ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
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9.3.10


「尚、最後に彼に対して彼女が感謝すべき事があるとすれば、それは〔…〕彼女の夢幻的な好意を(多少利用的であったとは云へ)最後まで精神的なものとして、只受けるに止まってくれた事にあるであらう。(もしも今少し彼が卑しかったならば、そして彼等の交渉が精神的なもの以上になったのであったならば、恐らく彼女の自己呵責はこの位ではすまされなかったであらう。」

(『自省録』,pp.360-361)

とあるように、身体の関係には進まなかったとしても、男が望めばそれもありうる程度の親密な感情関係で交際したことが分かります。





しかし、そのような関係が崩壊した原因は、前記のゴシップ記事であげつらわれているように、鈴木がトシと、もうひとりの「O」という女生徒とに、二股をかけたことにあったようです。

「Oさんに対する彼の心がわかった時にも、彼女には意外ではあったが顛倒させられはしなかった。〔…〕

 『彼は到底私の満足するやうな誠意を与へてくれる人ではない』とわかった。が彼女は尚も若いあこがれの夢を捨て兼ねた。『よし彼に対しては何ものも求めまい。〔…〕私は最後まで彼に対する好意と愛とを持ち通さう』と。そして此の決心は彼女自らを、悲劇の主人公と見るやうな自己耽溺に導く事によって淋しい満足を購ふ事が出来たのであった。〔…〕

 『せめてどうか卒業まで。卒業まで何事もない様に。互ひに別れてさへしまへば美しい夢は安全にいつまでも美しく保つ事が出来る』彼女ののぞみは只一つであった。

 がついに、その最後の希望も破れる時が来た。」
(『自省録』,pp.351-352)

卒業式の数日前に、前記の悪意に満ちたゴシップ記事が掲載されたからです。

「彼女は始めて味ふ人情の嶮しさと、彼女に明らかな強い敵意を以て企らまれる術策との激浪の中に揉まれねばならなかった。きのふまで友人とのみ信じてゐた人の思ひがけない裏切りに対する悲しみやおどろきや苦しみ、は魂を圧し潰すかと思はれた。〔…〕

 そして彼女に感じられたものは曽て味った事のない痛い痛い衆人の非難冷笑の眼と、彼からの明らかな疎隔とであった。〔…〕

 自分の上に痛い誹謗の矢を雨の様に受け、それのみならずその原因を彼女に与へた責任を分け負ふべき彼の打って変った背信を見て、自己のきのふまでの人にすぐれた名誉心も自重心も凡てふみにじられねばならぬ時、〔…〕

 彼女はもう一日も早くこの苦しい学校と郷里とからのがれ度いと云ふ願ひの外には、麻の様に乱れた現在を整理する気力も勇気も全く萎え果ててゐた。そして全く文字通りに彼女は学校から逃れ故郷から追はれたのであった。」
(『自省録』,pp.352-355)

ちなみに、鈴木教諭は、トシ卒業後、まもなく校長とけんかして辞職しています。そして、彼の後任が、宮沢賢治の友人となった藤原嘉藤治ですが、藤原も、女生徒との醜聞を(でっちあげられ??)県教育部に通報されて、賢治の奔走で窮地を救われる一幕がありました。この通報をした者は、鈴木ではないかと疑えるふしがあるのです。

いずれにせよ、この・トシの相手の男は、見かけにふさわしい内実を持つ人物ではなかったようです。トシが、鈴木を「利己的‥打算的な性格」と批判しているのも、恋に敗れた者の恨み言とばかりは言えなさそうです。。。
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