09/02の日記

03:57
ラヴォアジェ【番外1】 ジャン・ジャック・ルソーのこと

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こんばんは。。






ラヴォアジェが、18世紀フランスの“啓蒙思想”から大きな影響を受けていることは、すでに明らかだと思います。


具体的に名前の上がっている人物としては、啓蒙思想の“第一人者”ヴォルテール、‥‥シュタール派実験化学者ルエルの講義録を出版した『百科全書』派ディドロ、‥‥ラヴォアジェの“化学命名法”の基になった理性的人工言語を構想した哲学者コンディヤック、‥‥そして、啓蒙主義のピークというべき『人間精神進歩の歴史』を著したコンドルセは、ラヴォアジェと同年生まれで、科学アカデミーの同僚でした。










ところで、上に挙げた、いわば啓蒙主義の主流に対して、かれらを激しく論難したジャン・ジャック・ルソーもまた、啓蒙思想の一支流をなしているのです。


主流派とルソーの主な争点は、人間が理性によって築き上げた文明、とくに都市文明や科学技術は、人間を幸福にするのか否か───という問題でした。



ヴォルテールは、イギリスのロック、ニュートンらの経験論哲学をフランスに導入して、現実離れした理念の世界に没入していたキリスト教神学・哲学を否定し、現実の社会と自然に目を向けることを提唱しました。


1755年にスペインで大地震が起きた時、ヴォルテールは、『リスボンの災禍に関する詩』を発表して、当時カトリック信仰の中心であり神の最大の恩寵を受けてよいはずのスペインが、最悪の災禍にみまわれたことを諷刺しました。これによって、ヴォルテールは、神の全能や神の慈悲など信じられるのか?‥と、キリスト教への懐疑を表明したのでした。






これに対して、ルソーの考えによれば、自然災害そのものが被害をもたらしているのではなくて、人間が「理性的、文明的、社会的な要因により」発展させた技術文明や、人々が密集する都市が存在するために、被害は甚大なものとなるのです。

“自然状態”のまま、山の中に分散して生きていたとすれば、人間たちの大部分は、掘っ立て小屋のような粗末な住居が壊れる以上の被害は受けなかったはずです。




「精神的な悪の源泉は、自由な、改良された、退廃に向かって進んでいる人間のほかには求められないと思います。〔…〕

 大部分の物質的な悪は、やはり私たちの産物である〔…〕自然のほうからすれば、なにもそこに6階や7階建ての家を2万軒も集合させることはまったくなかったことを考えてみてください。そしてこの大都市の住民が〔…〕平均して散らばって、いっそう身軽に住んでいたとすれば、損害ははるかに少なかったであろうし、まったくなかったかもしれないことも考えてみてください。」(浜名優美・訳『ヴォルテール氏への手紙』, in:『ルソー全集』第5巻,1979,白水社)




ルソーは、ヴォルテールを批判して、


「思い違いをしないでいただきたい。あなたの目論見とはまったく反対のことが起こるのです。〔…〕あなたの詩篇は苦しみをかきたて、〔…〕私を絶望に追い込んでしまいます。〔…〕

 あなたの詩篇は、どう言っているでしょうか。〔…〕《確かに神は全能である。汝の不幸をすべて防ぐことができたのだ。〔にもかかわらず、神は汝に不幸をもたらした──ギトン注〕だから、不幸が終るなどとけっして期待してはならない。なぜなら、苦しむため、死ぬためでないとすれば、なぜ汝が存在するのか分からないではないか。》☆〔…〕それはマニ教よりもはるかに残酷な教義と思われます。あなたは〔…〕どうして神の善性を犠牲にして神の力を正当化したがるのでしょうか?」

「〔ギトン注───地震の被害を受けた〕リスボンよりも、むしろどこか砂漠の奥地で地震が起こっていたらよかったのにと、あなたは願っていたのですね。」

 たしかに、地震が砂漠でしか起こらないのであれば、それは、都市に被害をもたらさないだけでなく、砂漠の「人里はなれた場所に分散して住んでいる〔…〕動物や未開人たちにさえ、ほとんど損害を与えません。

 けれども、そのような特権は何を意味するのでしょうか?」

 それは、私たち人間が、「自然に対して、ある場所での地震の発生を禁じる」ことにほかなりません。

「世界の秩序は、私たちの気まぐれに従って変らなければならない、自然は、私たちの法に従わなければならない、」人間たちの気まぐれで都市が建設された場所では、地震は起きてはならないのだと、そのような“特権”を、あなたは主張していることになるのです。(a.a.O.)


