10/13の日記

00:27
【ユーラシア】ルバイヤートと宮沢賢治(2)

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野生のチューリップ(ラル国立公園、イラン)    







 こんばんは。(º.-)☆ノ




 宮沢賢治の青年期に、日本で容易に入手できた『ルバイヤート』の訳本は、↓次の3種でした:



(a) 上田敏・編『The Victorian Lyre (ビクトリア詞華集)』,1899年,丸善.


(b) オオマア・カイアム・原著,フィッツジェラルド・英訳、竹友藻風・訳『ルバイヤット』,1921,アルス.


(c) 荒木茂「オムマ、ハヤムと『四行詩』全訳」, in:『中央公論』,第35年11号,1920年10月,説苑pp.1-43.




 (a) は、英詩を集めた英語の本ですが、フィッツジェラルドによる英訳『ルバイヤート』(かなり自由な意訳)のうち101首を載せています。

 (b) は、フィッツジェラルド英訳からの重訳で、110首搭載。

 (c) は、オックスフォード大学所蔵のペルシャ語写本から直接日本語訳したもので、158首。


 とくに、(c) は‥ ミヤケンは月刊誌『中央公論』を読んでいたといいますから、この記事は目に触れたでしょうし、興味があれば熟読したはずです。

 (c)にも、保阪が紹介したフィッツジェラルド訳と同様の“回転する天の椀”を歌った詩篇があります:




     第百弐拾九

 ◎此回転する蒼穹は爾
〔なれ〕と我が破滅の時、
   我等の無垢なる霊魂の為めに画策あり、
    芝生に来たれ、愛
(プーダー)よ、時遠からざるべし、
     爾と我が土より緑草萌え出づるの時。



 『中央公論』の記事にある訳者の注釈に、「プーダー」は「偶像」を意味する語だとありますから、“愛する人よ”というような意味と知れます。













「どこからか葡萄のかほりがながれてくる

 七月なのに息も芳しく葡萄のかほりがながれてくる

 それは土耳古玉の天椀のへり

 谷の向ふの草地の上だ

 月光いろに盛りあがる

 幾群もの年経た栗の梢から

 風にとかされきれいなかげらふになって

    ……匂ある風は

      匂ない風より光るのだから……

 幾すじも幾すじも

 ここらの尾根を通ってゐるのだ

    ……ぼそぼそ燃えるアイリスの花……

   
〔…〕
宮沢賢治『春と修羅・第2集』#368,1925.7.19.「種山ヶ原」【下書稿(一)第一形態】「パート1」




 「土耳古玉
(トルコぎょく)の天椀」が現れるこの詩でも、同時に「葡萄のかほりがながれてくる」と、ブドウ(酒?)も登場します。

 やはり、オマル・ハイヤームの芳醇な葡萄酒への耽溺を念頭に置いたイメージ世界でしょう。

 その「葡萄のかほり」は、天末線(「天椀のへり」)に近い「谷の向ふ」の「幾群もの年経た栗の梢」から風に乗ってただよって来るのだと言っています。この「栗の梢」にも注目したいと思います。というのは、栗の花の香りは、“愛の営みを思わせる”と言われているからです:




「大きな栗の木の下で

 あなたとわたし

 楽しく遊びましょ

 大きな栗の木の下で」



 ある年配の人の言うところによると、↑この歌は、栗の花の匂いが人の精液の匂いに似ているからだと言うのです。

 ギトンにはほんとうかどうか、わかりませんw たしかに、栗の花は、陶酔的な甘い強い匂いをただよわせますが、精液とはちがうような気がしますし‥

 ともかく、“栗の花の匂いは人の精液の匂いに似ている”ということが、昔から一部で言われてきたことはたしかなようです。つまり、賢治のこの詩も、“情事の香り”を暗に詠っているのかもしれません。








  
      クリの花(向山、奥多摩)







A チューリップのモチーフと、自家ワイン醸造への関心





 オマル・ハイヤームのルバイヤートには、「薔薇色の酒」「紅酒」「紅玉色の酒」
(←いずれも荒木訳)などの名で赤ワインが頻繁に登場しますが、それと並んで、バラ、チューリップなど草木の花も、しばしば歌われます(以下、(c)荒木訳):

 

     第四拾参

 ◎薔薇と鬱金香
(ちゆーりつぷ)に満てる處には、
   嘗て王の流がせる深紅の血あり、
    地上に生い出でたる紫の嫩芽は、
     もと麗人の額にありし黒子。


     第八拾弐

 ◎黎明鬱金香
(ちゆりつぷ)の面に宿る露、
   その頭をうな垂る花園の菫、
    薔薇の蕾を見て我心よし、
     その花弁を集めて己を擁く。


     第百弐

 ◎爾もし酔ひしならば、幸なれ、
   鬱金香
(ちゆりつぷ)の面影のものと俱にあらば、幸なれ、
    宇宙転行の終熄には爾皆無となれば、
     爾存在する時非存在を想ひて幸なれ。


