ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
20ページ/31ページ


9.3.9


「彼女は自分の行為が思ひもよらぬ大胆なものとなって行く事をわれながらおどろき恐れる気持がなかったか? 彼女のする事が一つ一つと安全な本道を遠ざかって危険な谷におちて行くのを彼女の本能のどこかで、チャンと知って居はしなかったか?〔…〕

 彼女の悔は、『自己の運命に無智であった』事に落ちて来ねばならない。」

(トシ『自省録』in:山根,op.cit.,p.358)

この「大胆なものとなって行」った「行為」について、トシ『自省録』は具体的に述べていませんが、堀尾青史氏の記述(宮澤家からの聞き取りか?)によれば:

「当時、上野出
〔「上野」は東京音楽学校の所在地──ギトン注〕の音楽担当、美男で全校のあこがれの的であった鈴木竹松という人の下宿、大工町の富沢さんの家のうら庭へ、あるかわたれどき、トシが人形をだいてあらわれ、

 『センセー、センセー』

 と夕顔のような声をだして呼ぶのを同級生のひとりが見てしまった。当時節句でもないのに人形を、それも美男子に贈るなどということはそれだけで十分ショッキングなできごとであった。それにトシは、父がきびしかったから、外出には女中さんがついていたが、このときはそっとやってきたらしい。

 『見チャッタ、聞イチャッタ』

 とあくる日学校でうわさの種にされ、同級生の中にはねたましさ、くやしさに気絶しそうになったのもいたそうだが、」
(山根,op.cit.,p.20)

また、前記『岩手民報』の記事には、ゴシップながら、トシが、鈴木宛てに書いたラブレターを学校で紛失してしまい、それを

「同じクラスのM子が拾つて〔…〕日頃仲良しのK子に話すとパツと立つた噂〔…〕悪事千里を走るの例ひに洩れず忽ち全校一般の評判となつて了つた。」
(山根,op.cit.,p.26.掲載の記事写真から判読)

★(注) ただし、この“ラブレターの紛失・拾得”は、トシ『自省録』の記述と照合してみると、事実かどうか頗る疑問であり、記者の創作ゴシップとも考えられます。なお、当時宮澤家は、地元では新興の財産家として嫉み・噂の標的となりやすい立場にあり、子女の恋愛沙汰は格好のネタであったと思われます。この記事も、トシに対する以上に宮澤家を攻撃の対象にしている趣が感じられます。また、同じことは、トシのみならず、賢治の地元での“恋愛の風聞”(ギトンはその大部分は根も葉もないと思っています)についても言えます。

と書かれています。しかし、トシの鈴木に対する恋が、単なる片思いや懸想のしかけでなかったことは、『自省録』に:

「『私共はお互ひに好意を持ち合って居る』その確信だけが間違ひなく掴む事が出来れば彼女は満足であった。〔…〕

 彼はいつであったか、彼と他の人との間に結婚を勧められた事を彼女に語って、それに対する意見を彼女に尋ねた事があった。(たとへ彼が其時何か下心あってその事を云ったのであったとしても〔…〕」
(トシ『自省録』,p.350)

とあることによって明らかです。また、ゴシップ記事によって相互の関係が崩壊した後、鈴木は、トシを避けるようになったのですが、その原因として:

「が彼女は人を通してわづかに彼の疎隔の原因らしいものを伝へられた。それは彼女が彼との交渉を、ある程度までかくす所なく、信頼するある人と友だちとに告げてゐた事が彼の自重心を傷つけて『あざむかれた』と云ふ憤りを起こさせたものと考へられた。〔…〕

 彼にとっての彼等の間の感情は純粋に彼自身の為のものであり利用的なものとは解されて居なかったか?〔…〕

 彼女は時時彼の利己的な、又物質的な、或は男らしくない打算的な性格に触れる事を感じた。〔…〕彼女は時として彼が自分の好意をうけるのに実利的であり、肝心の的を外れてゐるではなからうかと云ふ事を直覚して悲しみにとらはれる事があった」
(『自省録』,pp.355-357)

と、トシは書いています。鈴木教諭の側でもトシの感情を受け入れて、(それを利用しようという利己的打算的なもくろみであったとトシは批判するのですが)相互的な交際があったと見られます☆

☆(注) 宮澤家にはトシの使っていたヴァイオリンが遺されており、これは現在、宮沢賢治記念館に保管されています。トシと鈴木教諭との交際の内容は、ヴァイオリンの個人教授を主とするものではなかったかと想像されます。なお、『自省録』文中の「信頼するある人」とは、兄の賢治とも考えられます。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