03/19の日記

17:27
100年たってようやく‥(9)

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こんばんは。。




このへんから、ようやく秋枝さんの講演記録に入っていきます。



秋枝さんは、実証学者だけあって、ほかの2人のパネラーとくらべて、格段に話は細かくなるのですが‥、

細かい諸点は、Eブックのほうで扱うことにして、ここでは大づかみな議論を取り上げてみたいと思います。




まず、『土神ときつね』論ですが、秋枝さんは、これも“先住民と中心からの圧力”という文脈に載せて理解します。

つまり、《土神》は、池澤さん言うところの・追われつくして、本来の秩序ある世界を喪失した先住民の神。
それに対して、《きつね》は、うつろな虚栄にみちた近代化の象徴のような存在です。



(それ以外に、本題とは関係ないかもしれませんが、秋枝さんは、《かばのき》は、《きつね》が好きで《土神》が嫌いwww──と、たいへん直截な女性的な読み方をされていて、おもしろいというか、一説として頷ける見解だと思いました。)



ただ、どうも、秋枝さんのこの読み方は、“先住民対グローバリズム”というスキームにとらわれているのかな‥ というか、《土神》が“いいもの”になりすぎている──《きつね》が悪者になりすぎていると、ギトンなどは感じます。



“近代化の象徴”ということで言えば、宮沢賢治は、この《きつね》のような、田舎の青二才がせいいっぱい背伸びしているような《近代化志向》を、決して悪くは思っていなかった。むしろ、それに愛着し、応援したくなる気持を(一面では)持っていたと思うのです。

一例として、「風景とオルゴール」という詩に詠われている・山の中の街道筋に設置された街路灯の明かりに対するオマージュがあります(⇒:『ゆらぐ蜉蝣文字』8.4.4 ):


「黒く巨きな松倉山のこつちに

 一點のダアリア複合体

 その電燈の企畫(プラン)なら

 じつに九月の寳石である

 その電燈の献策者に

 わたくしは青い蕃茄(トマト)を贈る

 どんなにこれらのぬれたみちや

 クレオソートを塗つたばかりのらんかんや

 電線も二本にせものの虚無のなかから光つてゐるし

 風景が深く透明にされたかわからない」





もちろん、作者が、この東北の片隅の《近代化志向》を、手放しで賞讃しているわけではないことは、

「電線も二本にせものの虚無のなかから光つてゐるし」

という一行によって明らかです。





そもそも──これはかなり主観的な作品評価に踏み込むのですが──、《土神》と《きつね》を、互いに牽制し合う登場人物として並べた場合、ギトンは圧倒的に《きつね》を応援します。



『土神と狐』は、賢治童話の中でも、とりわけ何度も読み返す作品なのですが、‥なぜ読み返したくなるかといえば、この《きつね》のキャラクターが好きだからです。



《きつね》は、すこしも“ずる”くはありません。かえって、自分の姿が人間に見えないのをいいことにして、通りがかりの木こり(猟師だったか‥)を念力で思う存分もてあそんで悦に入っている《土神》のほうが、ずっと“ずる”く思われます。

そして、《きつね》は平和主義者です。《土神》に力で対抗しようとする構えは全くなく、襲われたら逃げるだけです。

むしろ、《きつね》のほうが“先住民”の悲しさを秘めているのではないかと思われるほどです。



「髪がくろくてながく

 しんとくちをつぐむ

 ただそれっきりのことだ

    〔…〕

 頬がうすあかく瞳の茶いろ

 ただそれっきりのことだ」(春光呪咀)





↑これはまさに《きつね》につながるイメージです。清六氏は、「春光呪咀」で否定的に描かれている人物を、“中央の詩人・文学者”と解釈しており、他方、『土神と狐』の原稿に記入された作者のメモは、《きつね》=「詩人」と特徴づけています。



宮沢賢治には、故郷の山襞にうごめく前近代的な家父長制──それは“先住民”そのものではなく、その堕落態です──を嫌い、なんとかして“中心部”の明るい場所に出たいと願う地方青年のやむにやまれぬ志向が、つねに見え隠れしていたと思います。


“先住民”の太古の姿を理想化しただけでは、賢治も含まれる“同時代”の青年たちにとって、何の意味も無かったと思います。むしろ“中心部”から浸透して来る近代思想のエッセンスの中に置いてこそ、“先住民であること”は意味を持ったと思うのです。





上で引用した「風景とオルゴール」の箇所については、秋枝さんも、明るい《近代》を象徴する《電燈》の意義について詳しく述べており、

《きつね》のキャラクターが、否定的にのみ扱われていないことは、十分に理解しておられると思います。


ただ、“先住民”の復権という・この連続シンポジウムの趣旨に制約されてか、そのへんが、一方的に《土神》に同情する“賢治世界”における従来の支配的な受容スタンスから、あまり隔たっていないように思われました。
その点は不十分だと思いますし、たいへん残念です。




そういうわけで、ギトンは、秋枝さんの↓つぎのようなレヴューには、どこか異和感があるのです:


「『狐』は近代化そのものの象徴的存在で、『土神』は、時代の進展の中で忘れられていくものの象徴であり、その時代の敗残者『土神』が『祟り神』と化して、時代の矛盾、不合理を討つという物語である。」




つまり、↑これでは、見方があまり常識的すぎないか‥ 近代化がとうとうと展開している時代であれば、どんな時代にもあてはまる紋きり的なことしか読み取られていないのではないか?‥と感じるのです。


宮沢賢治の“同時代”は、もっと特殊な時代であったと思います。“中心部”において、いわば、反動が権力を握りつつある時代です。敗残し変質した“先住者の遺制”を“中心部”が取り上げて、皇国イデオロギーの基盤として組み込もうとしている時代でした。


そうした“中心部”の動きは、“先住民”に対して、彼らを“復権”しようとするのではなく、どこまでも彼らを利用しようとするものでしたから、当の“先住民”(土神)の主体的志向との間には矛盾があり、しかし、その矛盾は隠蔽されて、利用が優越してゆく局面が展開していたと思います。


そのような時代的文脈に置いて見るとき、死んだ《きつね》を抱いて《土神》が流す涙、また、《きつね》の死に顔に現れた静かな微笑は、何を意味するのでしょうか?‥





「狐の巣穴に象徴される近代化の虚偽性〔…〕その狐の悲しさに土神は打たれて、自らの行為の悪を悔いるという結末になっている。それは神なき時代の物語として現代に再生された『アイヌ神謡』の姿であると言えよう。」




秋枝さんは、このようにまとめられるのですが、はたしてそれだけか?‥




《きつね》という・“中心部”に順応して、たとえ虚栄を張ってでもそちらに向かおうとしていた者の無残な死に姿に接して、《土神》の頬を流れる涙は、“先住民”の蘇生のきっかけを示唆するものではなかったか?‥そんなことを感じるのです。

近代化幻想に眩惑された《きつね》を踏み越えて、“先住民”が直接“中心部”の基盤として取り立てられて思い上がり、血統的“皇国臣民”よりも忠実な“皇国臣民”となる──というのが、1930年代から1945年にかけて、じっさいに進行した歴史過程です。しかし、この童話は、それとは異なるいまひとつの“先住民の道”を、1920年代の時点で示していたのではないかと、思うのです。








ばいみ〜 ミ
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カテゴリ: 宮沢賢治

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