ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.4.16



「『博士ありがたう、おっかさん。すぐ乳をもって行きますよ』

 ジョバンニは叫んでまた走りはじめました。何かいろいろのものが一ぺんにジョバンニの胸に集ってなんとも云へずかなしいやうな新しいやうな気がするのでした。

 琴の星がずうっと西の方へ移ってそしてまた蕈のやうに足をのばしてゐました。」

この「琴の星」は、草下英明氏によると、琴座の主星ベガ(織姫星)です☆

☆(注) 草下英明『宮澤賢治と星』,1975,学藝書林,pp.69-70,165.

ベガは、0.03等星で、夏の大三角の中でも一際明るく輝く青白い星で、全天で4番目に明るい星だそうです。

これなら、「風景とオルゴール」の薄明の空でも見えそうです。
当日時の星空を再現してみますと、午後6時から8時まで、ベガはずっと天頂付近に出ています。

「風景とオルゴール」の「大きな青い星」は、木星だと言う人もいます。
しかし、木星は、青くはないのです:画像ファイル:木星、ベガ、スピカ

星の色の見えかたは個人差があるかもしれませんが、草下氏も、木星は「金色」だと書いています。

たしかに、当日時には、木星が南西の低空に出ていて、ちょうど賢治が歩いてゆく方向の正面です。
しかし、詩行を見ると:

53電線と恐ろしい玉髄(キヤルセドニ)の雲のきれ
54そこから見當のつかない大きな青い星がうかぶ

とあって、動いてゆく雲の間から光って見えているようすで、低空とも天頂ともとれます。あまり低空だと、山に隠れてしまうかもしれません。

それに、低空の方がよいのなら、当日時には、乙女座のスピカ(1.04等星)が西の低空にあります。スピカは、ベガよりさらに青みが強くて、正真正銘の「青い星」です。

そういうわけで、木星を「青い星」にするのは無理だと思います。
このあと説明しますが、この星の「青い」色は、「風景とオルゴール」の理解にとって非常に重要なのです。

【印刷用原稿】推敲前の「琴の星」という表現も考慮して、この「大きな青い星」は、琴座のベガだという前提で、以下の話を進めたいと思います。

さて、上に引用した『銀河鉄道の夜』では、「琴の星」「青い琴の星」が、ストーリーの重要なポイントで現れて、「蕈(きのこ)のやうに足をのば」すという、特徴あるふるまいをします。
「琴の星」は、作者の構想の中で重要な役割を持っているにちがいないと思います★

★(注) その内容については、ここでは触れません。『銀河鉄道の夜』は、『春と修羅』《初版本》より後で書かれたもので、『春と修羅』に影響することはありえないからです。

『春と修羅』以前では、どうでしょうか?

思いつくのは、『よだかの星』の最後で、

「それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のやうな青い美しい光になって、しづかに燃えてゐるのを見ました。

 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになってゐました。

 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。

 今でもまだ燃えてゐます。」

つまり、よだかは、“青い星”になったと言うのです。
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