ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.9.2


. 春と修羅・初版本

01截られた根から青じろい樹液がにじみ
02あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら
03きらびやかな雨あがりの中にはたらけば
04わたくしは移住の清教徒(ピユリタン)です

1行目の「截(き)られた根」は、11行目:

11なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで

の「ちいさなアカシヤ」、つまり《ニセアカシア(ハリエンジュ)》の根です。というのは、この1行目は、《印刷用原稿》の最初の形では:

「アカシヤの根を截れば樹液がにじみ」

となっていたのです。

《アカシア(Acacia)》(アカシア属)は、日本にはもともとなかった植物です。オーストラリアから熱帯にかけて多いマメ科常緑樹の灌木で、放射状の黄色い花が特徴です:画像ファイル:アカシア

しかし、日本では、明治時代に輸入した《ハリエンジュ(ニセアカシア)》を‘アカシア’と呼び習わしてしまったので、《ニセアカシア》をアカシアだと思っている人が多いのです:画像ファイル:ハリエンジュ

ハリエンジュもマメ科で、葉の形はえんどう豆によく似ています。花も、蝶形のまっ白い花を大量に付けた花穂が垂れます。そして、幹に大きなトゲがあります。街路樹によく使われていて、おなじみでしょう。

日本のヒット曲や小説に出てくる‘アカシア’は、みな、白い花でトゲのある《ニセアカシア》です。現在“アカシアの蜜”として売られている蜂蜜も、ニセアカシアの蜜なのです。

本物のアカシアは暖地の木で、関東以北では植えても育たないそうですから、賢治に出てくる‘アカシア’も、《ニセアカシア(ハリエンジュ)》です。

ニセアカシアは、根粒菌との共生で成長が早く、痩せた土地や砂地でもよく育ちます。そのため、公園樹などにした場合、トゲがあって剪定できない上、非常に生命力が強いので、植樹されたものが殖えてしまうとやっかいです。根こそぎ掘り取るか、薬剤注入でもしない限り除去できなくなってしまいます。

こうして、明治以後に植栽されたものが、次第に自生化してはびこるようになったので、現在では、ハリエンジュの‘伐採駆除’が各地で行われているのだそうです。

ということは‥、「過去情炎」で、ニセアカシアを、ていねいに根こそぎ掘り取っているのも、移植のためではなく、梨畑から駆除するためと思われます:

. 春と修羅・初版本

01截られた根から青じろい樹液がにじみ

という最初の行は、凄惨な感じがしますが‥、それもそのはず、作者は、この幼木に対して、一片の憐れみも無く、徹底的に除去しようとしているのです!

1行目は、印刷前の推敲によって、「アカシヤの根を截れば」という単なる作業の記述から「截られた」という感情的な受身に変り、「青じろい」を加えられて凄惨さを獲得しています。傷ついた者の涙のように根から沁みだした樹液が、畑の土に滲んでゆくさまが、目に浮かぶようです。そこで、次の行の「あたらしい腐植のにほひ」が生きて来ます。

たしかに、土の中で、鍬(くわ)で切られた幼木の根から滲む「青じろい樹液」、「あたらしい腐植のにほひ」、そして、「きらびやかな雨あがり」に輝く周囲の木々や土、‥それらは、「移住の清教徒(ピユリタン)」である作者(と生徒たち)のすがすがしい作業の気分を構成しています。

しかし、その“清々しさ”は、単に爽やかだ、清い、というだけではありません。「截られた根」からは、‘犠牲の血’である「青じろい樹液」が垂れ流れているのですから。。。

これは、【81】「第四梯形」の最初で、空から降りて来た「あやしいバリカン」に地被を剥ぎ取られた丘が、「山羊の乳」の白い液を流し、悲しい「沃度の匂」を発散していたのと同じです:春と修羅・初版本

つまり、ここにも《木を伐る》モチーフが、これまでよりもいっそう凄惨な形で現れているのです。
「過去情炎」では、もはや、地上部を刈り取るだけではすまず、《木》を──《熱い》生命の象徴を──根こそぎ掘り取って駆除してしまおうとしています。。。
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