☆(注) これはヴォルテールの詩の正確な引用ではなく、ルソーによる曲解。




と書いています。



ルソーは、その思想の出発点となった『人間不平等起源論』において、

あらゆる社会関係、道徳的関係(家族、村など)をいまだ知らず、ばらばらに孤立して生きていた原始時代の野生人(自然人)の状態(「自然状態」)を理想とし、

理性によって他の人々と道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、人間たちは、理性と文明の抑圧による不自由・不平等の広がる社会状態をもたらしたとして、理性と文明こそは「堕落」の原因にほかならないと規定します。

こうして、ルソーは、“自然状態”の自由と平和を好意的に描き、文明の発達した現実の社会を、堕落した状態と捉えるのです。(Wiki 日本語版)





理性による文明の進歩を、いわば“善”とし、キリスト教の迷信や、それに基くフランス絶対王政の不合理な支配を痛烈に批判した《啓蒙主義》主流派に対して、ルソーは、理性による文明そのものを“悪”とみなします。


しかし、ルソーはルソーで、《啓蒙思想》の一支流をなしているのです。

彼はカルヴァン派新教のジュネーヴで養育された後、13歳で家族離散、15歳で家出して、サヴォイア(サヴォワ イタリア北西部〜スイス南西部〜フランス南東部に跨る地方。主要都市トリノ)のカトリック司祭に身を寄せ、29歳のド・ヴァラン夫人とともにカトリックに改宗します。この司祭とヴァラン夫人の、折檻を伴う厳しいカトリック教育が、ルソーにマゾヒズムを植えつけたとも言われています。

ともかく、ルソーのキリスト教信仰は、伝統的な教義に盲目的に従うようなものではなかったようで、自著の『告白』でも、自分のマゾヒズムや、自然の中での“露出”の楽しみを、赤裸々に語っています。



『新エロイーズ』のような小説から、晩年の『孤独な散歩者の夢想』のような随筆まで、ルソーのさまざまな著作に、いつもふんだんに散りばめられているのは、ジュネーヴ湖畔やアルプス地方の風光を描いた美しい自然描写です。


ルソーは、理性と文明を否定して、自然を讃美したと言っても、一時代前までの人々(たとえば、ダンテ)のように、自然の中に、あからさまな“神の恩寵”の現れや、“目には見えない”神秘的な生命を読み取ったわけではありません。彼の描く自然は、私たち近代人の眼に映るのと同じ、ありのままの無機質な・しかし驚異に満ちた“自然”そのものなのです。

その意味で、ルソーがなしとげたのは、“自然の発見”であったと言ってよいのだと思います。


ルソーの“自然の発見”が、人間とその社会に向けられると、“人間的自然(human nature)”の発見となります。

ヴォルテールらは、イギリス経験論に基いて、人間は生まれたままでは“白紙”の状態で、教育によってはじめて、まっとうな社会的・理性的個人になるのだと考えましたが、





ルソーは、生まれながらの“人間的自然”にこそ価値を見出し、


教育論『エミール』においては、「自然の最初の衝動はつねに正しい」と前提した上で、子どもの自発性・内発性を社会から守ることに主眼を置いた、いわば“反”教育論を展開しています。『徳や真理を教えること』ではなく、『心を悪徳から、精神を誤謬から保護すること』を幼児教育の目的としているのです(Wiki 日本語版)









サヴォアとアルプスの山なみ







ところで、ラヴォアジェですが、

彼は、「マザラン中高等学校」在学中は、ルソーの『新エロイーズ』を読みふけっていたと言われています。


「多くの科学者がそうであるように、ラヴォアジェもまた文学を愛し、作家になることを夢みた。『ヌーヴェル・エロイーズ』を題材とし、その散文の脚本の第1章を書き下ろしたこともある。」(グリモー,田中・他訳『ラボアジエ 1743-1794』,p.3)

「このころ、ラヴォアジェは文学熱にとりつかれていた。〔…〕かれは劇を書くことを夢みていた。サン・プルーとジュリー〔ルソー『新エロイーズ』の主人公〕がその登場人物になるはずであった。しかし、最初の数場だけの下書きができるにとどまった。その『新エロイーズ』が舞台にかかることはなかった。」(ドーマ,島尾・他訳『ラヴォワジエ』,p.28)


「地方のアカデミーで定期的におこなわれる懸賞論文の応募者の間に、ラヴォアジェの名がみえても不思議ではなかった。

『心の正直さは、真理の探究において、頭脳の正確さと同様に必要である』

 これが、アミアンのアカデミーの主題であった。」(a.a.O.)






