ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.5.13


. 春と修羅・初版本

39おゝ私のうしろの松倉山には
40用意された一萬の硅化流紋凝灰岩の弾塊があり
41川尻断層のときから息を殺してまつてゐて
42私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる

「腕時計」は、【第7章】の「オホーツク挽歌」にも出ていましたが、宮沢賢治は、いつも腕時計をしていたようです。当時の竜頭ねじ式の腕時計でしょうけれども、「光ら」すというのは、金メッキか銀メッキなのでしょうか?‥あるいは、針に蛍光塗料が塗ってあるのか?‥

いずれにしろ、当時の地方では、金持ちでなければ持てない贅沢品だったはずで、その「腕時計を光らし過ぎれば」岩の「弾塊」が「落ちてくる」ということから、先ほど来描かれている“軍勢”と“弾薬庫”の性質が分かります。

つまり‥、それらは、地元の貧しい農民たちの“声なき声”につながるものだと思います。

もちろん、その一方で、それらは、作者にとって“外在的”な事象にとどまるものではありません。
この“軍勢”と“弾薬庫”のイメージは、あの《熱した》精神の時代から繋がって及んで来ている作者の中の不定形な衝動をも、感じさせます。

“天馬”や「川尻断層」という、賢治の生来の深奥につながるイメージが出てきていることからも、作者のパーソナリティーの核から噴出した“露頭”の一部と見ないわけにいかないでしょう。
それは、時代環境が変り、思想・精神のあり方が変化しても、形を変えて現れてくるものなのです。

ただ、賢治がそれを、あえて対象化し取り出して描いていることは重要です。

そして、新たな方向が見えていることも重要かもしれません。“声なき声”ということでは、この『春と修羅』の段階でのモチーフの中では、【第4章】「グランド電柱」のスケッチ「電車」に登場していた「ビクトルカランザ」──秋枝氏の言う“アウトサイダー”の系譜につながるかもしれません:

. 春と修羅・初版本

「おい、きさま
 日本の萓の野原をゆくビクトルカランザの配下
 帽子が風にとられるぞ
 こんどは青い稗(ひえ)を行く貧弱カランザの末輩
 きさまの馬はもう汗でぬれてゐる」

作者は、時代と社会の動きの中に置かれた自分の《心象》、そして自己の生来の無意識から湧き上がる衝動をも直視した上で、新たな方向を選び取ろうとしているのです……



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