ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
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9.3.6


ちなみに、「‥‥けんじゃ」という口調は、相馬氏によれば、「方言としてもかなりぶっきらぼうな言い方」です。『春と修羅』の賢治の語注には、「‥‥とつてきてください」と書いてありますが、「‥‥けんじゃ」に丁寧語の意味は無いそうです。共通語にすれば、「‥‥くれよ」「‥‥くれよなあ」くらいの意味になるそうです。「けん」は:

 〜してくれ → 〜してけれ → 〜してけん

という変化であり、「じゃ」は、共通語の「よ」「ね」に相当する終助詞だそうです。

こうした点からも、このセリフは、「取ってきてください」と居ずまいを正して頼む言い方ではなく、幼い兄妹の間のぞんざいな会話にこそふさわしいのです☆

☆(注) なお、トシのふだんの話し方は、賢治が『春と修羅』に描くイメージとは相当異なっていたようで‥、たとえば細川キヨ聞書きによれば、賢治が「汽車の中で、困る人をみて、〔…〕二十円くれてやったと」聞いて、トシは:「賢さんに、おらほの家のあとをつがれれば、おらほの家は、かまどかえすごった。〔破産することだ──ギトン注〕」と言ったそうです。(森荘已池『宮沢賢治の肖像』,p.151)





さて、このように、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という・方言としても幼児語的な・ぞんざいな言い方をあえて持ち出し、リフレインとして繰り返すことによって、兄妹の幼少時に遡って記憶を呼び戻し、妹の臨終の情況にオーバーラップさせて、そのリアリティ(フィクションであるがゆえの・まざまざと鮮明なリアルさ)を高めているという相馬氏の指摘は、たいへん魅力的なものです。

ところで、「あめゆじゅ‥‥」を、この相馬説によって解しますと、前節で取り上げた「蓴菜のもやうの」欠けた茶碗についても、いっそう理解が深まるように思われます。

というのは、

「この欠けて使えなくなった蓴菜模様の茶碗は、母が捨てずにしまい込んでおいたものだという。」
(相馬,op.cit.,p.43)

したがって、賢治が、この日、しまい込まれていた茶碗をわざわざ出してきて、雨雪を取りに行ったという可能性は非常に低くなるのですが、たとえその“思い出の茶碗”ではなく、手近にあった在りあわせの容器だったとしても、作者の《心象》には、その「青い蓴菜のもやうのついた‥ふたつのかけた陶椀」が、まざまざと蘇っていたのであり、雨雪を受け取ったトシにも、それは同様に“目には見えない現実”だったと思うのです。

「トシの科白──とりわけ『あめゆじゆとてちてけんじや』を臨終の日の実録としてのみ受けとることにはどうしても無理がある。

 〔…〕これらの詩は決して臨場的な事実の記録ではなく、心象スケッチ風の鎮魂歌──トシのためよりも、むしろ賢治自身のための鎮魂歌ではないのか、〔…〕トシの臨終を詩化することによってひそかに
〔賢治自身の──ギトン注〕<未来>への再生を信じようとする。この<過・現・未>の烈しい時間的交錯の中にこそ、三部作を解く鍵がかくされているはずである。」(op.cit.,pp.43-44)
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