04/24の日記

16:03
【BL週記】大塚さんのインタヴュ記事に ウ〜ン‥

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 んちわ(^.^)っ



 1990年代に、宝島社から『ゲイの贈り物』など3冊のゲイ・レズビアン関連ペーパーバックが発行され、数度にわたってテレビの“二丁目”取材番組が放送される、それまでは考えられなかった数の人が週末ごと“二丁目”に集まるようになって、ようやく同性愛者の存在が人々に気づかれることとなったのは、記憶に新しいことです。

 このギトン・ワールドで扱っている“宮沢賢治”についても、菅原千恵子さんの『宮沢賢治の青春』(⇒電子書籍版『宮沢賢治の青春 “ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって』)が、この90年代の流れで、1998年に宝島社から出版されています。⇒〜〜ゆらぐ蜉蝣文字〜〜いんとろ【8】

 このブームの中で、ようやく自分が同性愛者だという自覚を持ち始めた人は多かったと思います。ギトンもそうですが、周辺世代のゲイの多くは、この時からゲイの意識を持ち始めたのではないでしょうか…

 私たちにとっては、これは単なる一過性の“ブーム”だったのではなく、多かれ少なかれ私たちひとりひとりの人生を変えた大きな出来事だったのだと思います。










 ところで、90年代のいわば“牽引役”だった大塚隆史さんが、最近、ハフ・ポストのインタビューに答えて、現在と将来の私たち、また私たちと社会の関係について語っておられるので、ご紹介したいと思います:

90年代のゲイブームを牽引した大塚隆史さん、LGBTを語る「一過性で終らせないために、すべきことがある」(HuffPost 2016.4.2.)







「たしかにゲイ3部作
の1冊目『ゲイの贈り物』はけっこう売れたんです。でも3冊目の『ゲイの学園天国』はあまり売れてなかったんじゃないですかね。だから初めはワーッと盛り上がったけど、それほどおカネにならないとわかったらスーッとひいていっちゃったというのが、90年代ゲイブームの印象です(笑)。」

※ 90年代に宝島社が発行した3冊の『別冊宝島』:『ゲイの贈り物』『ゲイのおもちゃ箱』『ゲイの学園天国』。





「−−ただ当時はリブに対する理解は、ゲイの間でさえ低かったですよね。
 府中青年の家裁判についてもコミュニティの中で賛否両論がありました。

 リブはブスがやることだって言われてましたからね(笑)。モテない人たちがやってることだっていう認識も一部にはあったんですよ。

 僕が新宿にバーをオープンしたのが1982年ですが、当時、2丁目で遊んでる人たちのほとんどが、いずれ女性と結婚するのが当たり前だと思っていた。結婚した後にどうやってうまく遊ぶかなんていうことがゲイバーで盛んに話題にされていたので、男同士の長い関係なんていう話をするとバカバカしいと笑われた。同性婚なんて発想すらありませんでしたね。

 それぞれの事情もあるでしょうが、(ゲイであることを隠す)クローゼットであることが当たり前だった時代。そういう状況でリブのような、ゲイであることをオープンにしていこうという運動に接すると、自分の中で抑えていたものがザワザワと騒ぎ出すような感覚があったんじゃないでしょうか。だから余計に嫌悪感を持たれていたんでしょう。逆に言えば、気にはなっていたんだと思います。そう出来ればいいよなっていう気持ちもあったんでしょうね。」



 たしかに、大塚さんなどの・ゲイであることをオープンにして、社会の偏見を除去して行こうという方向に対しては、“二丁目”を中心とする人たちの間から大きな反発があったように、ギトンも記憶しています。

 “人に知られないように、ひっそりと(≒こっそりと?)やっているのがよいのであって、オープンにすると却って社会の偏見を助長してしまうから、迷惑だ。やめてほしい。”という意見です。

