堪えている弱者の<善意>を、<察知>することがないがゆえに「しいたげ」を続けているとも言えます。

 この<察知>の能力とは、<如来>の「一切種智」の力にほかなりません。『猫の事務所』では、「獅子」によって<察知>の力が発揮された時にはじめて、「事務所」の猫たちは、それまで見えなかった差別の実態―――現実の<ほんたう>のすがた―――に直面し、「うろうろ」となすすべなく徘徊する状態に陥ります。

 しかし、<如来>でなくとも、子供のような先入見のない無垢な者や、自らも差別され「しいたげ」られている者、あるいは、<察知>力を身につけるために感性を研ぎすましている者は、<察知>を行なうことができる場合があるわけです。



C この<察知>の能力は、『雨ニモマケズ』の「ヨクミキキシワカリ」という句の「ワカリ」が表現しているものにほかなりません。



「詩語『雨ニモマケズ』のなかの難解な『ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ』の『ワカリ』という言葉はたぶんここに関連していた。それは<察知>そのままの場が<天上>のユートピアへゆくのだというかれのかんがえをあらわしていたと受け取れる。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.25.











D この<察知>の能力は、『マリヴロンと少女』では、「日常の生活の所作のすべて」を「芸術として感覚することができる」能力とされます。<如来>の<察知>の前では、あらゆる人は、その生きたあとに、その人にとって「最高の芸術」を残してゆく。それを、マリヴロンは「見る」のだと言う。そのような<如来>の<察知>の視線を、彼女は「まことのひかり」と呼んでいます。



E 「弱小な者」の「<無償>や<善意>」に対する<察知>の能力は、賢治が求めてやまない<ほんたう><まこと>の領域、すなわち「無上菩提」「<天上>のユートピア」への入口にほかなりません。

  ここで<天上>とは、雲の上や宇宙のかなたにある楽園のことではなく、地上に実現される世界です。すなわち、心がけ次第で、この世は<天上>にも地獄にもなると、『法華経』で説かれているところの<天上>です。

 そういう意味での<天上>、「無上菩提」、すなわち最高の悟りに至るためには、<察知>の能力の修練が必要なわけで、その「入口」は「狭き門」なのです。



F したがって、宮沢賢治自身、作品のなかでは、しばしばこの<察知>力の処理に失敗して、「宗教的な倫理や自己犠牲」という「宗教的な屈折」や「ナマのままの救済観念」の吐露に陥ってしまうことがあるのです。



「もちろんここは宮沢賢治自身にとっても危ない通路であった。かれの作品の言葉がしばしば安易な形で宗教的な教説に堕ちてゆくところに通路の危うさがあらわれている。またかれが
〔…〕その<無償>や<善意>を宗教的屈折に短絡させようとしたところにもあらわれた。

 
〔…〕<善意>や<無償>から宗教的な倫理や自己犠牲にと流れてゆく通路は、かれが心弱かったときに早急にいつも駆け抜けてゆく通路であった。」
「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,pp.25-26.



 吉本氏は、「宗教的な屈折」の例として『烏の北斗七星』から「烏の大尉」の独白を引用していますが、これについては、次回あらためて検討したいと思います。



G 
「かれが生のまま救済観念として他者に提供したところは、かれ自身にとっては少しも救済にならなかったのは明瞭であった。」「かれの主観がどうであったとしても、こういう宗教的な屈折は、〔…〕本筋ではなかったといっていい。」(op.cit.,p.26)


 賢治の「本筋」、―――つまり、<ほんたう>や<まこと>を強烈に求める賢治の思念の根底にあるものは、「宗教的な倫理や自己犠牲」でも、仏教的な「救済」の観念でもなく、

 たとえば、童話『土神ときつね』で、嫉妬に狂った「土神」が「きつね」を衝動的に捩じり殺してしまうような、どろどろした暗い情念なのだと、吉本氏は言います。

 あるいは、「本筋」の別の例として、童話『カイロ団長』が引かれます:



 「カイロ団長」(とのさまがえる)が、「あまがえる」たちを奴隷的に酷使して、重い石を運ばせていたが、「王さまの新らしいご命令」が発令されて、「ひとにものを云ひつける」者は、「云ひつける仕事」に自分の体重と相手の体重の比をかけた量の仕事を、2日間行わなければならないこととなった。



