ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.7.3


ここで、いくつか仮定を置かなければなりません:

(1) 「第四梯形」での「七つ森」は、橋場線(田沢湖線)の線路と秋田街道の間の山である。

(2) 橋場線の線路から見える山である。

(3) 1923年に存在し、かつ見えた山である。

(4) 地元で言う《七ツ森》とほぼ同じであるが、必ずしも正確に一致するわけではない。

(5) 「第四梯形」の描写は、誇張やフィクションを含むが、だいたいのところは実際の景観のスケッチに基いている。

まず、(1)は、賢治が、少なくとも《七ツ森》のおおよその範囲(橋場線の南側だということ)は知っていて、列車から南側を見てスケッチしたことを前提しています。

(2)は、実見によるスケッチだという前提です。じっさいには、線路から《七ツ森》が全部見えるわけではありません。勘十郎森、稗糠森などは隠れて見えません。

(3)については、1923年以後の道路開削や宅地造成で、細かい部分は形が変っていますが、おおよその山の形は現在も変っていないことが、実地踏査の結果判明しました。

むしろ変化があるとすれば植生で、現在は《七ツ森》全部が背の高い松林に被われていますが、1923年当時は、かなりの部分が草原だったようです。
これは、“やま”を入会地・薪炭源として利用していた当時と、利用しなくなって自然に委ねっきりの現在との相違で、よく納得できることです。

(4)については、じつは、線路の近くには、名前の付いていない丘がいくつかあるのです。賢治は、これらの丘の中で、目立つものは、「七つ森」の勘定に入れていると考えます。そう考えないと、(2)との関係で、数が合わなくなりますから。

さて、以上を仮定した上で、現地の景観を、賢治のスケッチに合わせてみた結果は、↓つぎのとおりです!:七ツ森踏査図 「第四梯形」踏査

「第一梯形」=@三手森の一部(標高304m)

「第二梯形」=@三手森の一部(標高約270m)

「第三梯形」=@三手森の一部(標高279m)?;無名の高まり(標高約230m)?

「第四梯形」=無名の馬形丘(標高約290m)

「第五梯形」=スケッチに描かれていません

「第六梯形」=D鉢森(343m)

「第七梯形」=F生森(348m)

@三手森は、その名のとおり、頂上部が3つに分かれていて、麓から見ると3つの独立した山に見えます。小岩井駅から列車で雫石方面に向かうと、3つの頂上部が順に並んで次々に見えてきます。

しかし、「第三梯形」は、描写を見る限りでは、三手森よりも、線路ぎわの低い高まりの崖を見ているようにも思えます。

「第四梯形」に比定した馬形丘は、線路から見ると非常に目立つ無名の丘で、なだらかな馬の背のような形をしています。

D鉢森は、奥にあるので、そう長い時間見えているわけではありませんが、お椀形のきれいな形をしているので、目立ちます。

なお、E石倉森(約290m)も、線路から少し見えるのですが、すぐにF生森(348m)の後ろに隠れてしまいますから、賢治は見逃したのだと考えます。
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