ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.27


つまり、生きている時に執着心を持つと、人間や天人のような高級な存在への転生が妨げられ、虫のような下等な存在に生まれ変ることになる、というわけです。

そして、慈雲の挙げる例は、いずれも、美意識の執着──対象の美しさに魅せられた執着の場合なのです。





ナルシズムも、妻の美貌を愛する気持ちも、‥そうした美意識は、すべて「邪見」であって、畜生以下の存在に堕落する原因だとしているのです。。。

「是も経中律中にある事じや。目連(もくれん)尊者後夜(ごや)坐禅より起て。大衆に告ぐ。此暁天の時。楼閣形(ろうかくぎょう)の有情。号泣して虚空を凌ぎ去と。六群比丘此を聞て相語す。此目連人を誑惑す。〔…〕何処に楼閣形の衆生あるべき。大衆も皆疑て。此を世尊に白し奉る。世尊言く。目連の見る所虚ならず。〔…〕世尊言く。此軽地獄の衆生なり。前身人間たりしとき。仏閣を己が遊覧処となせし故。此報を受て久く苦む。此類甚多しと。かふじや。心の往処(ゆくところ)に其形現ず。業に随て其報を受く。今此人間に生ずるも。業に随て生じ。生を受るに随て其念の相続することじや。」
(9頁)

明け方(後夜:ごや)の座禅をしていた時に、「目連」が立ち上がって、

「あかつきの空に、『楼閣』の姿をした生き物が、号泣しながら飛んで行った。」

と会衆に告げたので、ほかの坊さんたちは、

「『楼閣』の姿をした生き物など、どこに見えるか?! 目連の言動は、人々を惑わすものだ。」

と噂し合うし、会衆も疑って、シャカに申し上げた。しかし、シャカは:

「目連が見たものは、見間違いではない。‥それは、『軽地獄』に堕ちた生き物だ。前世で人間だった時に、仏閣を遊覧処としたので、この報いを受けて苦しみ続けているのだ。」

‥慈雲によれば、仏閣を、もっぱら観光地として楽しむと、報いを受けて地獄に堕ちるというのです!!!!

というのは、仏閣を美しいものとして鑑賞する心は、美意識による執着心なので、その「業(ごう)」は、転生にあたって、対象である建物に付着してしまい、「楼閣」の姿で虚空を飛び続けるという責め苦に服することになる。つまり、慈雲の論理は一貫しているのです。。。
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