03/25の日記
15:52
100年たってようやく‥(15)
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こんばんは。。
「まことの道は
誰が云ったの行ったの
さういふ風のものでない
祭祀の有無を是非するならば
卑賤の神のその名にさへもふさはぬと
応へたものはいったい何だ」(#313「産業組合青年会」〔下書稿(二)〕)
“声なき声”の呟きに対して「応へた」声は、農村改良を支援して行こうとする作者自身のいわば本心だと思います。この声は、“先住者”の声の・変質した堕落態の面をも鋭く突いています:
「祭祀の有無を是非するならば
卑賤の神のその名にさへもふさはぬ」
「お供えの粟餅が小さくなった」と嘆く黒坂森の巨岩や、人間たちがお供えを持って来ない不満から、通りがかりの木こりを虐めて喜ぶ《土神》が、想起されます。
作者の“応える声”は、「卑賤の神」の“声なき声”に耳を傾けつつも、より積極的な自らの歩むべき道を模索しているように思われます。その延長した先は、「神はおのれのうちにある」と日記に記した保阪嘉内の考え方にも近づいてゆくように思われるのです。
作者の↑上の“応える声”が、さらにテンションを上げると、つぎのような『春と修羅・第1集』、とくにその前半では主役であった明るく華やかな「オペラ役者」としての《心象スケッチ》詩人に接近します:
「たとへ苦難の道とは云へ
まこと正しい道ならば
結局いちばん楽しいのだと
みづから呟き感傷させる
芝居の主はいったい誰だ」(#313〔下書稿(二)〕)
これらの作者の思念は、
「遠いわだちの跡で
水がかすかにひかる〔…〕
わづかに青い燐光」
また、
「見えるともない遠くの町が
ぼんやり赤い火照りをあげる」
そうした明かりに支えられ、
「ここらのやがてのあかるいけしき
落葉松や銀ドロや、果樹と蜜蜂、小鳥の巣箱」
つまり、青年たちの「産業組合」運動が成功したあかつきの花園のような明るい農村像につながってゆくのですが‥、
そうした夢の構想を一渡りしたあとは、ふたたび:
「 ……雨がどこかでにはかに鳴り
西があやしくあかるくなる……
祀られざるも神には神の身土があると
なほも呟くそれは誰だ」
という“声なき者”の呟きにもどって、この詩は締めくくられています‥
秋枝さんの解説で見ますと:
「『卑賤の神』には,〔…〕東北の農村近代化の過程で排除される弱者たちが重なってくる。当時の新聞記事を見れば,商品経済の発達に伴って,圧迫される農村を救う手だてとして『産業組合』というヨーロッパの経営法の導入が検討されているが、それは農村のリストラにつながるものであり、新体制にあぶれる者たちは,生きるすべを奪われて離村を迫られるといった事例があったと思われる。そこに賢治は『卑賤の神』の『たたり』の声が響き渡るのを聞き取ってしまう。
〔…〕
『産業組合』という新組織に入ることができない,その弱者達の声なき声に,賢治は言葉を与え,〔…〕その席に響き渡らせるのである。〔…〕弱者は『アイヌ』にとどまらず,自らが関わった東北農村における敗残者たちの姿に重ねられている。」
ばいみ〜 ミ彡
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