ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
133ページ/219ページ


8.7.6


「ところが、この髪=木のイメージは、最終章『風景とオルゴール』においては、変質するのである。この章では、木を切るというイメージがくり返される〔…〕『春と修羅』第一集における生命の原型であった『木』が消されてしまうことがわかる。それは、『春と修羅』第一集における象徴体系そのものの否定であり、生命観の変貌を示すと言ってよい。」
(op.cit.,p.167)

詩「風景とオルゴール」では、
「雨あがりや、『劫のはじめの風』など、いずれも新しい世界の始まりのイメージが濃厚であるが、そこに、断たれた『恋の償ひ』の影が、『木を伐られた森』の殺意と重なって、暗い影を投げかけている。〔…〕

その後
〔詩「昴」の後──ギトン注〕に、『木を切る』ことが、はじめて積極的に、壮大に行われはじめる。詩『第四梯形』では、〔…〕『七つ森』の『第一梯形』から『第七梯形』までの木が『あやしいそらのバリカン』で、次々に刈り落とされるという凄まじいイメージが描かれる。〔…〕詩『原体剣舞連』の『舞手たち』は、『ひのきの髪をうちゆす』って、内的生命を発散させた。その髪がバリカンで刈り落とされるというのは、やはり『剃髪』のイメージを想起させるものであり、内的生命を断つことを示していよう。」(op.cit.,pp.126-127)



. 春と修羅・初版本
08あやしいそらのバリカンは
09白い雲からおりて來て
10早くも七つ森第一梯形の
11松と雜木(ざふぎ)を刈りおとし
12野原がうめばちさうや山羊の乳や
13   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
14   汽車の進行ははやくなり

この「バリカンは/白い雲からおりて來て」について、“日が雲に隠されて、山に影が落ちているのだ”という“合理的解釈”をする人もいますが、
この場合は、むりな合理化をすると、かえってじゃまになるような気がします。書かれたままの異常な風景を、すなおに想像すればよいのではないでしょうか。

ウメバチソウは、小さな白い花です:画像ファイル:ウメバチソウ

「臥してありし
 丘にちらばる白き花
 黎明のそらのひかりに見出でし」
(歌稿B #5)

「ひがしぞら
 かゞやきませど丘はなほ
 うめばちさうの夢をたもちつ。」
(歌稿B #6)

↑中学校時代(1901年)の発火演習(模擬戦闘の演習)で、野宿して通夜歩哨したさいの短歌ですが、真暗な草原で待機していて、夜が明けてくると、目の前の丘の上のウメバチソウの白い群落がまず光って、強い印象を与えた。すっかり明るくなっても、その白い花の印象は脳裏に残った──ということです。

この“ウメバチソウの夢”のモチーフは、「第四梯形」でも想起されていると思います。

たくさんのウメバチソウが、野原をいちめんに白く彩るようすは、「乳」を流したようにも見えます。

しかし、牛乳ではなく「山羊の乳」です。「山羊の乳」は都会では流通していないので、飲んだことのない人が多いかもしれません。ギトンも小さい時のことで、かすかな記憶しかありませんが、あっさりして水っぽく、後味が少し苦かったと思います。ここも、そんなイメージです。

「沃度[ヨード]」は、元素のヨウ素。ヨード・チンキの匂いを考えればよいでしょう。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