ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
3ページ/219ページ


8.1.2


『心象スケッチ 春と修羅』の前後の詩作まで視野に入れて見ますと、中学時代以来1921年まで続いていた短歌の制作は、一種の短詩と言えるものですし、1921-22年の『冬のスケッチ』は、短詩の連作を集めたものです。

つまり、もともと賢治は、短詩の制作をもっぱらしていたのが、『春と修羅(第1集)』収録の詩作の中で、長篇詩の制作もまじえながら、短詩から中篇詩へとシフトして行った──と言えそうです。

それでは、『春と修羅(第2集)』では、どうなのでしょうか?

作品日付順に、はじめの5ヶ月間を集計すると、次のとおりです↓(『新校本全集』「校異篇」から【下書稿(一)】を比較した。題名も【下書稿(一)】による。)






長篇詩は、もう書かれませんが、短詩が増えて、中篇の割合は、かえって減っています。
『第1集』後半では、中篇詩は、【第5章】75%,【第6章】100%,【第7章】60%,【第8章】92.3% だったのに、『第2集』のはじめ5ヶ月間では、38.9%にすぎません。

そうすると、『春と修羅(第1集)』後半の各章に短詩が少なく、中篇詩が多いのは、『第2集』への移行の姿ではなくて、むしろ、この時期(1922年9月〜23年12月)の大きな特質だと言ってよさそうです。

そして、実質的には“中篇詩が100%”の【第8章】「風景とオルゴール」は、その傾向のピークと言うべきですから、
このような形式的特質のピークが、どんな内容の特質に基いているのかは、興味のあるところです。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