03/29の日記

01:01
【宮沢賢治】旅程ミステリー:近畿篇(1)

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      法隆寺 南大門





(1)どっちの話がホントなの(?_?)





 1921年の“父子巡礼”3日目、京都から法隆寺への経路について、政次郎氏が、佐藤隆房医師に語った話と、戦後、小倉豊文氏に語った「笑話」とが、くいちがっている件‥

 すでに、 ギトンの Galerie de Tableauxで検討して、小倉氏のほうに軍配を上げておいたのですが‥


 時刻表で見ると、どうなのでしょうか?






「次の日の朝も早く宿を立ちまして、三十三間堂の近くにあった、中外日報社を訪ねて行きました。それは聖徳太子の磯長
(しなが)の廟に行く道順をたずねるためでした。高野〔こうや〕に行く線に乗ればよいと教えてくれたのですが、結局分かりにくい所なので方針を変えて奈良線に乗って奈良に向かいました。

 まず法隆寺駅に降り、寺に着いたのは午後二時頃でした。
〔…〕

 夕方近く、法隆寺を後にして奈良に向かいました。

 
〔…〕

 春日神社の入口の近くにある旅宿に旅装を解きました。」
(佐藤隆房『宮澤賢治』,第5版(改訂増補版),1970,冨山房,pp.72-73.)






「この旅行の父の計画については前述したが、聖徳太子の聖蹟では先ず河内の叡福寺の墓参りを予定していた。

 そこで京都に着くと年来愛読していた『中外日報』社に立寄って道筋を教わり、大阪に出て関西線に乗り、柏原駅で大阪鉄道河内長野行の電車に乗換え、太子口喜志駅に下車して徒歩参詣する心算だったのである。

 ところが柏原駅を乗り過してしまった。そこで叡福寺を法隆寺に振りかえたのだとのこと。『帝国文庫』と共に政次郎から聴いた思い出の笑話の一つである。」
(小倉豊文『「雨ニモマケズ手帳」新考』,1978,東京創元社,p.99.)







法隆寺 東院伽藍 伝法堂と鐘楼(国宝)





 佐藤氏の記述によれば、朝京都で行く先変更して、京都駅から奈良線→下り関西本線経由で法隆寺に直行したことになります。

 ただ、それにしては、「奈良に向かいました。/まず法隆寺駅に降り、」という言い方が、京都→奈良→法隆寺という位置関係から見て不自然なので、

 小倉氏のほうが正確だ、じっさいには、上り関西本線で来たのではないか───と考えたのでした。


 小倉氏のほうは、大阪鉄道(私鉄)の太子口喜志駅から叡福寺へ向かうつもりで、京都から大阪へ行き、現在の環状線外回りで大阪市内を縦断して※、天王寺から、大阪鉄道に乗換える柏原駅へ向かった(関西本線上り)けれども、柏原を乗り越してしまったので、そのまま乗って行って法隆寺駅で降りた───となります。

※ 現在の環状線の西側は、当時はまだ無く、大阪→京橋→天王寺→今宮→湊町という経路で往復運転していました。



 小倉氏が政次郎氏から聞いたのは、後年───戦後に語った“裏話”ですから、

  「寺に着いたのは午後二時頃」

 という佐藤氏の伝える時刻は、変更がないものとして、これを前提に考えてみます。




 




 まず、佐藤氏の経路(京都→奈良→法隆寺)で、時刻表を調べますと:


(官営鉄道・奈良線)
・・・・ ・@ ・A ・B ・C
京都発・ _800 _940 1052 1352
木津着・ _922 1043 1202 1512
木津発・ _923 1045 1204 1514
奈良着・ _937 1057 1216 1528

(官営鉄道・下り関西本線)
・・・・ ・E ・F ・G
木津発・ 1045 1139 1302
奈良着・ 1057 1153 1316
奈良発・ 1105 1158 1321
法隆寺発 1129 1222 1345



