ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.2.4


. 春と修羅・初版本

05  《北ぞらのちぢれ羊から
06   おれの崇敬は照り返され
07   天の海と窓の日おほひ
08   おれの崇敬は照り返され》




しかし、この4行の解釈については、研究者の間で意見が分かれています。

宮沢賢治は生前、この4行詩〔北ぞらのちぢれ羊から〕に自作のメロディーをつけて、歌曲として歌っていました。
筑摩書房・昭和34年版『宮澤賢治全集』に、「阿部 孝☆ 採譜」として、この4行が楽譜つきで掲載されたのが、歌曲として世に紹介された最初です★。

☆(注) 阿部孝は、宮澤賢治の盛岡中学校での同級生で、花巻の鼬幣神社の宮司の子。東京帝国大学文学部英文学科に進学し、戦後は高知大学学長などを歴任。「年譜」等によると、1919年1-2月に東京で、同年6月、1920年頃、1924年8月に花巻で賢治に会っています。なお、阿部氏の記憶していたメロディーが賢治の生前のものであることは、宮澤清六氏によって確認されています。

★(注) 『新校本全集』第6巻・校異篇,pp.235-236.

この4行詩〔北ぞらのちぢれ羊から〕は、「雲とはんのき」のほかに、@散文「図書館幻想」、A口語詩『ダルゲ』、B『東京ノート』所収の文語詩〔われはダルゲを名乗れるものは〕、C『文語詩未定稿綴』所収の〔われはダルケを名乗れるものと〕にも、字句を多少変えながら、含まれているものです。

@〜Cは、推敲・改稿の逐次形、ないし関連作品ですので、‥便宜上、これらを《ダルゲ草稿群》と呼ぶことにします。

《ダルゲ草稿群》の解釈には、おおきく分けて2つの考え方があります。

【A】(菅原智恵子)「ダルゲ(ダルケ)」は、保阪嘉内を指しており、《ダルゲ草稿群》は、1921年7月の賢治と嘉内の“訣別”体験に根ざすものである。

【B】(秋枝美保)「ダルゲ(ダルケ)」とは、ドイツの仏教徒パウル・ダールケのことであり、賢治は《ダルゲ草稿群》で、ダルケの書物から受けた影響とその克服を、象徴的に描いている。

↑このように、尊敬するお二人の間で意見がまっこうから対立しているので、ギトンとしては困ってしまうのですが。。。(><)

あらかじめ結論を言っておきますと、ギトンは、《ダルゲ草稿群》を成立年代によって分け、『春と修羅』以前のものと、『春と修羅』の「雲とはんのき」は、ほぼ菅原説のとおり、それより後のものは、秋枝説を参照して理解するという立場です。

これから《ダルゲ草稿群》の検討に入りますが、まず、何はともあれ、各本文を読んでみることにしたいと思います:⇒ダルゲ草稿群
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