ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.24


. 春と修羅・初版本

21カフカズ風に帽子を折つてかぶるもの
22感官のさびしい盈虚のなかで
23貨物車輪の裏の秋の明るさ

「盈虚」は、満ち欠け、充満と空虚。「感官」は、感覚器官。

「感官のさびしい盈虚」は、きらきら耀く美しい風景や‘胸が熱く熔ける’ような愛憎の情念で充溢するかと思えば、ガランとした空っぽの寂しさを味わうというように、転々と定まらない状態だと思います。

20行目「無細工の銀の水車でもまはすがいい」までの回想で熱した作者の感情も、いまはうそのように冷え切って、胸に穴があいたような凄絶な寂しさに襲われているようです。

「銀の水車」→「火薬車」と来て、→いまは「貨物車輪」です。保阪との日々は遠く過ぎ去って、時間の車輪はとどまることなく、容赦なく回転を続けます。

「貨物車輪の裏の秋の明るさ」は、貨物車の下の暗がりと、その向こうで明るい陽を浴びている秋の風景との・《明暗の対比》を表現しています:陽が明るければ明るいほど、暗がりはますます暗さを増すのです。

「ZYPRESSEN 春のいちれつ
  くろぐろと光素を吸ひ
   その暗い脚並からは
    天山の雪の稜さへひかるのに」
(作品「春と修羅」)

にも見られたように、昼の光と影、《明暗の対比》は、賢治が好んだ風景のモチーフですが、
ここでは、車輪の向こうの明るささえもが、どうしようもなく虚しいものに感じられています。

「カフカズ風に帽子を折つてかぶるもの」は、ロシア革命の起きた時代に、あらぬ疑いをかけられて学校から放逐された保阪の影深い姿を、想起させているかもしれません。

その彼と浮沈をともにしてきた何年かののち、いまここでじっと眺める「秋の明るさ」に、賢治は、なんともやりきれない虚しさを感じずにはいないのです。

なお、この21-23行目は、列車が停車場に停まった間のスケッチのように思われます。

. 春と修羅・初版本

24  (ひのきのひらめく六月に
25   おまへが刻んだその線は
26   やがてどんな重荷になつて
27   おまへに男らしい償ひを強ひるかわからない)
28 手宮文字です 手宮文字です

24-27行のカッコ書きは、非常に解釈の難しい部分ですが、やはり、23行目までの作者の思索の流れから理解して行くべきでしょう。

だとすれば、この4行もまた、1918年に高等農林学校を離れて以来、保阪が歩んだ困難な人生の道、また賢治自身がよろよろと右往左往歩んできた道を思い返し、そこから出て来た言葉だと考えなければなりません。



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