ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
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9.2.5


. 9.2.2 「マヒワとウグイス」←こちらのドイツ語原文を自分で読んでみられた方は気づいたと思うのですが、この『独文読本』のパラグラフには、「ダモン」"Damon" という不可解な単語が出てきます。

この単語は、独和辞典に無いのです‥。じつは、人名なのですが、ハンス、ペーター、マリーアといったポピュラーな人名なら、独和辞典にも出ています。しかし、「ダモン」は、独和辞典にも、ふつうの独独辞典にも出ていないくらい珍しい人名なのです。

"Damon" という人名があまり使われない理由は、おそらく、Dämon(デモン:悪魔、悪霊)、dämonisch(デモーニッシュ:悪魔的な) などを連想させるからではないでしょうか。じっさい、"Damon" は、これらと同語源なのですから。。。

キリスト教が広まる以前の古代ギリシャ・ローマでは、デモン(ダモン、ダイモン)は、むしろ神に近い存在だったのです。ですから、人名としても珍しくはありませんでした。
ところが、キリスト教が広がるにつれて、天使でも聖人でもないデモンは、もっぱら悪魔か魔神になってしまいます。

そういうわけで、辞書にも載らないくらい稀な人名になってしまったのですが、‥ただ、ごく最近では、ドイツでも、Damon という名前を子どもに付ける親が出てきています。ただ、その場合、“デイムン”と英語式に発音しているようです。英米の芸能人には、Damon なになにという人がいるので、その影響で、この名前も免疫になってきたか‥‥というと、インターネットを見る限り、「わが子はデイムン」と紹介したブログには、遠まわしな忌避のコメントがたくさん付いていました。まだ、そんな状況にあります。まぁ‥東洋のどこかの国のように、出生届出を拒否されるようなことは、なさそうですが(笑)。。。

ところで、じつは、過去にもいちど、"Damon" という名前が浮上したことがあったらしいのです。それは19世紀初め頃で、フリードリヒ・シラーが、バラード(物語詩)『ダモンとピュティアス』(1904年出版)を書いたからでした。





この『ダモンとピュティアス』(正確な人名は“ダモンとフィンティアス”)は、古代ギリシャ時代・紀元前4世紀から伝わる伝承で、いくつかのバージョンがありますが、主な筋は↓つぎのようです:

 ピタゴラス学派の人々は、たがいの友情を大切にすることで際立っていたが、学派外の人々の中には、これを良く思わず、中傷する人々もいた。

 そこで、シチリア島シラクサの独裁者ディオニュシオス2世は、残酷な実験を思いついた。ピタゴラス派の学徒フィンティアスを捕らえて濡れ衣を着せ、死刑の判決を下したのだ。フィンティアスの親友だったピタゴラス学徒ダモンがどうするか、見ものだというわけである。

 フィンティアスは、処刑の前に身辺のことを片付けるために、日没までの間、釈放して欲しい、戻って来る担保として、親友ダモンを人質にすると言う。フィンティアスが戻らなければ、ダモンが処刑されることになる。

 ディオニュシオスも、周りの取り巻きたちも、「他人の処刑の担保になろうとする人間などいるか?!」と言って嘲笑い、フィンティアスに呼ばれたダモンがやって来て、人質になることを承諾すると、「見捨てられるに決まっているのに、愚かなやつだ。」と言って嘲笑った。

 しかし、果たして、フィンティアスは約束どおり戻って来たので、ディオニュシオスは驚いて、自分もその友情の環に加えて欲しいと懇願するが、二人はこれを拒否する。

↑これが、この伝説のもっとも古いバージョン(前4世紀、アリストクセノス)で、もっとも単純な筋書き。

どこかで聞いたような話だと思いませんか?‥はい、じつはこの伝説、太宰治の『走れメロス』(1940年)のネタ噺なんです。。。w
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