ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.28


関東大震災後の“反動化”した世論の中では、こうした部分は、とくに気になったと思われます。

というのは、震災前の1923年6月の段階ですでに、賢治は、斎藤宗次郎に、↓こんなことを言っているからです:

「6月5日(火)〔…〕斎藤宗次郎が賢治宿直の農学校へくる。〔…〕斎藤の『二荊自叙伝』より引用する。

 『〔…〕次に先生自作の“黎明行進歌”というのを示され且つ所感を求められた。予は平和と希望に満ちたよい歌であるというたら、安心したといわれ、ただ時節柄革命反抗的の意志あるものの如く諒解せられては遺憾の至りであると言われた。〔…〕譜に合せ声高らかに歌って聞かせて呉れた、〔…〕』」
(『新校本全集』「年譜」)

「黎明行進歌」は、その後『国柱会』の『天業民報』に投稿して、この年8月に掲載されているくらいですから、賢治が「革命反抗的の意志あるものの如く諒解せられては‥」などと心配するのは、まったくの杞憂なのですが‥‥歌詞にひっかかる部分があるとすれば、↓つぎの箇所だと思います:

「銹びし五日の 金の鎌、
 かの山稜に落ち行きて、
 われらが犂の 燦転と、
 朝日の酒は 地に充てり。

 起てわが気圏の戦士らよ
 暁(あかつき)すでに やぶれしを
 いま角礫の あれつちに
 リンデの種子(たね)を わが播かん。」
(「黎明行進歌」3〜4連)

「金の鎌」が、赤地に草刈鎌とハンマーをあしらったソ連の国旗を連想させるとか、「起てわが気圏の戦士らよ」が、革命に決起せよみたいに思われるとか‥、気になるとしたら、その程度です‥(ほとんどこじつけでしょう‥)

しかし、斎藤宗次郎に聞かせた時に、作ったばかりだったとすれば、「六月」の作です。そして、初夏の伸びやかな生命の息吹き──「原体剣舞連」にもつながるような──を表現していて、かつ、「男らしい償ひ」を強いられるかもしれない──左翼的だと批判されるか、そうでなければ、ナショナリスティックな方向で不本意に利用されるかもしれない‥賢治がそう危惧したという点では、秋枝説にぴったり該当するかもしれません。

……以上から、「ひのきのひらめく六月」の作品で、秋枝説に該当しそうなものは、たしかに幾つかあることがわかりました。
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