03/29の日記

05:02
100年たってようやく‥(19)

---------------



こんばんは。。




18回にわたって、2004年の立命館大学でのシンポジウム記録を検討してきましたが、

最後に、ギトン・オリジナルの考察をして締めくくりたいと思います。





取り上げるのは、こーゆー記 2015.3.21.で扱った#106「石塚」〔下書稿(一)〕にある:


「一本の緑天蚕絨の杉の古木が

 南の風に奇矯な枝をそよがせてゐる

 その狂ほしい塊りや房の造形は

 〔…〕いまわれわれの所感を外れた

        古い宙宇の投影である



   (わたくしはなぜ立ってゐるか

    立ってゐてはいけない

    鏡の面にひとりの鬼神ものぞいてゐる

              第一九頁)」




↑この「第一九頁」という一行です。〔下書稿(一)手入れAa〕では:


「  (おまへはなぜ立ってゐるか

    立ってゐてはいけない

    鏡の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる」




となって、「鬼神」→「アイヌ」に直されるのと同時に「第一九頁」という行は削除されています。


「第一九頁」とは、何の本の19ページなのでしょうか?アイヌとは関係がないのでしょうか?シンポジウムの講演でこの詩を取り上げている秋枝さんも、「第一九頁」については何も言っていません。




しかし、ここで仮に、『アイヌ神謡集』の19ページではないか‥ということを考えてみます。『アイヌ神謡集』は、1923年8月に初版が出ていますから、1924年5月18日付の「石塚」を書いたときには、作者は読んでいた可能性があります。

ただ、当時出ていた初版の頁付けは、現在入手できる岩波文庫版とは違うはずですから、初版を見なければなりません‥


そこで、例によって公共図書館の横断検索をしてみたところ、国会図書館にはありませんでしたが、さいわい、都立中央図書館に1冊ありました。復刻版ではなく、1923年に郷土研究社から“炉辺叢書”の1冊として刊行された初版本そのものです。




『アイヌ神謡集』初版本 表紙と奥付(コピー)
東京都立中央図書館所蔵


炉辺叢書版は、岩波文庫版と同じく、左側(偶数n)がローマ字のアイヌ語、右側(奇数n)が日本語訳で、対訳書として編まれています。したがって、19ページは日本語の部分ですが、

岩波文庫版をお持ちの方のために言いますと、炉辺叢書の19nは、岩波の29n5行目から31n7行目までの日本語本文、および28n下欄外註(14)の末尾2字「キと」から、29n下欄外註「‥申します。」までです。なお、炉辺叢書版のnノンブルは、横書き算用数字です。

ここは、第1謡「梟の神の自ら歌った謡 銀の滴降る降るまわりに」のおしまいのほうです。



 昔貧乏人で今お金持ちになつてゐる人々は
 大笑ひをして
 「これはふしぎ,貧乏人どもが
 どんな酒を造つてどんな
 御馳走があつてそのため人を招待するのだらう
 行つてどんな事があるか見物して
 笑つてやりませう」と
 言合ひながら大勢打ち連れて
[ここまで18n]

 やつて来て、ずーつと遠くから、ただ家を見ただけで
 驚いてはづかしがり、其の儘帰る者もあります
 家の前まで来て腰を抜かしてゐるのもあります。
 すると、家の夫人が外へ出て
 人皆の手を取つて家へ入れますと、
 みんないざり這ひよつて
 顔を上げる者もありません。
 すると、家の主人は起上つて
 カツコウ鳥の様な美しい声で物を言ひました。
 斯々の訳を物語り
 「此の様に、貧乏人でへだてなく
 互に往来も出来なかつたのだが
 大神様があはれんで下され、何の悪い考へも
 私どもは持つてゐませんのでしたので此の様に
 お恵をいたゞきましたのですから
 今から村中、私共は一族の者
 なんですから、仲善くして
 互に往来をしたいといふ事を皆様に
 望む次第であります」といふ事を
 申し述べると、人々は
 何度も何度も手をすりあはせて
 家の主人に罪を謝し、これからは
 仲よくする事を話合ひました。
[ここまで19n]




[下部欄外の註]

(14) kakkokhau……カツコウ鳥の声。
 カツコウ鳥の声は、美しくハツキリと耳に響きますから、ハキハ[ここまで18n]キとしてみんなによくわかるやうに物を云ふ人の事をカツコウ鳥の声の様だと申します。[ここまで19n]







日本語訳では「梟(ふくろう)」ですが、この「カムイチカプ」はシマフクロウです。つばさを広げれば全長2メートルに達する大きな鳥です。


「樹上にあって夜通し大きな目で睨んでいるので、村のすべてを知り、村を守る神『コタン・コロ・カムイ』として敬愛された。コタンの守り神の中でも尊い存在だった。そのシマフクロウが、巨大な翼から金銀の雫を振り落としながら、大空を滑空する」雄大なようすから、この謡は始まります。(篠原昌彦・編著『アイヌ神謡 ユーカラ』,コレクション日本歌人選 060, 2013,笠間書院)





