09/14の日記

10:54
【BL週記】宮沢賢治がリバイバル

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秋霖の晴れ間‥‥稜線を渡る雲







こんばんは_^)ノ





こないだは、ラテン語読まなくちゃってことで、家捜しをしておりましたが‥



やっぱり羅英、羅独ぢゃなくて羅和がほしいってことで、ちょうど研究社の羅和辞典の改訂版が出てたので、珍しく新本を買い求めますた... 辞書は図書館では禁帯出だから、自分でお金出して買うしかないんだよね←w





とは言っても、ギトンはやはり羅甸語より裸甜語‥‥‥あぅゲホゲホ

‥‥裸を舌でぴちゃぴちゃなめ回しながら、甘美な無声言語で通じ合いたいものですね?それって国際共通語... ただ残念なことに文字で書き表すのは無理ですな‥‥‥うっとゲホゲホ




どーも、夏が終って身体はまだほてってるのに、空気は寒くなってくると、ヒトハダすりすりとか... ペタペタとか... ○っくすとか... したくなるんですよねえ....



人里離れると脱ぎたくなるし... (オィ







そんなことをぐちゃぐちゃと妄想しているうちに、


 ‥ミヤケンのほうへ呼び戻す声が高くなってまゐりました...





高くなったと言ったって‥ ほんの数名の読者の方からのリアクションなんですけどね。

それでも《ギトンの読書室》にとっては、“革命的”と言ってもよい事態であります。なにせ、ミヤケンを始めてから数年間、“陰ながら”の応援、“ぷち”で、数字で応援してくださる方はおおぜいいらしても、オフで顔を合わせてお話できたり、返信アドレスつきのお手紙を戴いたりしたのは、これがまったく初めてですもの。。。



(何が目当てだか分からない方は、いままでもいましたけどね。何度メールを往復しても、向こうからはいつも1行で、ミヤケンのミの字も出て来ないっていうね。。。 その方は‥‥なに考えてるのか分からないし、しかもウラに回っておかしなことをされてましたので、結局最後には遺憾ながらお断りしましたです。。。)




↑そうではなくて、宮沢賢治の話がしたくて... あるいは情報交換がしたくてアクセスしてくださる方は、


これはもう大歓迎の上に超がついてしまいますです...















そういうわけで、お一人の方からは、‥賢治の童話作品について、これはもう、ギトンが思いつかなかったような新鮮な読みを示されまして...



ギトンは、童話のほうは、詩を読む参考くらいにしか、いまのところ読んでないんですね。。。 童話評はすごく多いですもの。童話までレパートリーに入れちゃったら。。。 童話評の森の中へ迷いこむ気は、ギトンはいまのところありませんです。。。


なので、童話をこう読んだ、ああ読んだって話を聞くと.. ちょっと興奮ものなんですね、ギトンとしましては。。。



集団夢って、ありますね。そんなことが可能かどうか知らないんですが、ふつうは集団夢って言っても、みな人間で、人間が何人かで同じ夢を見るってだけですよね?

ところが、賢治は、動物たちと同じ夢を見ている。。。 動物たちが見ている夢の中へ入り込んで、その状況を、読者に向かってつぶさに報告して。。。 そういう童話があるんですね。。。



いや。。。 あるんではなくて、あったと言うべきでしょう。↑これは、ある賢治童話の〔先駆形〕‥『全集』に〔先駆形〕として載せられてもいない下書きでして...



はい!‥ 賢治童話をたくさん読んでられる方は、もうピンと来ましたでしょう... そう‥あの『サガレンと八月』の出だしの部分、‥『インドラの網』の導入で作者が陥ってゆく入眠・幽体剥離の感覚、‥ほかにもまだまだあるでしょう... それらの“枠物語”の原型ではないかと思われます、この〔先駆形〕は。。。

いやいや、それどころか‥、賢治童話全体の、作者にとってのモチーフの秘密が、その“動物の集団夢の世界”に隠されているように感じませんか?‥ たとえば、あの『かしはばやしの夜』、 ‥あるいは、天気輪の丘に上がったジョバンニ...




おそらく、“おとな”の編集委員の方々は、この下書きに、こんなすごい意味が込められていることには、気づかなかったのだと思います。なので、〔先駆形〕にもなっていない。。。




しかし、敏感にもそれに気づく読者は、いるのですよ!








◇     ◇




さて、別の方からは、保阪庸夫さんの典拠についてご照会をいただきました。






保阪嘉内のご子息であられる保阪庸夫さんについては、これまで、この《こーゆー記》でも、《蜉蝣文字》でも、まだ書いていないことがありましたですね‥




正確さを求める観点からは、あまりにも“あやふや”な話で、とりあげられにくいことかもしれないのですが‥、読者としては関心を持たないではいられないことです。

それは、庸夫さんがまだ幼い頃、宮沢賢治が父(保阪嘉内)を訪ねて、山梨にやって来たことがあったのではないか?‥という“謎”なのです。。。





それは、賢治の年譜から推定すれば、1926-27年のことでなければなりません... しかし、庸夫さんは、その頃すでに誕生していらしたのか?‥そもそも、幼時記憶と言っても、3歳以前のことは記憶に残らないものです。。。







  







この議論を始めたら、長い話になってしまうので、それはまた《蜉蝣文字》の「補論」でやるか、このブログにするか‥、機会を改めたいと思いますが...



それにしても、こういう問題の重要さに気づくことができたのも、読者の方と交流があったおかげでして、

ギトンひとりで考えていたら、“たいへん気になりはするけれども、追究しづらい問題”として、このまま見過ごしていただろうと思われるのです...






ばいみ〜 ミ彡  


  
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カテゴリ: 宮沢賢治



☆コメント☆
[あおやま] 09-15 09:53 削除
動物が出てくる童話が好き。
子供のころ、本屋で親に動物図鑑を買ってもらって読んでました。動物のお世話をする仕事やってみたいかも・・・動物園で(笑)あと、動物と日常会話ができる道具があったらほしいなぁ。ドラえもんがいたら、ポケットから未来の道具を出してくれるかも・・・うひひぃ。

[ギトン] 09-16 16:46 削除
コメントありがとう_^)o

言葉までは解らないけど、人間だって動物だもの、感情は無意識に通じ合ってるんでは。山で熊に遭遇した人の話聞くと、襲われた人には敵意を持ってた人が多い気がするし、悪意のない人は擦れ違いで済んでるみたいです(ツキノワグマの場合)。ドラえもんは、い〜と〜巻き巻きの歌がおもしろいw

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