04/15の日記

19:15
両極端の時代(2)

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こんばんは。。






「歴史家の主要な課題は、善悪を裁断することではなく、たとえもっとも理解しにくいことでも理解しようとすることであるが、今世紀
〔20世紀───ギトン注〕に数多く生じた宗教的、イデオロギー的な対立が、その歴史家の理解への道にバリケードとして立ちはだかっている。〔…〕そのような信念を形成した歴史的経験さえもが、理解の妨げになっている。」

 理解することは、“許す”ことではない。しかし、この恐ろしい世紀の中で生きてきた人々は、理解することによって、自らの体験したおぞましい事実を容認することになるのではないかと恐れ、理解を拒否するほうに傾くのだ。


「ドイツ史のナチ時代を理解し、それを歴史の文脈にはめ込むことは、大量虐殺を許すことではない。〔…〕

 この異常な世紀を生き抜いた人は、誰も善悪の判断をさし控えたりはしない」
ので、過去をふりかえって断罪する文献は山ほどあるのだが、「難しいのは、理解することなのである。」




 ソ連圏崩壊後の世界は、かならずしも新しい世界ではなく、第2次大戦終結以来対立してきた一方の世界が生き残ったにすぎなかったから、
「その制度、その前提は第2次大戦で勝った側にいた人々によって形成された世界であった。その前提とは、基本的に反ファシズムという前提であった。

 負けた側
〔ファシズム陣営───ギトン注〕の人々〔…〕は沈黙しており、また沈黙させられていた。そればかりか、善と悪の対立する道徳の世界的ドラマの中で『敵』としての役割を負わされるだけで、歴史と知的生活の中からは事実上締め出されていた。〔…〕これは、いわば宗教戦争の世紀を生きたことの一つの代償である。」
(ホブズボーム『20世紀の歴史』,1994,河合秀和・訳,三省堂,1996,上巻,pp.8-9)







歴史家の仕事は、歴史の善悪を判断したり、判決を言い渡すことではなく、《理解すること》───たとえ、私たちにはもっとも理解しがたいと思われることであっても、歴史上そのようなことが存在し行なわれた以上、それを理解しようとすることである、とホブズボームは言うのです。











そこで、まず見ておきたいのは、ホブズボームが、ファシズムの歴史をどのように描いているか、ということです。

私たちにとっては、ヒットラーがどう‥、ムッソリーニがどう‥、ということ以上に、日本の戦時体制との関連が重要な関心事ですから、日本に言及している箇所を中心に引用してみたいと思います:





 日本と、ドイツ・イタリア、つまり、
「いわゆる『枢軸』の東と西の両端に支配的であったイデオロギーの間の親近性は、たしかに強かった。」

「そして実際に、ヨーロッパのファシズム諸国に派遣された
〔日本の───ギトン注〕外交官の間には、」また、「愛国心がたりない政治家を暗殺することに熱中していた超国家主義的なテロ集団の間には、そして満洲と中国を征服、占領、奴隷化していた関東軍の中には、このような親近性を認め、ヨーロッパのファシズム強国と一体化するよう運動する日本人がいたのである。

 しかし、〔…〕ファシズムは、本質的に民主主義と普通人(コモン・マン)の時代のものであった。自選の指導者のもと、新しい、むしろ革命的なつもりの目的をもった大衆動員の『運動』概念そのものは、ヒロヒトの日本では意味をなさなかった。彼らの世界観には、ヒットラーよりもプロイセン陸軍
〔ドイツ帝国の伝統的な正規軍隊───ギトン注〕とその伝統のほうが適していた。」

「日本人は、自らの人種的優越性を確信し、自己犠牲、絶対的な命令服従、自己否定と禁欲主義といった軍事的美点を信奉していくには人種の純粋さが必要であると確信しており、その点ではどの国にもひけをとらなかった。〔…〕彼らの社会は厳格な階層性の社会、個人が、」
国家に対し、また「神のような天皇にたいして全面的な献身を捧げる社会、自由と平等と博愛が完全に否定されている社会であった。」

「一言で言えば、ドイツの国家社会主義
〔ナチス───ギトン注〕とは類似性はあっても〔…〕、日本はファシズムではなかった。」(ホブズボーム『20世紀の歴史』,1994,河合秀和・訳,三省堂,1996,上巻,pp.198-200)









日本では、第2次大戦中の軍国主義体制や、戦後の右翼勢力の動きを、安易に「ファシズム」と呼んで批判する人が多いのですが、世界的には(そして日本の歴史家の間でも)日本にファシズムがあったと認める人は、ほとんどいないのです。日本の戦時体制も、それに連なる思想運動も、ファシズムではないとするのがふつうです。

なぜなら、ファシズムは、あくまでも“下からの運動”だからです。旧来の価値の全面的な崩壊という・第1次大戦後のヨーロッパにおきた精神状況の中で、ドイツ・イタリアの中流〜中流下層の人々は、ファシズムに心のよすがを求めたのです。彼らを中心とする大衆の熱烈な運動の結果として、ファシズムは最終的には権力の座へと押し上げられたのでした。


