ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.7.7


. 春と修羅・初版本

08あやしいそらのバリカンは
09白い雲からおりて來て
10早くも七つ森第一梯形の
11松と雜木(ざふぎ)を刈りおとし
12野原がうめばちさうや山羊の乳や
13   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
14   汽車の進行ははやくなり

12行目→13行目に、字下げの“断層”があります:

12行目では、印象的な“ウメバチソウの夢”の追憶や「山羊の乳」のまどろみが想起されていたのに、
13行目で、それらは「沃度の匂」のする「荒れて大へんかなしい」風景として纏められるのです。

「そらのバリカン」で刈られた野原は、痛々しく「荒れて」、ウメバチソウの白い液が流れ、ヨーチンの匂いが充満しています。その悲しさに感応して、列車はスピードを速めます。

残酷な印象ですが、反面、生理的官能に訴える描写でもあります。《生命の原型》を刈り取られた丘は、白い体液を流してもがきながら、再生の形を求めようとしているのです。

字下げの関係も気になります。
13行目以下は、さきほど冒頭の叙情的な1〜4行目と同じ3字下げです。それらは、作者の感情が直接現れた詩行と言ってよいでしょう。
これに対して、字下げ無しの“本文”は、感傷に陥るのを避けながら、即物的な、あるいは純審美的な描写を続けていきます。

17   ぬれた赤い崖や何かといつしよに
18七つ森第二梯形の
19新鮮な地被(ちひ)が刈り拂はれ
20手帳のやうに青い卓状臺地(テーブルランド)は
21まひるの夢をくすぼらし

「地被」は、地上を覆う植生。

「テーブルランド」(tableland)は、地理学用語としては、アメリカの西部劇に出てくるような頂上が広くて平らな台地上の地形“メサ”を言うようです。日本では、屋島や荒船山が例になります:画像ファイル:メサ

「第二梯形」は、現地でいうと“三手森”の中央峰☆にあたります。たしかに、平べったくなだらかな丘です:⇒地図:《七ツ森》踏査図、踏査写真1〜3

☆(注) 低い丘に“峰”は変ですが、“三手森”の3つの“手”ないしピークを、東(小岩井駅側)から順に、“東側峰”“中央峰”“西側峰”と呼ぶことにします。

「ぬれた赤い崖」も痛々しいですが、当時は地肌の露れたガケが見えていたのでしょうか?‥。↑写真でお分かりのように、線路と“三手森”の間は、かなり距離があります。

「手帳のやうに青い」:賢治はこのころ、青い手帳を使っていたのでしょうか‥

スケッチは、手帳を持ち歩いて書き込んでいたようです。『春と修羅・第1集』当時の手帳は残っていませんが、現存している手帳(『雨ニモマケズ手帳』もそのひとつ)を見ると、最初から行分けして、そのまま詩として読めるくらいの完成度で書き下ろしています。単なる取材メモではないです。即興詩を10年以上日常的に毎日書いていたわけですから、やっぱり天才だったんでしょうね^^

「まひるの夢をくすぼらし」:「そらのバリカン」で木や草を剥ぎ取られているのに、「第二梯形」は、まだ午睡の中にまどろんでいます。この夢想的なまどろみは、「第一梯形」の“ウメバチソウの夢”から続いています。

線路から「第二梯形」までは距離があるので、ぼんやりして見えるのかもしれません。

「まひるの夢」がまだ続いているという表現からみると、現在時刻は、早朝よりは夕方のほうがふさわしいでしょう。

22ラテライトのひどい崖から
23梯形第三のすさまじい羊齒や
24こならやさるとりいばらが滑り
25   (おお第一の紺青の寂寥)

「ラテライト」は、熱帯の赤い土壌:画像ファイル:ラテライト、コナラ、サルトリイバラ

「第三梯形」も、線路側がガケで、赤土が剥き出しになっています。

羊歯(シダ)、コナラの灌木、サルトリイバラのトゲだらけのつるなどが垂れ下がる荒れた雑木林の景色が、滑るように通り過ぎて行きます。

コナラは、平地・低山に多い広葉樹。

サルトリイバラは、雑木林など明るい林に多い灌木で、林床を這うように絡み、トゲがあります。
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