ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.3.7


そして、1920年、賢治は嘉内に宛てた手紙の中で、しきりに、「しっかりやりませう」という言葉を繰り返しています:

「お互にしっかりやらなければなりません。〔…〕

 まだ、まだ、まだ、まだこんなことではだめだ。
 専門はくすぐったい。学者はおかしい。
 実業家とは何のことだ。まだまだまだ。

 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。─
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。─
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。─
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。─
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。─
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。
 しっかりやりませう。─しっかりやりませう。
 しっかりやりませう─しっかりやりませう
 しっかりやりませう─しっかりやりませう しっかりやりませう
 しっかりやりませう─しっかりやりませう」
(1920年6-7月 [165])

「宗教風の恋」12行目の「しつかり」は、この“理想をめざした日々”を忘れまいとする意識の抵抗ではないかと思うのです。

. 春と修羅・初版本

11信仰でしか得られないものを
12なぜ人間の中でしつかり捕へやうとするか

↑これは、まさに保阪との間で賢治が求めた・宗教風の理想を一挙に実現しようとする無謀な試みの回顧なのです。

そして、その結果(“理想の実現”が、宗派への“相手の折伏”という方向へ逸れてしまうことによって)、最愛の恋人と疎遠になってしまった哀しみが、16行目の:

「そんな醫される筈のないかなしみ」

に、ほかならないのです。

. 春と修羅・初版本

13風はどうどう空で鳴つてるし
14東京の避難者たちは半分腦膜炎になつて
15いまでもまいにち遁げて来るのに
16どうしておまへはそんな醫される筈のないかなしみを
17わざとあかるいそらからとるか
18いまはもうさうしてゐるときでない

13行目の「どうどう」という感性は、童話『風の又三郎』を生み出すことになります。

14-15行目は、震災後に東京から避難して来た被災者たちを指しています。『岩手日報』の当時の記事によりますと、花巻・盛岡への避難者数は、つぎのとおりでした☆:

☆(注) 栗原敦『宮沢賢治 透明な軌道の上から』,pp.112-113.

  調査場所    対 象   期 間   人 数

 花巻駅前救護所 当駅下車罹災民 9/3-12   707名

 岩手軽便鉄道   罹災避難者  9/4-12   520名

  盛岡駅     汽車避難者  〜9/16  1135名
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