     第百五拾参

 ◎鬱金香
(ちゆりつぷ)の色めく澄める紅酒を傾け
   又は酒瓶の頸より清き血を搾らん、
    今は我が為めに王蓋の外に、
     眞
(まこと)の心持つ一人の友もなければ






 (b)竹友藻風訳 からも拾っておきますと:



     四十三

 さらば、かの鬱金香
(チユリツプ)が盞あげて、
 つねの餐
(け)の天上の酒受くるごと、
 なせよ、汝
(なれ)、地のふた兒、汝をみ空の
 飲みほせる盞と地にかへすまで。






 このように、チューリップの歌が非常に多いのですが‥ それもそのはず、このイラン東部から中央アジアにかけては、チューリップの原産地なのです:



「では、チューリップの故郷はどこか。
〔…〕ハイヤームの故郷ニシャプールからトルキスタンにかけての砂漠と草原地帯が、チューリップの原産地なのだ。」

「砂漠に近い荒れた地で野生のチューリップが一斉に花を開くのは3月の彼岸の頃だ。一度その時期を狙って中央アジアに入り、世にも美しい光景を目にしたことがある。サマルカンドの南からトルクメニスタンにかけての地面が、見渡す限り赤、ピンク、黄色、白のチューリップとケシの花で絨毯を敷き詰めたように埋めつくされていた。」

金子民雄『ルバイヤートの謎』,集英社新書,pp.121,124.









野生のチューリップ(ザグロス山脈)








 ところで、宮沢賢治作品にも、テーマとしてチューリップを扱ったものがいくつかあるのですが、『ルバイヤート』を読んだ目で見ると、いずれもハイヤームの影響を受けて書いているように思われます。

 まず、初期作品とされる短歌稿の中に、↓つぎの1首があります(金子さんの本には挙がっていませんが):





 チュウリップ
 かゞやく酒は湧きたてど
 そのみどりなる柄はふるはざり。

『歌稿B』#492〔初期形〕




 最初から、チューリップと酒がいっしょに出てきましたw

 この 492番の短歌は、なぜか『歌稿A』には収録されていません。『歌稿B』では、1917年4月のところに収められています。『歌稿A』では漏らした1917年の歌を補って収録したのか、それとも、1921-22年頃『歌稿B』を編んだ際に新たに作ったのか。

 後者ではないかと思います。というのは、1917年には、(b)(c)の訳書はまだ出版されていませんから。

 おそらく、1921-22年に荒木訳か竹友訳を読んだインスピレーションで書いた短歌でしょう。1917年4月の項に並べたのは、この時期に、親しくなった保阪からルバイヤートについて聞き及んだ思い出を記念するためではないでしょうか。

 手入れを加えた最終形は、つぎのようになっています:




 かげらふは
 うつこんかうに湧きたてど
 そのみどりなる柄はふるはざり。

『歌稿B』#492〔最終形〕



 「うっこんかう」は「鬱金香」で、チューリップのこと。

 この修正された形を見れば、チューリップの花杯に陽の光が満ちて、中からかげろうがまばゆく立ち昇っているさまを歌っていることがよくわかります。それが

 「かゞやく酒は湧きたてど」

です。

 しかし、

 「みどりなる柄はふるはざり」

とは、どういうことでしょうか?花柄は震えることもなく、しっかりと立っているという意味にもとれます。逆に、“振るわない”、花杯は盛んに輝くのに、「みどり」の柄には活力がない‥という否定的意味にも感じられます。

 しかし、これは、次回見るように、同じ時期に書かれた童話『若い研師』での記述から考えて、前者の意味にとっておくのがよさそうです。つまり、「みどりなる柄」は、“光の酒”の湧出する花冠を支えているにもかかわらず、振動することもなく静かに立っている。そして、『若い研師』を見ると、ここには仏教的な思考さえ読みとれます。

 この点は、次回詳しく見ることになります。







 さて、ここで想起されるのは、1921年4月の日付を持つ長詩『小岩井農場』の↓つぎの一節です:



67櫻の木には天狗巣病がたくさんある

68天狗巣ははやくも青い葉をだし

69馬車のラツパがきこえてくれば

70ここが一ぺんにスヰツツルになる

『春と修羅』「小岩井農場・パート3」



 「天狗巣」は、桜の樹、とくにソメイヨシノがかかりやすい病気で、この病気にかかった樹は、春先から混み入った細かい枝葉が伸びてしまって、花は咲かなくなります。最近でも、小岩井農場の桜並木が天狗巣にやられた年は、お花見どころではない残念な景色になってしまうのです。

 ところが、賢治は、ソメイヨシノの花よりも、天狗巣の緑の枝のほうがお気に召している様子なのです。

 「スヰツツル」は、スイス。天狗巣の緑の繫みを眺め、馬車(小岩井農場を運行している“トロ馬車”)のラッパの音が聞こえると、あたりはまるでスイスのような別天地になると言うのです。⇒:ゆらぐ蜉蝣文字 3.4.11




 賢治の“天狗巣好き”は、長詩『小岩井農場』より少し前の作品を見ると、さらによくわかります:



 そら高く風鳴り行くを天狗巣の
 さくらの花はむらがりて咲く。


 天狗巣の花はことさらあはれなり
 ほそぼそのびしさくらの梢。

保阪嘉内宛て書簡,1919.5.2.



