ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.11.10


これは、この詩を扱った多くの論考が見逃している点だと思います。後半の“内心の表明”の結部は:

30わたくしは森やのはらのこひびと

‥云々という楽しげなパッセージで締めくくられるので、その情感がこの詩のすべてのように思ってしまいがちですが、叙景部の結末は、そうではないのです。。。

. 春と修羅・初版本

15薬師岱赭(やくしたいしや)のきびしくするどいもりあがり
16火口の雪は皺ごと刻み
17くらかけのびんかんな稜(かど)は
18青ぞらに星雲をあげる

「真正面に高く岩手山最高峰薬師岳。手前に鋭くくらかけ山。山好きの心なら躍り出さずにいられない。焼けた薬師の山肌の赤と白が青空をバックに浮き上がっている。」


☆(注) 『小沢俊郎宮沢賢治論集 2 口語詩研究』,1987,有精堂,p.46.




たしかに一面はそうなのですが、薬師岳の「きびしくするどいもりあがり」、鞍掛山の「びんかんな稜(かど)」といった描写の強調は、むしろそれまでの高原風の情調とは対照的な感情をそそっています。なお:⇒画像ファイル:岩手山、岱赭石

「岱赭(たいしゃ; 代赭)」は、酸化第二鉄を成分とする赤茶色の岩絵具で、顔料のベンガラとほぼイコール。《薬師岳》の頂上近くが爛れたように赤いのは、火山性の赤い砂礫(おそらくベンガラ)のためです。

火口壁の「皺」(割れ目、谷)ごとに、雪が載って白く見えます。

鞍掛山の「びんかんな」かどという表現が注目に値します。小岩井農場のほうから見ると岩手火山の鷹揚な裾をおだやかに巻いている鞍掛山も、こちらから見ると、稜線が角張って、敏感で神経質な姿を見せます。その尖った稜が、雲でしょうか、まるで夜空のように白い輝きを吹き上げているように見えます。

広野にうずくまる「ひとむらのやなぎ」は、じっと物思いにふけるようにひそやかであり、神経質な「くらかけの‥稜」が「星雲」を吹き上げます。「星雲」といえば、【21】「真空溶媒」や『銀河鉄道の夜』に登場する「マジェランの星雲」が想起されます。

ここは、‘振り子’がまた揺れ戻って、《熱い》情念が再燃しているようにも見えます。しかし、やはりその現れ方において、以前とは異なっているのです。
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