 先日は社民党のゲイ候補の応援をしていたあの伊藤文学さんなども、

 当時は、自ら編集するゲイ雑誌を中心に、大塚さんらの運動に反対する論陣を張っていました。

 伊藤さんらの“旧来”型の、保守的で後ろ向きな議論が、当時のゲイの間ではむしろマジョリティだったと思います。それは、‥“目覚めた”ばかりの私たちには‥、起き抜けの顔面に冷たい水を浴びせられるような、たいへん残念な意見に思われたものです。

 東京のゲイ・パレードが、暴力団のような人たちの介入によって中止に追い込まれたり‥といった混乱が重なったのも、この“ブーム”が終息する過程でのできごとでした。




 






「−−同性パートナーシップ条例など、現在またLGBTをめぐる動きが再び注目を集めています。

 ただ、ゲイのことが知られて行くにつれて、ゲイにとって話題にされたくないような部分も表に出てくる可能性があります。たとえば先日(2015年9月)も地上波の深夜番組でハッテン場について取り上げられたりしました。この番組で取材していたのは海外のハッテン場でしたが、これから日本についても話題になることがあるかもしれません。そういう部分をどう説明するかも、これからの課題ではないでしょうか。

 セックスについて言えば、ゲイが特に乱れていてストレートの人たちが乱れていないかというと、それは疑問ですけどね。性的行動の突出したところを捉えて語ろうというのは、ゲイを“特殊な人たち”に押し込めようとする動きであり、ゲイに対するフォビア(恐怖症)が働いてるんだと思います。そして、そのフォビアは当事者でも内面化してしまっている人がいる。そういう人は、セックスについて取り上げられるとショックなのでしょう。

 確かにゲイは妊娠するわけじゃないし、感染症のことはあるけれども、セックスをしやすい状態の人たちがいるから性的に活発に見えてしまうことはある。でもだからといって、結婚などの権利を抑えていいということはないし、そこをバーターにしなければいけないという問題でもない。

 そこはちゃんと主張していかなければならない。そのためには、一般的な感覚を持ったLGBTがもっと前にでていく必要があるでしょうね。ゲイにもハッテン場なんか行かない人もいるけど、そういう人たちが前に出て行っていないから、性的に突出した人たちをほじくり返して、『ホラ、ゲイはこんなに特殊なんだ』って言われがち。

 ストレートにも性的に自由な人はいるけど、そうではない人が前に出ている。セックスというパーソナルな部分ではなく社会的な顔を前面に出しているというだけです。その社会的な顔という部分をLGBTがどうやって確保していくかということなんじゃないかと思います。」



 大塚さんは、「バーターにしなければいけないという問題でもない。」と言っていて、“同性婚などの権利を認めさせるために、ハッテンバや放縦なセックスを抑制すべき”という考え方を否定しています。

 しかし、(現在、ゲイに関する議論はネットが中心なので、ネットでの話ですが‥)ゲイの“権利拡張”に対して浴びせられる非難には、“人口減少を助長する”という論点のずれた批判のほかに、“やりたい放題になる”“欲望を抑えきれない人たちだ”という批判ないし嫌悪が、非常に多いと思います。

 “同性愛などを公認したら、社会の風俗が乱れる”という・いわば伝統的な批判も、はっきりと表明されてはいなくとも、背景には根強く残っていると思うのです。

 ゲイの一部の人たちに対して、“放縦なセックスをやめなさい”などと言うつもりは、ギトンも全く無いのですが、私たちの中で、放縦なセックスや乱交を“売り”にするのはどうかと思います。

 たしかに、セックスが───しかも不特定多数とのセックスが───大好きな人もいます。毎日のようにしている人もいます。そういう人たちの存在を否定したいとは思わない。しかし、それほどでない人───ギトンのように───も多い。むしろ不特定者と会うことを嫌う人だっているのです。