 法隆寺駅から法隆寺までは、1.7km ですから、徒歩で行ったとすると、脚の早い人(時速5km)で約20分、ふつうは 30分程度かかるでしょう。

 法隆寺駅で降りて、すぐに歩き出したとすれば、Gの列車(法隆寺駅13時45分頃着)が、「寺に着いたのは午後二時頃」にピッタリです。

 Gに乗り継げる奈良線の列車を探してみますと、Bになります。その場合、京都発車は 10時52分‥ほとんど11時です。

 「次の日の朝も早く宿を立ちまして、」

 という佐藤氏の記述とは、ちょっと違ってきますね‥


 京都・木屋町三条の「布袋屋」旅館(現・加茂川館)※から三十三間堂まで、2.7km(時速5キロで約32分。時速4キロで約41分)

 三十三間堂から京都駅まで、1.8km(時速5キロで約22分。時速4キロで 27分)

 ですから、旅館から「中外日報社」に寄って京都駅まで、歩行時間は 54分〜1時間8分‥つまり1時間前後。「中外日報社」では“玄関で社員に道を聞いた”だけですから(小倉氏)、立ち寄り時間は10分程度でしょう。

 ゆっくり見積もっても、旅館から京都駅まで1時間半と見れば十分でしょう。

 Bに乗ったとすれば、Aの発車時刻(9時40分)より後に駅に着いたはずですから、旅館を出たのは、その1時間半前───午前8時10分より後だったことになります。

 “朝早く宿を立った”とは言えないことになってしまいます‥

※ 京都で宿泊した宿については、⇒【宮澤賢治の詩の世界】京都における賢治の宿(1)





 もっとも、「中外日報社」に寄ったついでに、三十三間堂を拝観したり、その隣の法住寺には、前日に大乗院で見た“親鸞・蕎麦喰い木像”の2体目がありますから、そこを見たり、三十三間堂の真向かいにある京都国立博物館を見学したりしていれば、1,2時間は、すぐに経ってしまいます。

 朝早く宿を出て、それらを見て回って、11時近くに京都駅に着いた───ということかもしれませんが。。。



 それでは、1本早い列車で行ったとしたら、どうでしょうか?

 Aに乗ったとすると、旅館を出たのは、@の発車時刻 8時の1時間半前・午前6時半から、Aの発車時刻 9時40分の1時間半前・午前8時10分までの間ということになります。

 6時半〜7時頃出たとすれば、“朝早く宿を立った”という佐藤氏の記述が生きてきます。

 Aに乗ると、木津で2分の待ち合わせ、または奈良で8分の待ち合わせで、Eに接続します。11時半には、法隆寺駅に着いてしまいます。それから、途中でゆっくり食事をしてから寺へ行ったとしても、午後1時よりは前に法隆寺に着く計算です。A→Eですと、佐藤氏の“法隆寺到着午後2時頃”には適合しません。

 やはり、この経路で佐藤氏の記述に合うのは、B→Gの接続。木津か奈良で1時間の待ち合わせがあるので、ここで昼食をとることもできます。

 けっきょく、“朝早く宿を出た”という記述の疑問は、残ることになります。





    




 次に、小倉氏の“裏話”のほうを見てみます。経路は:京都→大阪→天王寺→法隆寺 で:






(官営鉄道・東海道本線)
・・・・ ・@ ・A ・B ・C ・D
京都発・ _845 _940 1040 1055 1150
高槻発・ _920 1015 ‥‥ 1150 1225
大阪着・ _952 1048 1132 1203 1259

(官営鉄道・城東線)
・・・・ ・E ・F ・G ・H ・I ・・ ・・
大阪発・ 1012 1042 1105 1133 1205 1233 1305
天王寺着 1035 1105 1128 1156 1228 1256 1328

(官営鉄道・上り関西本線)
・・・・ ・J ・K ・L ・M ・・
天王寺発 1054 1148 1232 1312 1420
柏原発・ 1119 1211 1305 1337 1443
法隆寺発 1147 1236 ── 1403 1509



 これは困ったことになりましたw 上り列車だと、“午後2時ころ法隆寺到着”に該当するもの(法隆寺駅13時30分〜40分)がないのです!

