ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.28


「百丈禅師の垂語にかふしたことがある。人の命終のとき。一生所有善悪の業縁。悉く現前す。或は欣(よろこ)び或は怖る。六道も五蘊も。倶時に現前す。舎宅を見る。舟船車輿を見る。光明顕赫たるを見る。此は自心の貪愛より現ずる。一切の悪境も。そのとき皆変じて厳好の境と成る。但愛の重き処に随ひ。業識にひかれ。著(ちゃく)するに随て生を受る。都(すべ)て自由の分なし。龍畜良賎も亦総(そうじて)未定と。此垂語は面白きことじや。」
(10〜11頁)

↑ここでは、生前の執着心が転生先を決めてしまうという理論が、より明快に述べられています。

「百丈」☆によれば、人が死ぬときには、一生の間の「善悪の業縁(ごうえん)。悉(ことごと)く現前す。」しかも、死ぬ人の眼には、悪いものも、すべて美しく、好ましく見えてしまう。

☆(注) 「百丈禅師」、すなわち百丈懐海(749-814)は、中国・唐の禅僧。労働を重要な修行とし、布施托鉢に頼っていた寺院経済を改め、自給自足による禅院を確立しました。

夢幻の中に、「舎宅」や、大きな船や乗り物が「光明顕赫」として現れるが、これらは、自身の「貪愛」の心が見せているのである。「一切の悪境も、そのとき皆変じて厳好の境」に見えてしまう。

そこで、死ぬ人は、ただ「愛の重き処に随」って、自分が美しい、好ましいと思うほうへ引かれて行ってしまう。そして、審美感覚の「業」に引っ張られて、生前に執着していた悪いものに付着して、転生することになる。。。

宮沢賢治の中学生時代の短歌:

#37 泣きながら北にはせゆく塔などのあるべき空のけはひならずや
(『歌稿A』,1913.4.-1914.3.の章)

は、この「目連」の“異界視”の話を想起しているのは、まちがえないでしょう。おそらく、当時から、『十善法語』の・この箇所を読んでいたのだと思われます。

↑賢治の短歌は、明け方の空の気配が、「目連」が透視した「軽地獄」さえ見えてきそうな気味悪いものだと言っているのです。

それはともかく、
慈雲は、美的、官能的、愛情的な生に対して、否定的な考えを述べているわけですが、

さらに、慈雲が、地獄の「業火に焼るゝじや」とまで述べて断罪しているのは、↓次のような場合です……ここで、例の“同性愛禁止”が‘宣告’されます。

あるとき、商人たちが、交易のために遠方の国へ航海することになり、海路の無事を祈ってもらうために、「僧護」★という仏教僧を連れて行った。幸いに嵐もなく、交易も大成功で、高価な物資を手に入れた一行は、帰りは安全な陸路で行くことにした。

ところが、「僧護」は帰路の途中で、隊商の一行とはぐれてしまった。

★(注) 「僧護」(サムガラクシタ)は、インドの中観派の仏教僧で、紀元後4世紀頃、無著(むぢゃく:アサンガ)と同時代の人。

「或時僧護比丘(そうごびく)静処に思惟し。同伴を失ふ。独(ひとり)行路に迷て異路に入る。路次種々希有の事有り。其中に。一の褥形(じょくぎょう)の有情(うじょう)。火に焼れて苦を受く。又或処に。両人の禿頭の者互に相抱きて。此も火に焼れ苦を受く。此の類総じて五十六事あり。〔…〕僧護比丘此五百の羅漢を誘引して帰著し。祇園精舎に詣す。〔…〕僧護比丘進で世尊を礼し。褥形有情の事を問ふ。世尊答ふ。彼は過去迦葉仏の時の出家人なり。僧の臥具を妄に受用せし罪に由て。此孤独地獄に在て。今に此苦を受く。次に両出家の抱て苦を受るを問ふ。世尊言く。此も迦葉仏の時の出家人なり。両人互に相愛して。毎夜相抱き臥す。此罪に因て。孤独地獄に在て。今に苦を受ると。」
(5〜7頁)

瞑想していた間に商人仲間とはぐれてしまった「僧護」は、ひとりで歩いているうち道に迷い、「異路に入る。」

「異路」とは、まちがった道という意味かもしれませんが、あるいは、この世ならぬ世界に紛れ込んでしまったようにも読めます。道すがら、さまざまな奇怪な体験をしたと言うのです。

@ まず、「褥形の有情」──寝床の姿をした生き物が、火に焼かれる責め苦を受けていた、とあります。「褥」(じょく,しとね)は、寝具ですが、インドの習慣を考えれば、ベッドでしょう。

A つぎに、2人の「禿頭の者」が、たがいに抱き合った姿で、やはり火に焼かれる責め苦を受けていた。

同様のさまざまな責め苦のありさまを、合計56件見た。
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