ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.8.5


. 春と修羅・初版本

01萓の穗は赤くならび
02雲はカシユガル産の苹果の果肉よりもつめたい
03鳥は一ぺんに飛びあがつて
04ラツグの音譜をばら撒きだ
05   古枕木を灼いてこさえた
06   黒い保線小屋の秋の中では
07   四面体聚形(しゆうけい)の一人の工夫が
08   米國風のブリキの罐で
09   たしかメリケン粉を涅(こ)ねてゐる

1〜4行目は、例によって、近景→遠景→その中での“動き”の導入……という“空間創出”の手法です。すがすがしく、少し悲しい秋の空間です。「第四梯形」で、入り江の静かな潮のようだった萱の波も、いまは童画のように「赤くなら」んでいます。

字下げ無しの本文は、空を中心とする叙景。3字下げの行は、やや感傷的になった意識が人物などを描いているようです。

鉄道の保線工夫が暗い小屋の中で作業しているのが見えます。クレオソートやペンキを塗装した板ではなく、腐らないように黒く焼いただけの古い枕木で作った簡素な小屋です:画像ファイル・古枕木の柵

「四面体聚形(しゅうけい)」は、幾何学の古い用語ですが、現在は“四面体の複合体”または“四面体の複合多面体”と呼ばれている立体図形。「四面体」は、三角錐のことです:画像ファイル・四面体聚形

でこぼこしたカドのたくさんある立体ばかりですが、筋肉質の体つきを描いているのだと思います。これも、キュビスムにヒントを得た描写の試みでしょう。

「米國風のブリキの罐[かん]」も、「工夫」の体格のよいがっちりした感じを補っています。

「メリケン粉を捏ねてゐる」のは、食事の支度でしょうか、あるいは、作業に使う糊を造っているのでしょうか。



. 春と修羅・初版本
10鳥はまた一つまみ、空からばら撒かれ
11一ぺんつめたい雲の下で展開し
12こんどは巧に引力の法則をつかつて
13遠いギリヤークの電線にあつまる

さっき舞い上がった「鳥」の群れでしょうか、「ばら撒かれ」るように降りて来ます。「また一つまみ〔…〕ばら撒かれ」という言い方がおもしろいですが、そういう動きです。

「つめたい雲」は、さきほどの「カシユガル産の苹果[リンゴ]の果肉よりもつめたい」その雲です。雲の下の非常に広い空間が視野におさめられています。地上は、稲が稔った水田でしょう。さえぎるもののない広い平野なのです。その視野の中で、「鳥」の群れが地上に「展開」しますが、すぐまた放物線を描いて飛び上がり、遠方の「ギリヤークの電線」に飛着します。
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