ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.6.6


. 春と修羅・初版本

08山を下る電車の奔[はし]り
09もし車の外に立つたらはねとばされる

しかし、じっさいこの軌道電車は、あぶなっかしい感じがします:画像ファイル:花巻電鉄

現在は廃止された・この路面電車は、狭軌道で、車体も幅が狭いので、なんだか倒れてしまいそうに見えます。速くは走れなかったでしょう。当時の時刻表では、大沢温泉から松原まで(途中、馬車⇒電車の乗り継ぎがありますが)約20分かかっています。現在、岩手県交通バスは、同じ区間(大沢温泉→クレー射撃場前)を6分で走ります。

ということは‥、この電車は、人が歩くよりは速いけれども、馬や馬車より遅かったと思われます。

また、通常は一両編成でしたけれども、うしろに無蓋車(屋根のない貨車、トロッコ)を附けることがあり、乗客が多いときには、無蓋車に貨物といっしょに乗客を乗せたそうです。

そういう状態で、じっさいには、とくに下り坂が続く大沢→松原→花巻方向では、時刻表どおりでなく、相当速いスピードで駆け下りたかもしれません。というのは、「昴」のあとのほうで:

. 春と修羅・初版本

23見たまへこの電車だつて
24軌道から青い火花をあげ
25もう蝎[さそり]かドラゴかもわからず
26一心に走つてゐるのだ
    〔…〕
28どうしてもこの貨物車の壁はあぶない
29わたくしが壁といつしよにここらあたりで
30投げだされて死ぬことはあり得過ぎる

などと言っているからです。「ドラゴ」は、ドラゴン、つまり竜です。電車は、レールから火花を散らしながら、サソリか竜のように猛スピードで駆け下りているというのです。

乗客が多くて、作者は無蓋車(「貨物車」)に乗せられているらしく、その無蓋車の「壁」(へり?)が、いつ壊れて外に投げ出されるか分からないなどと言っています。

. 春と修羅・初版本

08山を下る電車の奔り
09もし車の外に立つたらはねとばされる
10山へ行つて木をきつたものは
11どうしても歸るときは肩身がせまい

ここでまた、《木を伐る》モチーフが現れています。「風景とオルゴール」で説明したように、これは現実の行為ではありません。《熱した》生命主義の時代精神に別れを告げたこと、さらに言えば、《熱した》時代を共にした恋人との誓い、仲間たちとの思い出を‘地下に葬ってきた’ことを、生命の象徴である《木》を切り倒すというメタファーで表現しています。

しかし、その結果として「肩身がせまい」という感覚は、賢治独特のものかもしれません。自分の進むべき路に迷っているとき、賢治は、“人に顔向けができない”という感覚を持ったようです。‥これは、現在のように、“匿名の雑踏”が生活環境のほぼすべてになっている社会とは異なる感覚でしょう。当時、故郷にいれば、たとえ自分のほうは気づかなくても、どこに行っても顔見知りの一人や二人いて、場合によっては親類さえいて、常に“見られている”状態だったのであり☆、そのような環境を、私たちは想像してみなければなりません。

☆(注) たとえば、散文『山地の稜[かど]』では、作者が花巻の街中を歩いていると、たまたま向こうから遠戚の女性が歩いて来たので、挨拶したほうがよいのか、それとも気づかないふりをして通り過ぎたほうがよいのかと、苦慮するようすが描かれています。
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