 眩ぐるき、
 ひかりのうつろ、
 のびたちて
 いちじくゆるゝ
 天狗巣のよもぎ。

『冬のスケッチ』,(38)2.



 『冬のスケッチ』は、1921年末〜1922年春までに書かれたもの。


 このように、この時期(『春と修羅』執筆の前半期まで)の賢治には、自分の中にある耽美志向を厭い、あるいは抑える気持ちが大きかったように見受けられます。(そして、天狗巣のような、優美な桜の花の対極にあるようなものに執着し、そこから、一気に“天上”へ伸び上がろうとする気持ちがかいま見えます。)






  
野生のチューリップ(キオス島、ギリシャ)








 しかし、この『小岩井農場』でも、チューリップをずっと小型にしたような野生の花オキナグサには、ブドウ酒と関連させながら愛着をそそいでいるのです:




31くらかけ山の下あたりで

32ゆつくり時間もほしいのだ

33あすこなら空氣もひどく明瞭で

34樹でも艸でもみんな幻燈だ

35もちろんおきなぐさも咲いてゐるし

36野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて

37わたくしを款待するだらう

『春と修羅』「小岩井農場・パート1」



⇒:画像ファイル:オキナグサ

⇒:ゆらぐ蜉蝣文字 3.2.4




「花弁が開きかけた翁草は、小さなチューリップのような形をしている。色合は赤紫、あるいはワインレッドとでも言うべき色だ。

 賢治の書いた『野はらは黒ぶだう酒のコツプもならべて』のくだりは、つぼみをふくらませようとしている翁草を、ワイン・グラスに例えたのではないだろうか。
〔…〕

 野原のなかにワイン・グラスをずらりと並べて、客人を歓待しようとしているのではないだろうか。

 ここで思い出されるのは、トルクメニスタンの南縁、イランとの国境線沿いにあるコペット・タグ山脈だ。せいぜい高度数十から数百メートルの山脈で樹木は一本も生えていないが、春三月になると、このゆるい緑の草地に野生のチューリップが一斉に咲き始める。それはまさに天然の絨毯を敷き詰めたような光景だ。」

金子民雄『ルバイヤートの謎』,pp.150-151.






「うずのしゅげを知ってゐますか。

 うずのしゅげは植物学ではおきなぐさと呼ばれます
〔…〕


 まっ赤なアネモネの花の従兄、きみかげさうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらひなものはありません。

 ごらんなさい。この花は黒朱子
〔くろじゅす〕ででもこしらえた変り型のコップのやうに見えますが、その黒いのは、たとへば葡萄酒が黒く見えると同じです。この花の下を始終往ったり来たりする蟻に私はたづねます。

 『おまえはうずのしゅげはすきかい、きらひかい』

 蟻は活発に答へます。

 『大すきです。誰だってあの人をきらひなものはありません』

 『けれどもあの花はまっ黒だよ』

 『いゝえ、黒く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃えあがってまっ赤な時もあります』

 『はてな、お前たちの眼にはそんな工合に見えるのかい』

 『いゝえ、お日さまの光の降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだらうと思ひます』

 『さうさう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから』」

宮沢賢治『おきなぐさ』



 オキナグサは小さいので(気をつけて歩かないと、踏んづけているのに見逃してしまいます)、人間の背の高さから見ると黒い花に見えます。しかし、蟻の高さから見上げると、日の光を透かして深紅に光って見えるというわけです。

 この童話『おきなぐさ』は、草稿の用紙から1922-23年頃の執筆と推定されます。

















 さて、ミヤケンの短歌と詩集では、“ルバイヤートのチューリップ”への傾倒までは、いま一歩というかんじでしたが、童話では、賢治は『ルバイヤート』の世界に、ずっと深く踏み込んでいます。

 それは、『若い研師』という断片的な草稿が残っている童話で、さきほどの短歌 492番の構想をさらにふくらませたような内容です。“光の酒”を湧き出させるチューリップが描かれているだけでなく、そこでは、“チューリップ酒”で酔い心地になった二人の男の会話が描かれています。

 しかし、『若い研師』については、次回にしたいと思います。






ばいみ〜 ミ




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カテゴリ: ユーラシア

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