ゆらぐ蜉蝣文字
□第8章 風景とオルゴール
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8.9.6
. 春と修羅・初版本
13えりおりのシヤツやぼろぼろの上着をきて
14企らむやうに肩をはりながら
15そつちをぬすみみてゐれば
16ひじやうな悪漢(わるもの)にもみえやうが
17わたくしはゆるされるとおもふ
じつは、↑この16-17行目は、いったん【印刷用原稿】として清書したあとも、何度も書き直しています。最初の形は:
16ひじやうな悪漢(わるもの)にもみえやうが
17わたくしはそれでいゝとおもふ
でした。それを、‥「いゝとおもふ」を消して、↓つぎのように改め:
16ひじやうな悪漢(わるもの)にもみえやうし
17またたしかに粗野なたくらみだ
自分の行為を非難するように変えているのです。
その後、ふたたび思い直して、「粗野なたくらみだ」を消し、「ゆるされるとおもふ」に変えて、《初版本》の形にしています。
この推敲過程を見ても、作者には、相当の動揺があったと思わなければなりません。。。
. 春と修羅・初版本
18なにもかもみんなたよりなく
19なにもかもみんなあてにならない
20これらげんしやうのせかいのなかで
21そのたよりない性質が
22こんなきれいな露になつたり
23いぢけたちいさなまゆみの木を
24紅(べに)からやさしい月光いろまで
25豪奢な織物に染めたりする
22行目の「露」は、梨の短果枝の「雫」のことでしょう。つまり、作者は、この「雫」が、時を越えて存在する神や仏のような絶対的な存在ではないことを知っているのです。だからこそ、“掘り取り作業”を終えるまでは‥、作者の“再生”が完了するまでは、消えないで居てほしいと願うのです。
作者が、自分(たち)の生きざまを、森羅万象とともに映し出してほしいと願う・この「雫」は、一見すると、高農時代の保阪の歌↓にある“青空の眼”のような至高絶対の存在のように思われますが、決してそうではないのです:
「大空はわれを見つめる、これはまた、おそろしいかなその青い眼が、」
「うっかりと嘘言(ウソ)をいひたり七月の青空の眼の見てゐぬ暇に」
作者は今や、それが、移ろいやすい相対的なものに過ぎないことを知りつつ、なおその美しさに価値を見出しています。
「まゆみ」は山野に生える小さめの木で、10月以降、ピンクの果皮の中に赤い実が覗いています。赤〜黄色に紅葉した葉とともに低山を彩ります:画像ファイル:マユミ 文字どおり、「紅からやさしい月光いろまで」染め上げられた「豪奢な織物」です。
「何もかもあてにならない/これら現象の世界」という発見は、9月に起きた関東大震災に触発されたものでした。そうした不安な世界の中で、たとえば【80】「昴」では:
. 春と修羅・初版本
35たヾもろもろの徳ばかりこの巨きな旅の資糧で
36そしてそれらもろもろ徳性は
37善逝(スガタ)から來て善逝(スガタ)に至る
と、宗教の世界に救いを求めていたのでした。この輪廻する世界から離脱した「スガタ」(=ブッダ)という至高の存在──現実を離れた高みに君臨する絶対的存在を、流転する世界を生きて行くための基盤として求めていました。
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