ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.5.9


窒素は、自然界では、雷によって空中放電が起きたときに、わずかな量の硝酸などが生成し、雨に溶けて地上に供給されるだけです。植物の遺骸中の窒素化合物は、バクテリアによって分解され、一部は窒素になって空気中に戻ってしまいますから、耕地では常に窒素が不足しがちです。

しかし、もともと窒素肥料として利用できる唯一の鉱産資源だった硝石は、天然に産出する量が限られていて、たいへん高価でした。

そこで、ビルケランドが考案した“ビルケランド・アイデ法”(1905年、工業化)は、落雷の作用を模倣したアイデアで、空気中の火花放電によって、窒素と酸素を化合させ、水との作用で硝酸を得るものです。

これは、世界で最初の空中窒素固定法(窒素化合物合成法)でした。
ただし、欠点は、莫大な電力がかかることでした。

ノルウェイは、豊富な水力資源を利用して発電を行ない、“ビルケランド・アイデ法”で製造した窒素肥料を輸出したので、1905年にスウェーデンから独立したばかりだった新興国ノルウェイは、ビルケランドのおかげで外貨獲得の手段を与えられ、窮地を救われたと云われるほどです。

そもそも、こんにち私たちに身近なアミノ酸、味の素、ナイロンなどの合成樹脂、ニトロ系・アゾ系の染料、医薬品…こういったものはみな窒素化合物でして、アンモニアと硝酸が合成されるようになって初めて、これらの物質の合成も可能になったと言えます。





ですから、ビルケランドの発明は、当時にあっては画期的なものでした。

その後、1913年には、窒素ガスと水素ガスを、直接高圧で化合させてアンモニアを合成する“ハーバー・ボッシュ法”が実用化され、こちらのほうが電力がずっと少なくて済むので、“ビルケランド・アイデ法”は、しだいに廃れていきました。

ビルケランドは、現在でもノルウェイの紙幣に肖像が載っているほどの・ヨーロッパでは著名な科学者なのですが:画像ファイル:200ノルウェイ・クローネ紙幣

日本では、“忘れられた人”になっているようですね。。。

しかし、宮沢賢治が高等農林学校に在学した当時(1915-18年)は、まだ“ビルケランド・アイデ法”が空中窒素固定法の主流でしたし、窒素化学肥料の合成法として、農林学生に、ビルケランドの名を知らぬ者は、いなかったはずです。

いや。。。 実は、それだけではないのです。当時、ビルケランドの名が日本で広く知られた事件があったのです。



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