ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.3.5


. 春と修羅・初版本

01がさがさした稻もやさしい油緑に熟し
02西ならあんな暗い立派な霧でいつぱい
03草穂はいちめん風で波立つてゐるのに

西のナメトコ山方面の山地は、「暗い立派な霧でいつぱい」。作者は、旧友保阪に思いを馳せます。

そして、「草穂はいちめん風で波立つてゐる」──原野の丈高い雑草も、強い風に波打っています。

. 春と修羅・初版本

03草穂はいちめん風で波立つてゐるのに
04可哀さうなおまへの弱いあたまは
05くらくらするまで青く乱れ
06いまに太田武か誰かのやうに
07眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ

はじめの3行の自然描写は、こんなにすてきな自然を「おまへ」は、どうして楽しもうとしないのか?‥と言うために書いていたわけです。2行目の「あんな暗い」、3行目の「いちめん」は、いずれも、あんなにすばらしい‥、こんなに雄大な‥、と言っていたわけです。

「不貪慾戒」からの続きですが、作者は、いままではもっぱら「かなし」さの対象、「くるほし」い悩ましさの対象、「毒草や蛍光菌のくらい野原」「青ぐらい修羅」(無声慟哭)として見ていた灰色の風景に対して、自分の見方を改めることによって、新たな“美”を見出そうとしているように思われます。

ところで、この詩は、4行目以降、最後まで、「おまへ」に対する語りかけに終始しています。
これは、「雲とはんのき」の「(ひのきのひらめく六月に」以下が「おまへ」に対する警告の語りかけだったのと繋がります(制作時期は、「雲とはんのき」のほうがあとですが)。

つまり、この「おまへ」は、作者「おれ」が、自分自身に対して語りかけていることになり、ここには、“意識の分裂”が顕著に現れていると言えます。

ただ、『春と修羅』前半のような激しい“相克・葛藤”は、ここにはありません。とりあえず、ここでは、語りかけられているほうの意識は、語りかけている「おれ」の言葉に、じっと耳を傾けているように見えます☆

☆(注) 語りかけられているほうの意識が、目を覚まして反乱を起こすのは、次の「風景とオルゴール」からあとのスケッチにおいてです。

「太田武」は不明です。ともかく、「弱いあたまは/くらくらするまで青く乱れ」「眼のふちもぐちやぐちやになつてしまふ」というのは、自我(と超越者)の「照り返」しの世界に閉じこもって観念に沈潜することの非を、目に見えるイメージで表現しているわけです。

. 春と修羅・初版本

08ほんたうにそんな偏つて尖つた心の動きかたのくせ
09なぜこんなにすきとほつてきれいな気層のなかから
10燃えて暗いなやましいものをつかまへるか
11信仰でしか得られないものを
12なぜ人間の中でしつかり捕へやうとするか

「こんなにすきとほつてきれいな気層」は、さきほどの1〜3行目の自然描写につながります。
モノトーンに見えていた風景の中に、新たな美を見出すだけでなく、自分の新たな“居場所”を見つけようとしています。

太陽の「照り返」しと栄光の中に輝くことを求める《熱した》精神は、いったん裏返れば、「偏つて尖つた心の動きかた」に導かれ、ことさらに「燃えて暗いなやましいものをつかまへる」心性の隘路に突き進んでしまいます★

★(注) 秋枝美保,op.cit.,pp.68-69.参照。
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