03/24の日記

14:12
100年たってようやく‥(14)

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こんばんは。。





秋枝さんが次に取り上げているのは、313番、1924年10月5日付の詩「産業組合青年会」です:





「祀られざるも神には神の身土があると

 あざけるやうなうつろな声で

 さう云ったのはいったい誰だ

   ……雪をはらんだつめたい雨が

     闇をぴしぴし縫ってゐる……

 まことの道は

 誰が云ったの行ったの

 さういふ風のものでない

 祭祀の有無を是非するならば

 卑賤の神のその名にさへもふさはぬと

 応へたものはいったい何だ

   ……ときどき遠いわだちの跡で

     水がかすかにひかるのは

     東に畳む夜中の雲の

     わづかに青い燐光による……

 たとへ苦難の道とは云へ

 まこと正しい道ならば

 結局いちばん楽しいのだと

 みづから呟き感傷させる

 芝居の主はいったい誰だ

   ……くろく沈んだ並木のはてで

     見えるともない遠くの町が

     ぼんやり赤い火照りをあげる……

 ここらのやがてのあかるいけしき

 落葉松や銀ドロや、果樹と蜜蜂、小鳥の巣箱

 部落部落の小組合が

 ハムを酵母を紡ぎをつくり

 その聯合のあるものが、

 山地の稜をひととこ砕き

 石灰抹の幾千車を

 酸えた野原に撒いたりする

 それとてまさしくできてののちは

 あらたなわびしい図式なばかり

   ……雨がどこかでにはかに鳴り

     西があやしくあかるくなる……

 祀られざるも神には神の身土があると

 なほも呟くそれは誰だ」(下書稿(二))






「産業組合」とは、当時、全国の農村で組織化が始まっていた農民の地域的生産協同組合で、戦後の“農業協同組合”につながってゆくものです。

この詩で:

「部落部落の小組合が
 ハムを酵母を紡ぎをつくり
 その聯合のあるものが、
 山地の稜をひととこ砕き
 石灰抹の幾千車を
 酸えた野原に撒いたりする」

と構想を描いているのは、まさにそうした協同組合のことなのですが、当時(農学校教師時代の半ば)作者には、こうした農村青年たちの動きを、彼らの中に入って力強く支援して行こうとする気持ちとともに、それに対してしぶとく抵抗するような後ろ向きの気持ちとがあったようです。

抵抗する思念のほうは、彼自身の本心というよりも、闇を縫って降りしきるみぞれの中から、あるいは、青年たちとの会合の席上を渡るかのように、聞くともなく聴こえてくるきれぎれの呟きなのです。


抵抗する思念は、

 「それとてまさしくできてののちは
  あらたなわびしい図式なばかり」



と言っているように、きわめて非実践的で観念的・退嬰的な後ろ向きの想念です。

しかし、賢治は、青年たちの進取の動きを応援する一方で、そういう“後ろ向き”の声にこそ耳を傾けようとする素質があったのです。

もっとも、これは“素質”というよりも、同時代にあっては、実践と組織化を阻害する余計な思惑とされたでしょう。この性質こそが、宮沢賢治が、農業実践家としては現実に何ごともなしとげられなかった原因たる“ぶきっちょさ”にほかならない。。。 とも言えるかもしれません。




しかし、“開発と成長の時代”が行き着くところまで行き着いて終焉した──その一方で、“革命・改革・革新”の名で呼ばれてきたものが、戦慄すべき内実を露呈させている──私たちの“現在”から、振り返ってみるならば、

むしろ、この“後ろ向きの思念”にこそ、宮沢賢治の最も積極的に評価されるべき一面を見ることができるのです。なぜならば、それは、“進歩”から切り捨てられようとする者、最広義の“先住者”の呟く“声なき声”に耳を傾けることにほかならないからです。





「祀られざるも神には神の身土があると
 あざけるやうなうつろな声で」

──呟いているのは、そうした“切り捨てられようとする者”の“声なき声”なのです。

それは、『土神と狐』の《土神》や、詩「石塚」の・《異界》の姿を反映する古木や、古代の住居址から掘り出される“蝦夷”の「鏃や石斧」、アイヌの「たたり」の沼地などと繋がる“過去からの声”に重なって聴こえて来ます。




いわば、たとえ法律的経済的には他人の所有に帰し、祭祀も行なわれなくなり、祠も朽ち果てて跡形もなくなってしまった廃墟であっても、神は神のまま存在する‥そこに生きて活動した先祖たちの魂、自然と一体になった“世界”は決して消滅することがない──そう言っているように思われます。















ばいみ〜 ミ

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カテゴリ: 宮沢賢治

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