 しかし、Mで来れば、寺に着くのは2時半ころになって、まぁ、午後2時“ころ”到着と言えなくはありませんw

 あるいは、Kで12時半に到着して、駅の近くで、ゆっくりと1時間食事をしてから寺に向かう手もあるでしょう(現在は、駅の周りに食事のできる店はありませんけどねぇ‥)

 しかし、それよりも問題なのは、Lの列車です。もしLに乗車したとすると、これは柏原止まりですから、“乗り越し”をすることは、ありえません!! 叡福寺へ行くつもりでLに乗ったら、法隆寺へ行ってしまうことは、ありえない!!! そうすると、天王寺でLに乗れる時刻は外さなければなりません。

 つまり、11時48分と12時32分の間に天王寺に着いたとしたら、政次郎氏の“乗り違え話”はウソになってしまいますから、この時間帯には来ていないと思わなければならない。

 天王寺で“ブラックゾーン”にぶつかるのは、大阪駅でHかIに乗った場合、つまり、京都からBかCで来た場合です。

 つまり、BとCは除外しなければならない。京都でB,Cに乗れる時間帯、つまり 9時40分と10時55分の間に京都駅に着いた可能性も排除しなければならない。(Bは、京都と大阪の間の駅には止まりませんが、普通列車ですから、料金に問題はありません。‥それにしても、関西には100年前から《新快速》みたいな普通列車があったんですね^^ いや、《新快速》以上でしょう。高槻に止まらないんだからw)


 そうすると、可能性は2通りになります:


(A)6時45分より前に旅館を出て、8時15分以前に京都駅到着。@→E→Jと乗り換えて、11時47分ころ法隆寺駅着。

 しかし、これは早すぎます。駅の近くで1時間昼食を取っても、1時過ぎに法隆寺の門前に着いてしまいます‥


(B)6時45分〜8時10分の間に旅館を出て、Aに乗り、→G→Kと乗り換えて、12時36分ころ法隆寺駅着。

 そのまま法隆寺へ行くと、1時頃門前に着いてしまいますが、途中で1時間昼食をとれば、2時頃門前着となります。


(C)9時25分以後に旅館を出てDに乗った場合。法隆寺駅は、午後3時9分になってしまいますから、これも可能性から排除です。



 けっきょく、小倉氏の経路で可能性があるのは(B)だけ───ということになります!

 (B)は、京都の旅館を出る時刻は、“朝早く”になって、佐藤氏の記述とも合います。また、佐藤氏の場合のように、京都駅に着くまでの間に時間が余ることもありません。

 欠点は、法隆寺駅から門前までの間に1時間ほど余ることですが、ちょうど昼食の時間ですし、不自然ではないでしょう。



 以上のようなわけで、結論としては、佐藤氏の“奈良線経由”でも、小倉氏の“大阪回り”でも、列車ダイヤの関係では可能。

 ただ、どちらかといえば、“大阪回り”の(B)が、いちばん無理がないかもしれません。。。





 
    法隆寺 夢殿の内部




 ところで、もし柏原駅で“乗り越し”をしないで叡福寺に向かったとしたら、どうなったでしょうか?

 (B)の柏原到着は、12時11分頃ですから、大阪鉄道に乗り換えると:




(大阪鉄道)
・・・ ・・
柏原発 1320
太子口
喜志発 1346



 太子口喜志駅から叡福寺までは 4.4km.時速5キロで約53分、時速4キロで約1時間6分。叡福寺到着は午後3時近くなったでしょう。

 それから法隆寺へ回るのは、とても無理で、この日は、奈良に直行して夜遅く着くか、あるいは、天王寺泊りとなったことでしょう。






ばいみ〜 ミ彡  


  
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カテゴリ: 宮沢賢治

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