ルソーの『新エロイーズ』を読んだ‥あるいは、読もうとしたことのある方には、お分かりと思いますが、こんなたいくつな“恋愛小説”を読みふけることができるのは‥‥いったいどういう中学生なのだろう、と現代の私たちは思ってしまいます。




「数日もたたぬあいだに私の状態はなんと変わってしまったことでしょう!ふたたびあなたのそばに近づく快さに、どれほどの苦渋がまざり合っていることでしょう!どれほどの暗い反省が私につきまとっていることでしょう!私の不安は未来にどれほどの障害を描いて見せることでしょう!おお、ジュリ、感じやすい魂とは、なんとまあ宿命的な天の贈物であることか!これを授かった者は、地上では苦悩しか期待してはならないのだ。〔…〕

 これこそ、私の残酷な状況。私を圧しひしぐ境遇と、私を高める感情と、私を軽蔑なさる父上と、そして私の生涯の魅惑と苦悩をつくりなすジュリとが私をおとしいれている状況です。破滅をもたらす美しい人よ!あなたがいなければ、私はわが心の底なる偉大と身分の卑小という、この耐えがたい対照を感じることはなかっただろうに。〔…〕おお、ジュリ、諦めえぬ人よ!おお、打ち克ちえぬ運命よ!そなたは、わが欲望もわが無力も克服しえないまま、なんという恐ろしい戦いを私のうちにまき起こしたことか!」(松本勤・訳『新エロイーズ』T-26, in:『ルソー全集』第9巻)





こんな調子の書簡のやりとりが、延々と文庫本4冊にわたって続く‥!

これでも↑、引用文は、途中をずいぶんと端折っているのです。


たしかに、心理的にも事件的にも波乱に富んだストーリーなのですが。。。 この文体で延々とやられては、‥なかなかに読むのはしんどいのです...







 







しかも‥‥ラヴォアジェのことを言いますと‥‥後年に至るまで、かれの生涯において特徴的なのは、いかなる“ロマンス”の影も、彼にはまったく見られないということなのです‥


「天才はある観点からすれば異常者である。ラヴォアジェの異常さは、当時のおなじ年頃の青年のいだく欲求や普通の活動が、かれにはまったく欠如していることであった。

 かれの青春のすべての熱情は、人間社会との接触にではなく、自然界との接触をえることにかたむけられた。」(ドーマ,p.26)

「ラヴォアジェには、青春時代とよばれるものがなかった。」(op.cit.,p.29)





 たしかに、「マザラン学院」の高学年になると、ラヴォアジェの興味は、文学や道徳を離れて、自然科学に向けられるようになります。彼の眼を自然に向けたのは、学院の教授で天文学者だったラ・カイユ師★でした。


★(注) 「師(アベ Abbé)」は、革命前のフランスで用いられた聖職者に対する称号。アベ・シェイエース(大革命時の国民議会議員。『第三身分とは何か?』を著作)、アベ・プレヴォ(小説『マノン・レスコー』の作者)など、氏名の一部として自称する場合もあった。


 ラヴォアジェは「高学年のころ、数学の教授で、そのころ喜望峰への旅行で有名になっていた天文学者のラ・カイユ師と、学校の天文台によくのぼった。かれは宇宙を研究し、数学の計算に熱中した。〔…〕かれには、数学がもっともすばらしい魅力をそなえているようにみえた。」(ドーマ,op.cit.,p.25)

「ラ・カイユ師に数学と天文学を学んでいた。ラ・カイユ師は、子午線を測量したり、〔ギトン注──南半球の〕星座表を作ったりするために、喜望峰に4年間とどまり、マザラン中高等学校に小さな天文台をつくったりした。」(グリモー,p.3)




このように見ると、中学生時代に読みふけった『新エロイーズ』も、ラヴォアジェの着眼点は、ひとつには、そこに描かれた“自然”の魅力にあったのではないか、ということが考えられます。


ラヴォアジェ少年は、まず、ルソーの小説によって、室内での夢想の世界で、“自然”の調和と驚異とを学んだ。

そして、やがて、天体観測と数学を“導きの糸”として、植物、鉱物、さらには化学の世界に目を開かれていった‥


というみちすじが見えてくるのです。。。







ばいみ〜 ミ



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カテゴリ: ラヴォアジェ

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