しかし、そのような危機的な精神状況も、熱烈な大衆運動も、当時の日本には存在しませんでした。

日本人が信じていた“旧来の”伝統的な価値は、ヨーロッパとは全く異なるものであり、第1次大戦後の“大正デモクラシー”は、伝統的な価値を薄めこそすれ、崩壊させるようなことはなかったのです。

“神国”“皇統”“武士道”などの伝統的価値は、なんら変質することなく・そのままの形で信奉され、むしろ戦時体制の中で復古し強化されたと言えます。




現在でも、日本の一部の批評家は、日本の戦時体制がファシズムであることを当然の前提として、宮沢賢治までも、ファシズムの先蹤としかねない勢いですが、‥この人たちに、まず考えてもらいたいのは、そもそも日本にファシズムは存在したのか、ということです。





サシャ・シュナイダー『従属の感覚』









さて、ホブズボームの歴史家としての出発点が、《アウトサイダーの歴史》にあったということを、前回指摘しましたが、それはこの人の歴史観に、どんな影響を及ぼしているのでしょうか?



一見すると、上で引用した叙述、また、昨日引用した、植民地の工業化に関する叙述は、《アウトサイダー》とは関係が無いように見えます。








しかし、たとえば、『匪賊の社会史』を見ますと、この本で強調されているのは、《匪賊》が活動する社会では、《匪賊》は、民衆の‥、一般庶民の間にひそんでいて、むしろ彼らは民衆にかくまわれていたという事実です。


《匪賊》は、ギャング、マフィア、ヤクザのような単なる犯罪者集団ではありません。ジンギスカン時代のモンゴル人のような、社会の外部から襲ってくる盗賊とも異なります。

ホブズボームが《匪賊》の典型例として挙げているのは、イギリスのロビン・フッドで、いわば義賊です。かれらは、もっぱら公的な支配者・権力者、貴族、金持ち、‥そういった人々を襲うことをなりわいとしており、その限りで、民衆のひそかな支持を受けているのです。

官憲が《匪賊》を捕えようとしても、民衆は協力しない。むしろ、官憲の捜索に対しては、口をつぐんで《匪賊》を匿い、ときには糧食や隠れ家を提供することもある。







日本で、《匪賊》にあたる人物を挙げるとすれば、‥古いですが、平将門や、蝦夷の武将たち、あるいは近時では、自由民権運動の一部の“武闘派”(加波山事件など)も、行動が似ているかもしれません。



中国の『水滸伝』に描かれた“梁山泊”などは、よりはっきりと《匪賊》と言ってよいでしょう。








そうすると、このような《匪賊》の跳梁する社会には、一定の型があることが分かります。それは、現代の社会とは、相当異なるものです。

現代の社会に《匪賊》が存在しないのは、かつて《匪賊》が活躍した昔とは、社会の性質が異なるからです。






まず、《匪賊》が隠れていられるような、人里はなれた場所、あるいは、官憲の眼の届かない領域がなければなりません。


そして、民衆は、厳しい支配を受けているが、支配者を信頼してはいない。支配者の眼の届かないところでは、支配者に反抗する《匪賊》たちと友誼を結んでいるのです。




つまり、民主主義のシステムと、警察の秩序維持機構が、有効に機能している現代のような社会では、《匪賊》は存在し得ない。

また、《匪賊》を存在させうる社会では、交通・通信は未発達で、国内に、人の住まない多くのフロンティアが残されている。‥そういう社会です。




つまり、ホブズボームは、《匪賊》の歴史を、単なる知識欲や好事家的な興味で追いかけているのではなく、

《匪賊》の活動を探ってゆくことによって、その時代の社会の重要な特徴を浮かび上がらせようとして、この対象に取り組んでいるのだと言えます。




私たちのよく知っている社会とは非常に異なる・古い社会のこうした特質を理解することによって、その時代に生起したさまざまな政治・経済現象は、より適確にとらえることができるようになるはずである‥

ホブズボームは、そのような見通しをもって、あえて特殊な分野の探究を出発点として選んだものと思われるのです。






今夜の最初の引用の中で、著者は:



「歴史家の主要な課題は、‥もっとも理解しにくいことでも理解しようとすることである」





と述べていました。








ホブズボームが、《匪賊》や“千年王国”のようなアウトサイダーの歴史を研究したのは、それらを従来の歴史家が取り上げてこなかったために、歴史の盲点になっていると感じたからではないかと思います。

それらは、社会の中でふつうの生活を送っているわれわれには、もっとも理解しにくい人々であるけれども、彼らの生活を理解することは、その時代の社会一般を理解するためには、必要不可欠な手続きの一つであると考えたのです。













ばいみ〜 ミ


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カテゴリ: ホブズボーム

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