ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.24


このことをギトンが理解したのは、最近、土沢へ行って来たからです。「冬と銀河ステーシヨン」の日付である12月10日ころ、しかも近年まれにみる寒波が押し寄せて、盛岡などでは、連日の最高気温が氷点下でした。
それなのに、「川」(猿ヶ石川)には、「ザエ」(流氷の方言)は、流れていませんでした!‥この地方、この季節には、それはおそらくありえないことなのでしょう。

ですから、フィクションです。フィクションと言って悪ければ、《心象》です。「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふこと」(『注文の多い料理店』「序」)──どうしても「川はどんどん氷(ザエ)を流してゐる」と思えてしかたない──それが、《心象》世界です。

しかし、それでも、この詩に、「市日」に集まってくる人々が描かれていることは、やはり重要です。土沢は、山峡から平野への出口にある町ですから、山の人々が、冬籠りのために、買出しに来ていたのでしょう。

たしかに、故郷の人々も理想化されています。
たとえば、「イーハトブの氷霧」ですが‥、東北の冷たく長い冬の開始にあたって、大地を被いはじめた「氷霧」を、喜んで迎える地元の人などいるとは思えません。その意味で、これもやはりフィクションです。

しかし、この『春と修羅』のほとんど全篇において、作者以外に、見るべき第三者は現れて来なかったのではないでしょうか?

ここではじめて、作者の身近な世界の具体的な人々が現れてきたことは、やはり特筆に値するのです。。。


さて、ここからようやく、【75】「不貪欲戒」プロパーの話になりますw

. 春と修羅・初版本

「油紙を着てぬれた馬に乘り
 つめたい風景のなか、暗い森のかげや
 ゆるやかな環状削剥(くわんじやうせうはく)の丘、赤い萓の穂のあひだを
 ゆつくりあるくといふこともいヽし
 黒い多面角の洋傘(かうもりがさ)をひろげ
 砂(すな)砂糖を買ひに町へ出ることも
 ごく新鮮な企畫である
   (ちらけろちらけろ 四十雀)」

「油紙(あぶらがみ)」は、和紙などに油脂を塗った防水紙です。昔は、ビニールなど無く、ゴムは高価だったので、油紙で作った合羽(かっぱ)が使われていました:画像ファイル:油紙、環状剥皮

「ぬれた馬に乘り」とありますが、賢治は乗馬ができたとは思えませんので、フィクションの光景でしょう。

「環状削剥の丘」☆は、丘の周囲が道路や耕地にするために削られた景観だと思います:画像ファイル:環状削剥の丘

☆(注) 「環状削剥」は、地質学用語だという説もあります。地質学用語だとすると、地表が風化浸食で削剥されて、地下に埋もれた環状カルデラが露出したドーナツ形の地形です。しかし、日本に…少なくとも花巻、盛岡のあたりにそういう地形があるとは思えないです。(韓国には、最近衛星写真で発見された・そういう地形があるそうですが、賢治の時代には知られていなかったはず)

これは、果樹園芸★の「環状剥皮」からの類推だと思います。

★(注) 宮澤賢治は、果樹園芸にも関心があって勉強していました。たとえば、戯曲「バナナン大将」には、兵士たちが、果樹のさまざまな整枝法を模した組体操を実演する場面があります。

「環状剥皮」は、(1)果樹の幹や枝の1か所で、数pの幅で環状に皮を剥いてしまう技術です。枝葉でできた糖分が根に回って行くのを妨げて果実を肥大させたり、糖度を上げたり、色づきをよくしたりするために行われます。また、(2)盆栽や花卉に施して不定根(枝の途中から生ずる根)を発根させ、《取り木》で殖やしたり、(3)《巻き枯らし》による森林の間伐のために行なうこともあります。

樹木の生えた丘の・へりの部分だけが、道路や耕地にするために伐採されて、ちょうど園芸の「環状剥皮」のように、刈り上げ頭のように、円く削られた景観を、「環状削剥の丘」と言っているのではないでしょうか。
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