03/14の日記

18:21
100年たってようやく‥(4)

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こんばんは。。。








昨日の“宮沢賢治その人と、受容された宮沢賢治像とを区別する”に繋がるのですが



ギトンは、宮沢賢治の思想を、直接、現代の問題──たとえば、池澤さんが講演の最初に述べておられるグローバリズムの威力‥先住民の征服という問題、あるいは、渡辺芳樹さんなどが主張される環境・自然保護問題──につなげて理解することには、違和感があるのです。

そういった読み方が、“悪い”とは決して言えません。“現在”に直接結びつけて読むのと、間接的に結びつけて読むのと、まったく切り離すのと──“どれが正しいかを確定できない問題”だからです。



しかし、ギトンは、結びつけるなら間接的に‥と思うのです。間接的と言う意味は、秋枝さんが提唱されている考え方で‥‥、賢治が生きた同時代の文脈の中に、まず据えて理解する──そうすることによって、宮沢賢治本人が、何と格闘して生きていたのかが判るわけです。同時代の諸問題の中に位置づけ、同時代の思潮の中に位置づけることによって、賢治の舌足らずな言葉も、その意味をよりよく理解することができると思います。

それに‥、もうひとつ言えば、宮沢賢治の文学なり思想なりが価値を持つのは、いま・この“現在”との関わりにおいてだけではないはずです。むしろ、これから何十年か後に、何世紀か後になってはじめて見出されてくる意味もあるはずです。そこまで視野に入れれば、むしろ、いったん“同時代”(1900-1930年代)に置いた上で、その射程を考えたほうがよいでしょう。




たとえば、宮沢賢治は同性愛者でしたけれども、彼の生涯の一齣なり作品なりを、直接に現在のジェンダー問題に結びつけることはできないでしょう。

当時と現在とでは、同性愛者に対する社会の受け入れ方も(全体としての許容度は高まってきつつありますが、当時のほうが却っておおらかに扱われた面もあるのです)、同性愛者自身の自覚のあり方も、まったく異なっているからです。そのような“直接”的な方法では、断片的に、たとえば“ひとりの同性を生涯愛し続けた”という点を取り出して、現代のゲイに向けた教訓にする──といったことにとどまるでしょう。それでは、宮沢賢治本人が同性愛者として“何を生きたのか”、十分には見えてこないと思うのです。

ギトンは、“同性愛者として賢治を読む”ことを心がけているつもりですが、それは、決して、賢治のあれこれを“同性愛に関係づけて読む”ことを意味しません。

同性愛者という面をも含めて、宮沢賢治という人──またその作品群──の全体像を、その時代の中に据えて明らかにする作業にほかならないと思っています。




ところで、賢治の“同時代”とは、ひとつの面で言えば「帝国主義の時代」でした。もちろん、「帝国主義の時代」という・この捉え方自体が、“現在”からその時代を照射してはじめて出てくる捉え方ではあります。その意味で、間接的に現在に繋がっている。しかし、直接ではない。

したがって、このような構造を前提とした“読み方”は、作品や言葉の端々から、直接に何か教訓を読み取ろうとするような性急なやりかたにはならないわけです。




つまり、「帝国主義の時代」です。したがって、“先住民”の現れ方もまた、現代につながるけれども現代と同一ではない。あくまでも、「帝国主義の時代」における現れ方としてあったと思うのです。









具体的に言いますと、たとえば、文語詩〔いたつきてゆめみなやみし〕があります。

もともとこれは、『校本全集』よりも前には、定稿になる前の下書きのテキストで鑑賞されていました。下書きのほうが、作者の取材した具体的状況──朝鮮人の飴売りが、太鼓を叩きながら家の前の通りを通って行く──が分かり易く書かれていますし、作者自身の病いの状態も具体的に出ています。

定稿では、そうした具体的部分が削ぎ落とされていますけれども、それを補って余りあるものが表現されていると思います。定稿形で引用しますと:




「いたつきてゆめみなやみし、  (冬なりき)誰ともしらず、

 そのかみの高麗の軍楽、    うち鼓して過ぎれるありき。

 その線の工事了りて、     あるものはみちにさらばひ、

 あるものは火をはなつてふ、  かくてまた冬はきたりぬ。」





推敲中の下書きの途中の形では、古い昔の「高麗[こま]の軍楽」のありさまが──作者の想像ですけれども──非常に具体的に詳しく書かれてもいました。それが、「そのかみの」という一言に縮められています。しかし、その“省略”のおかげで、いま外を歩いている一人の飴売りと、その遥か昔の先祖の楽隊とが、直接一つに結び合っているのです。


「その線の工事了りて、/あるものはみちにさらばひ、/あるものは火をはなつてふ、」も、下書稿では、おそらく新聞記事で読んだ“不逞鮮人”の“不穏な”動向が、もう少し具体的に書かれていました。しかし、具体的な部分を省略して約めた↑この定稿形のほうが、作品としてはむしろ優れていると思います。というのは、当時の日韓関係史をより広い視野で見ることのできる現在の条件では、この詩は──省略が多いからこそ──その表現をより深い射程で受け取ることができるからです。



当時、植民地化され、抵抗運動も盛んだった“朝鮮”は、「先住民」とは違う面を持っていたかもしれません。しかし、“中心部”の膨張に伴なって追いやられてゆく者、という当時の状況は共通しており、少なくとも作者にとっては、同じ線上にある人々だったのです。


そうした“病んだ”外の社会の状況が、作者自身の「いたつき」(病い)に重なるかのように描かれています。

「ゆめみなやみし」とは、寝床に横たわって、この詩の映像が脳裡を過ぎてゆくのを走馬灯のように眺めている作者自身の状態であるとともに、外を歩く飴売りが抱く民族史的な《心象》であるかもしれません。


ともかく、この詩がいみじくも形象化したのは、太古の時代の輝かしい歴史と文化を背負った“先住民”たちが、まるで乞食か盗賊の集団ででもあるかのように追われてゆく、

そうした同時代史のドラマを、 しずかに伴奏するかのように、この民族特有のリズムを奏でつつ通り過ぎてゆく飴売りの姿が、長く厳しい「冬」を迎えようとしているこの土地──日本の“辺境”──の“いま”に重なります。。







ばいみ〜 ミ
   
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カテゴリ: 宮沢賢治

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