アイヌ部落(コタン)には、「昔貧乏人で今お金持ちになつてゐる人々」も居れば、昔金持ちで今は貧乏人になつている人も居ます。部落の守り神であるシマフクロウは、上空から、貧乏人の子供が「昔貧乏人で今お金持ちになつてゐる子供たち」に叩かれたり足蹴にされたりして虐められているのを見て、この貧乏人の子の矢にあたって、昔金持ちで今は貧乏人になつているその人の家を訪問することにします。


アイヌの信仰では、鳥や獣は、カムイ・モシリ(神の世界)に居る神様が、鳥や獣の毛皮(冑)を着て人間界(アイヌ・モシリ)にやってきた姿で、人間が鳥や獣を殺して捕えると、皮と肉を人間にやって、神様(魂)は人間の“神送り(イヨマンテ)”の儀式によって神の世界に戻ってゆくとされます。


シマフクロウの神様が訪問すると、昔金持ちだった貧乏人の老人ニシパは、かしこまって迎え、何度も礼拝して、シマフクロウを上座に据えました。シマフクロウは、家人が寝静まっている間に、貧乏人の小屋を大きな家に造り変え、宝物や立派な着物でいっぱいにして、富豪の家よりも立派に飾り付けました。


翌朝、起きたニシパと家族は、家の中を見て腰を抜かしましたが、立派なイナウ(幣 ぬさ)をつくってシマフクロウを飾り、酒を造って宴会の用意をすると、子供にわざと古い着物を着せて、村中の「昔貧乏人で今お金持ちになつてゐる人々」を招待するために使いに遣りました。



以上が、18ページまでのあらすじで、↑上で引用した19ページでは、ニシパの家の立派なことに驚いている金持ち達の前でニシパが口上を述べます。そして、酒宴が終って神の世界に戻ったシマフクロウの神様が人間の部落のほうを見ると、「今はもう平穏で、人間たちは/みんな仲良く、彼のニシパが/村の頭になってゐます。」





貧富の差がなかった原始的な時代には、部落中の家が分け隔てなく交流していたアイヌの社会も、貧富の差が大きくなると、裕福な家が貧乏な家を圧迫するようになります。


アイヌの自然信仰は、このような分裂の危機に見舞われた共同体の絆を、ほころびないように維持する機能を与えられていたようです。そこで、ときどき部落の守り神がやってきて貧乏人を助け、金持ち達の思いあがりを戒める役割をするわけです。






そこで、宮沢賢治が、北海道へ出発する日付の詩に「第一九頁」と記した意味ですが、

それは、



「立ってゐてはいけない」



に関係すると思います。『アイヌ神謡集』のほうで言えば:



 貧乏人の

「家の前まで来て腰を抜かしてゐるのもあります。
   〔…〕
 みんないざり這ひよつて
 顔を上げる者もありません。
 すると、家の主人は起上つて
 カツコウ鳥の様な美しい声で物を言ひました。

    〔…〕

 〔…〕人々は
 何度も何度も手をすりあはせて
 家の主人に罪を謝し、これからは
 仲よくする事を話合ひました。」



という部分でしょう。いままで貧乏人につらく当たってきた金持ちたちは、立ち上がることもできず、いざりよって手を合わせ、謝罪するばかりだと言うのです。

ニシパひとりが立ち上がって、「これからは仲良くしましょう」と、ハキハキした声で演説しています。



この場に、宮沢賢治がいたとしたら、やはり、“貧乏人を虐めてきた金持ち達”の眷属なのですから、「立ってゐてはいけない」のです。




つまり、作者にとって「鬼神」、すなわち“先住民”は、そうした存在としてあるのです。“蝦夷”以来の古い信仰を体現して、いま貧乏な人々‥‥そこには、作者から見ればアイヌ全体が含まれるでしょう‥‥かれらの中に、作者は、崇拝すべき信仰の象徴を見ているのだと思います。




シンポジウムの討論で話題になった「和解」の問題に、これは繋がるかもしれません。宮沢賢治は、この詩の〔下書稿(一)〕の段階では、「和解」による解決の方向──日本人開拓民の思いあがりを戒め、アイヌとその神々に対する尊崇の念を持つことによって融和・協力が可能だ──を展望していたのだと思います。

しかし、白老を訪問した北海道旅行から帰った後で、この行は削除されて復活しませんでした。“保護民”化したアイヌに会い、(おそらく)話を交わした後で、そこから来る複雑な印象を、賢治は整理し切れなかったのだと思います。








ばいみ〜 ミ
   
同性愛ランキングヘ     .
.
カテゴリ: 宮沢賢治

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