ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.13.5
「西は箱ヶと毒ヶ森、 椀コ、南昌、東根の、
古き岩頸(ネツク)の一列に、 氷霧あえかのまひるかな。」(「岩頸列」『文語詩稿一百篇』)
「南はるかに亘りつゝ
氷霧にけぶる丘丘は
こぞはひでりのうちつゞき
たえて稔りのなかりしを」(〔鉛のいろの冬海の〕『文語詩未定稿』)
「コバルト山地」から文語詩まで、これらはみな、冬の濃霧のようです。山や丘にかかっている点が共通しています。
「氷霧はそらに鎖(とざ)し、
落葉松(ラーチ)も黒くすがれ、
稜礫の あれつちを、
やぶりてわれらはきたりぬ。」(角礫行進歌)
「そらふかく息せよ、 杉のうれたかみ、
烏いくむれあらそへば、 氷霧ぞさっとひかり落つるを。」(〔うたがふをやめよ〕『文語詩稿一百篇』)
↑これらは、もっと近景で、作者が見上げると、まわりじゅう霧でとざされている感じですが、これも本物の「氷霧」ではなく濃霧です。
しかし、↓つぎはどうでしょうか?‥読んだ感じでは、本物の氷晶の「氷霧」を描いているように見えます‥
「職員諸兄 学校がもうサマルカンドに移つてますぞ
杉の林がペルシヤなつめに変つてしまひ
花壇も藪もはたけもみんな喪くなつて
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
〔…〕
さつきわれわれが教室から帰つたときは
そこらは賑やかな空気の祭
青くかがやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降つてゐました
それがいまみな あの高さまで昇華して
ぎらぎらひかつて澱んだのです
えゝ さうなんです
もしわたくしが管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨きな駱駝に載せて
あのほのじろく甘い氷霧のイリデスセンス
蛋白石のけむりのなかに
もうどこまでも出してやります」(#401「氷質の冗談」1925.1.18.〔雑誌発表形〕)
氷の結晶が日光を散乱して輝いて見えるのが、「氷霧」の特徴だそうです。「ぎらぎらひかつて澱んだ」、虹色に輝く「蛋白石のけむり」といった表現は、「氷霧」の景観を、空想で描いているように思われます。
このスケッチも、作品日付の日に作者が花巻農学校で見たのは、単なる冬の濃霧でしょうけれども、そこから《心象》を発展させて、気象学上の「氷霧」として描いたもので、想像とはいえ非常に美しく、また魅惑に満ちていると思います。
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