「あまがえるはみんなでとのさまがえるを囲んで、石のある処へ連れて行きました。そして一貫目ばかりある石へ、綱を結びつけて

 『さあ、これを晩までに四千五百運べばいいゝのです。』と云ひながらカイロ団長の肩に綱のさきを引っかけてやりました。
〔…〕

 とのさまがえるは又四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいの時は足がキクッと鳴ってくにゃりと曲ってしまいました。

 あまがえるは思はずどっと笑ひ出しました。がどう云ふわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、この時のさびしいことと云ったら私はとても口で云へません。みなさんはおわかりですか。ドッと一諸に人をあざけり笑ってそれから俄かにしいんとなった時のこのさびしいことです。

宮沢賢治『カイロ団長』より



 つまり、「いじめられるもの」「さげすまれるもの」に対する賢治の感受性は、対象が「弱小なもの」であるときにだけ発揮されるのではありませんでした。「カイロ団長」のように“強大な者”に対しても、発揮されたのです。むしろ、“強大な者”に対しては、この例のように、ちょっと嘲けただけで、過剰なほど発揮されるのですから、賢治は、「弱小なもの」をかばう以上に、“強大な者”をかばうことに熱心だったと言ってよいくらいです。

 このように、どういう方向に向ってゆくのかも見きわめがたい不定形な情念が、宮沢賢治にとっては「本筋」だった――と吉本氏は言うのです。



H 「本筋」、つまり、<ほんたう>や<まこと>を強烈に求める賢治の根底にあった・どろどろした情念は、それをどこまでも追求して行ったからといって、普遍的なものに達することはできない。「土神」や野原の樹木や「びろうどのきもの」のような個別の美しい形象を、そこから昇華させることはできたとしても、けっきょくは単なる「景観に化してしまう」、それ以上のものにはなりえないのだと吉本氏は言うのです。

 したがって、宮沢賢治が作品の世界を描くには、あらゆる「事物の状態と意志とを」一瞬にして<察知>する<如来>の視線―――「遠くからの視線」(“視線B”)もまた、必要であったと、吉本氏はまとめます。



「河谷や丘や風や木立ちとして景観に化してしまう<視線>とともに、

 銀河系のどこかから差し込んできてすべての景観の要素をじぶんも含めて、あたかも水槽のなかにおさめてしまうような遠くからの<視線>もかれには必要であった。この<視線>の複合性と自在さに、メタフィジイクな性格があたえうるとすれば、世界のすべての事物の状態と意志とを瞬時にわかってしまう唯一の至上の存在としての<如来>という大乗教の概念であった。」

「賢治文学におけるユートピア」, in:『国文学』,23巻2号,p.26.



 すなわち、吉本氏がこの論文の最初で述べていた、登場人物の動き回る空間全体を、無限遠から眺めているような「遠くからの視線」(視線B)とは、<如来>の「一切種智」の<察知>の視線にほかならないことが、ここで明かされます。





 





 つまり、吉本氏によれば、<如来>の現れ方は、2とおりあることになります。

(A)ひとつは、<ほんたう><まこと>を察知する<察知力>としてです。賢治は、<如来>の特性であるこの<察知力>を得ることによって、「無上菩提」(最高の悟り)に達することを希います。

(B)しかし、もうひとつは、作品の景観全体を視野に収める「遠くからの視線」(視線B)としてです。この「遠くからの視線」は、<如来>の「一切種智」の<察知>の視線にほかならないとされます。



 このように、“如来性としての察知力”あるいは“察知の視線”というものを、場合によって2とおりに説明する吉本氏の論理が、矛盾をきたすものでないかどうか、正直言ってギトンにはよくわかりません。

 ともあれ、次節(ホ)では、この<如来性>ということを軸にして、吉本氏の議論は展開します。

 ただ、その前に、さきほど宿題にした『烏の北斗七星』について、吉本氏の議論と、それとはやや違うギトンの理解とを対比して述べたいと思います。







ばいみ〜 ミ



 
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カテゴリ: 宮沢賢治

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