ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
178ページ/219ページ


8.11.5


そこで想起されるのは、【56】「マサニエロ」で:

. 春と修羅・初版本

27蘆の穂は赤い赤い
28 (ロシヤだよ、チエホフだよ)
29はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
30 (ロシヤだよ ロシヤだよ)

と言っていたチェーホフとの関連です。

この「マサニエロ」のほうは、「はこやなぎ」と言っているので、チェーホフの小説『曠野』(1888年)が想起されているかもしれません:5.5.8 チェーホフ『曠野』

『曠野』ならば、小説の中にヴォルガ川は出てきませんが、ヴォルガ下流にもほど近いドン川河口のアゾフ海沿岸地方が舞台です:画像ファイル:曠野 ハコヤナギも登場します。

しかし、チェーホフには『柳』(1883年)という初期の短篇小説もあるのです。こちらもヴォルガ川ではありませんが、川岸に生えた柳の老木それ自身が主人公と言ってよい小説です。

どちらも、宮沢賢治が読んだという手がかりさえないのが現状ですが、今後のために、──とくに『柳』のほうは、翻訳が現在手に入りにくいので──少し見ておきたいと思います。

『曠野』のほうは、その焦熱地獄のような荒々しい大地の描写は、↑上の 5.5.8 で見ていただくとして、ここでは、“柳”とハコヤナギの出てくる部分を引用します(松下裕・訳,岩波文庫):

「〔…〕雑草の中に、白いしゃれこうべやごろた石などがちらりと見える。灰色の古い石像や、梢に青い深山烏[みやまがらす]の止まっている枯れた柳の木などが瞬間大きく迫って来て、畑栗鼠が道を横切って走る、そして──あとはまた雑草、うねうねした丘、深山烏が目をかすめて過ぎる……。」
(『曠野』一)

「さて、丘の上にぽつんと一本、はこやなぎが見えてくる。誰が植えたのか、なぜこんなところに生えているのか──誰にもわからない。すらりとしたその姿、緑の衣装から、他に目を移すことはむずかしい。この好男子は幸せなのだろうか。夏は炎暑、冬は酷寒と吹雪、秋は秋で恐ろしい夜々、ただ暗闇が見えるだけで、放埓な、怒りっぽい唸りを上げる風よりほかに聞こえるものもなく、何よりも生涯たった一人、ひとりぼっちなのだ……。」
(『曠野』一)

↑この・荒野に一本立ちしたハコヤナギの描写は、実存的なものを感じさせます。「誰が植えたのか、なぜこんなところに生えているのか──誰にもわからない。‥この好男子は幸せなのだろうか。」ただ理由も無くそこに存在し、朽ち果てるまで生きつづけるのです。。。



.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