ゆらぐ蜉蝣文字


第9章 《えぴ》
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9.3.3


 (2) 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は、幼児語? ⇒:6.1.16 「永訣の朝」

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という方言のフレーズが、「永訣の朝」で何度も繰り返されます:

. 春と修羅・初版本

01けふのうちに
02とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
03みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
04 (あめゆじゆとてちてけんじや)※
05うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
06みぞれはびちよびちよふつてくる
07 (あめゆじゆとてちてけんじや)※
08青い蓴菜のもやうのついた
09これらふたつのかけた陶椀に
10おまへがたべるあめゆきをとらうとして
11わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
12このくらいみぞれのなかに飛びだした
13 (あめゆじゆとてちてけんじや)※
14蒼鉛いろの暗い雲から
15みぞれはびちよびちよ沈んでくる
16ああとし子
17死ぬといふいまごろになつて
18わたくしをいつしやうあかるくするために
19こんなさつぱりした雪のひとわんを
20おまへはわたくしにたのんだのだ
21ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
22わたくしもまつすぐにすすんでいくから
23 (あめゆじゆとてちてけんじや)※

 ※あめゆきとつてきてください

この「あめゆじゅとてちてけんじゃ」について、方言を知ろうと知るまいと、まず言えることは、4・3・3というきれいな音律になっていることです。つまり、死に瀕した者が現実にしたであろうたどたどしい呟きなどではなく、まさに詩の言葉なのです。

この作品に挿入されている他の方言詩句と並べてみますと:

@「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 4・3・3

A「Ora Orade Shitori egumo」 2・3・3・3

B「うまれでくるたて
  こんどはこたにわりゃのごとばかりで
  くるしまなあよにうまれてくる」

Bだけが散文的で、@、Aのようなリズミカルな音律はありません。

そして、すでに本文で、看護婦細川キヨの聞き書きによって検証したように、Bだけが、現実のトシの発言(ただし、おそらく臨終の11月27日当日ではなく、何日か前)であり、@とAは、作者の創作した“トシの言葉”なのです☆:6.1.20 細川キヨ聞書き

☆(注) 「松の針」「無声慟哭」の2篇に挿入されている“トシの言葉”(計3件)は、すべて散文ですが、これらは、この2篇の性格上、散文とされたのであり、やはり「永訣の朝」の@、Aと同様に、賢治の創作した言葉です。というのは、細川キヨ聞き書きを信憑する限り、臨終の日のトシは、もはやこのような発言ができるような容態ではなかったからです。

ところで、この《補論》で、さらに検討したいのは、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」は、どのような方言なのか、ということです。というのは、‥ギトンは、岩手県の方言をまったく知らないので、自分では判断できないのですが‥↑この“発言”の口調は、花巻の通常の方言とは、少し違うらしいのです。。。

これは、“花巻の上流階級の雅語”だという意見もあります。しかし、江戸時代の花巻は城下町ではなく(戦国末に稗貫氏が没落した後、花巻城には南部藩の代官が置かれていました)、宮澤家も士族ではないのに、一般住民とは区別されるような“雅語”を用いていたということ自体、容易に信じられません。
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