ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.7.4


それでは、本文の検討に入ります:

. 春と修羅・初版本

01   青い抱擁衝動や
02   明るい雨の中のみたされない唇が
03   きれいにそらに溶けてゆく
04   日本の九月の氣圏てす
05そらは霜の織物をつくり
06萓(かや)の穗の滿潮
07     (三角山(さんかくやま)はひかりにかすれ)

冒頭の字下げ5行について、雫石出身の詩人で、晩年の賢治と交友があった母木光(ははき・ひかる。本名:儀府成一)は、

「何ともさわやかでなまめかしく、抒情的な展開の予感で胸をときめかせた」

と言っています☆

☆(注) 儀府成一『人間宮澤賢治』,1971,蒼海出版,p.25.

「遠い日──私がかつて……完全に孤独でありエトランゼだった日、そのこじんまりとしたおだやかな形や、『うるうる』した『伯林青スロープ』で、無言で私を抱擁してくれた七つ森です。」
(op.cit.,p.28)

「七つ森」という場所は全国にいくつかありますが、この岩手・雫石の「七つ森」は、そのなかでも、ゆるやかでやさしい丘が集まって、平野にぽっかりと浮かんだような姿を見せている特異な空間です。幻想を誘う場所と言ってもよいと思います。





しかし、この詩は、

「実際はそんなあまいだけのものではなくて、〔…〕七つある七つ森のほぼあらましを、……ありったけの絵具をごちゃ混ぜにして叩きつけ、塗りたくり、乱暴に線だけ出した奇怪なデッサンのような作品で、どことなく神秘というよりもスリラーめかしく、私はポーの短編の一部でも読みかえしているような気持でした。」
(op.cit.,pp.25-26)

賢治は、このスケッチで、丘々の穏やかな姿の内奥に秘められた・抑えられた激情を写し取っているようにも思われます。‥あるいは、ぽっかり浮かんだ7つの丘が、つぎつぎと車窓を通過して行きながら、それぞれの内奥の姿をかいま見せてゆくさまをスケッチしているのです。

しかもそれが、列車の疾駆するスピード感と軽快なリズムに乗って展開して行きます。

たしかに、冒頭4行は官能的な甘い叙情にみちていますが、
5行目以降は最後まで、機関車にがたがた揺らされ猛スピードで駆け抜けるような、あるいは前衛絵画のような激情を、即物的で詩的な表現の中に練りこんでいます。

《七ツ森》の、こんもりした丘々を「梯形」(台形)と表現する感性も独特であり、空では、ざらざらした目のある「織物」が織られ、地上の「萓(かや)」は、海の潮(うしお)のイメージです。7行目には、「ひかりにかすれ」た「三角山」があります。

この詩で、宮沢賢治は、晩年のセザンヌやキュビスムに示唆を得て、直線図形で風景を描こうと試みていると思うのです。というのは、次の「火薬と紙幣」にも、同様の試行が見られるからです。

「霜」のような形のないものを、「織物」の触覚でとらえ、「萓(かや)の穂」を、「潮」として集合的かつ動的にとらえる試みも、その延長線上にありますが、これらは十分成功しているように思われます。

それにしても、性衝動を「青い」と表現し、「明るい雨」、「そらに溶け」る、そして、「九月の氣圏」のイメージを配した冒頭部分は、5行目以下繰り広げられる即物的描写の連なりに拮抗しうるインパクトがあります。
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