 ゲイ“だから”、不特定者と出会って性行為をしなければならないように思うのは、まったく間違えです。











「−−べつに性的に乱れててもいいじゃないという立場も取りうると思うのですが。ハッテン場というのも、それはそれでゲイにとって大事な文化じゃないか、というような。

 
〔…〕性的に放縦だっていうゲイのイメージってちょっと古いんじゃないかとも思います。最近はセックスをそんなにしないっていう若い子も多いですよ。昔のゲイは世間に受け入れられず、押さえつけられていたことの反動で、なにか掻き立てられるようにセックスをしているようなところがあったと思います。でも、ゲイであることが受け入れられるとそういうことをする必要もなくなってくる。


 −−ゲイのイメージも、時代に合わせて変わっていくのかもしれませんね。

 もちろんいまだに抑圧感の強い人たちもいて、そういう人たちは、まだ性的にアクティブなんだと思います。セックスをすごくする人と、あまりしない人と二極化しているのかもしれません。

 HIV感染予防に取り組んでる団体の人と話をすると『情報は一生懸命流しているし、必要なところにリーチしているはずなのに、なぜか感染率が下がらない』と言うんですね。どうも情報が届かないといよりは、耳を塞いでしまうような人たちがいるのかもしれない。それってフォビアとかそういう問題まで踏み込んでいかないとこれ以上先にいけないんじゃないか、という話をしています。


 −−自身がゲイでありながら、社会のホモフォビアを内面化してしまっているために、自分の性を受け入れることが出来ずに生きづらさを感じている人も少なくないと思います。そういう、いまだに強い抑圧を感じているゲイが、その反動で、先ほど言われた『掻き立てられるようなセックス』に走り、そのために感染症の情報に耳を塞いでしまうということでしょうか。

 そうですね。それを考えると、小中学校からセクシュアリティについて、きちんと教えて自分の性にネガティブな思いを持たせないとか、教育の現場でも性的マイノリティに配慮して、社会のLGBTに対する受け入れ度を向上させていくことが必要なのではと感じます。そういう取り組みをしないと、ただ感染率を下げることだけ考えても行き詰まるんじゃないかという関係者は多いですね。

 一部の人であってもドラッグを用いた危険なセックスをする人がいるということと、それによる性的感染症の問題は本当になんとかしなければいけないと思うんです。ここはゲイにとって最大のアキレス腱になるんじゃないかと。一番、批難されやすいところですから。」



 「いまだに強い抑圧を感じているゲイが、その反動で『掻き立てられるようなセックス』に走り、そのために感染症の情報に耳を塞いでしまう」というインタビューアーの指摘に対して、大塚さんも「そうですね。」と答えています。

 『掻き立てられるようなセックス』は自己抑圧の反動だ───という指摘は、人によっては耳が痛いのかもしれません。“オープンにしていない奴が、異常なセックスに走るのだ”と言い換えることもできるでしょう。

 しかし、この指摘をどう受けとめるかは、各自で考えてもらうほかはないとギトンは思っています。「おまえは、抑圧が大きいからセックスをしたがるのだろう。」などと、身の回りの誰かに言うつもりは、毛頭ありませんw

 自身について考えてみれば、ギトンは、ゲイのエッチやセックスは、山歩き、プールなどの“健康”な活動とセットになってはじめて気持ちよくできると思ってきました。

 それが解る人とは、過去の彼氏との付き合いでも、長続きしたと思います。

 結果として、ギトンは感染症には全くかかったことがありません。




 






「今は世界的な同性婚容認の流れといったゲイに肯定的なニュースがたくさん流れている中で、世の中に『ゲイもありなのかなあ』っていう空気がある。だからゲイに対して偏見を持っている人たちが勢いを得て動ける状況ではないと思います。

 ただ、なにかというと少子化がどうのと言葉を持ち出して押さえ込みたいという気持ちは、一部の人たちにはすごくある。そういう人たちのリアクションがこれから出てくるかもしれません。今のLGBTをめぐる動きを一過性のブームで終わらせないためにも、ゲイがすべきことがあるのではないでしょうか。」







ばいみ〜 ミ彡  


  
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カテゴリ: BL週記

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