ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.3


『第1集』後半、とくに【第8章】では、なぜ中篇詩が中心になるのでしょうか?

そこで、作品の長さという形式的な面から、内容の面へと、視点を進める必要があります。

【第7章】までの検討から、まず思いつくのは、中篇詩が100%だった【第6章】の内容です。【第6章】「無声慟哭」は、トシの死をめぐる思索と煩悶の跡が顕著な章で、どの詩篇にも、分裂した意識の相克が溢れんばかりに描かれています。

【第8章】「風景とオルゴール」でも、意識の分裂と相克がテーマになっているのではないか、ということが考えられますが、しかし、【第8章】は、すでにサハリン旅行から帰って来た後であり、読んだ印象としても、秋冷の季節の中で落ち着いた雰囲気の詩が多いのです。
意識の相克は、表面的には、【第6章】ほどではないように見うけられます。

【第8章】の内容的な特徴について、諸家の論を見てみたいと思います:

 1 恩田逸夫

「詩章『風景とオルゴール』を執筆するころには、とみに制作力の深まりを示している。おそらく挽歌を書いたことが精神の浄化作用ともなったであろうし、それに半か年の沈潜が詩風を熟させたとも考えられる。」
詩章『グランド電柱』では「単一な風物・単一な心理の表現であったものが風景の構成や心理の起伏などの点で複雑となり、しかも風物と心象とがよりいっそう有機的に組み合わされて作品の深度を増大しているのである。」

☆(注) 恩田逸夫,op.cit.,p.193.

つまり、【第8章】では、それまでの作品よりも、「風景の構成や心理の起伏などの点で複雑となり」、詩の内容に複合的な構造が見られるようになっているという指摘です。

ふりかえってみると、『春と修羅』の《心象スケッチ》は、“歩行詩”として出発したのでした。巻頭の作品「屈折率」からしてすでに:

「わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
 このでこぼこの雪をふみ」

というように、雪に覆われた野原の道を、岩手山(を覆う雲)を真正面に望みながら農場へとたどって行く“歩行詩”にほかなりません。

そして、典型的な“歩行詩”とされるのは、長詩「小岩井農場」です。

ここで注意したいのは、“歩行詩”には、始めも終りもないということです。歩きながら、風景や意識の流れをつぎつぎメモして行くわけですから、スケッチされるべき《心象》の“流れ”は、歩いているあいだじゅう続いています。詩作品の形にまとめられたものは、そうした、始めも終わりもない“流れ”の一部分を切り取ったものに過ぎません。作品は、“流れ”の途中からいきなり始まり、やがて、“流れ”の途中で中断して終ります。

「小岩井農場」を見ますと、「パート1」の最初は:

「わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
 そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
 けれどももつとはやいひとはある」

という滑り出しで、読者が状況を呑み込むよりも先に、作者はどんどん前の乗客に付いて歩いて行っているという目まぐるしい展開です。

最後の「パート9」の終結部も同様で:

「ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
 雲はますます縮れてひかり
 わたくしはかつきりみちをまがる」

と言って、終ってしまいます。なぜここで終るのか、よくわからないし、「みちをまがる」と、その先がどうなるのか、そもそも、どこへ向かって曲ったのか、知りようのないまま、尻切れトンボで終ってしまいます。

しかし、それこそが《心象スケッチ》であり、“ありのままの記録”なのです。
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