ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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 【79】 風の偏倚


8.5.1


「風の偏倚」は、【77】「宗教風の恋」,【78】「風景とオルゴール」,【80】「昴[すばる]」とともに1923年9月16日(日曜)付。
「風景とオルゴール」の続きで、大沢温泉方面から松原停車場に向かう歩行中のスケッチです:地図:大沢温泉付近 地図:大沢温泉〜松原

. 春と修羅・初版本

01風が偏倚して過ぎたあとでは
02クレオソートを塗つたばかりの電柱や
03逞しくも起伏ずる暗黒山稜や
04  (虚空は古めかしい月汞(げつこう)にみち)
05研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
06すべてこんなに錯綜した雲やそらの景觀が
07すきとほつて巨大な過去になる

39行目に:春と修羅・初版本

「私のうしろの松倉山には」

とありますから、そのあたりまでに、松倉山の下を通過していることになります:画像ファイル:松倉山

地図↓を見て分かるように、松倉山を過ぎると、しだいに谷は広くなって、志戸平の先で平野に出るので、空が広くなります。「風の偏倚」の描写を読んでいても、次第に空が広くなってゆくようようすが感じられます:地図:大沢温泉〜松原

時刻は、当時の花巻電気軌道の時刻表と歩行タイムの計算から、午後6時〜6時30分頃と思われます:8.4.3 時刻の推定

01風が偏倚して過ぎたあとでは

「偏倚」は「へんい」と読んで、意味は、‘一方に片寄ること'。たとえば、眩暈(めまい)の検査で“偏倚検査”というのがあります。眼隠しをして真っ直ぐ縦に4〜5字書いてもらい、字がだんだん片寄ったら、その方向に上肢の偏倚があるということです。

すなわち、さきほど、松倉山の手前で激しく吹いていた強風は、谷間が狭くなった地形のせいで「偏倚」した風──異常な吹き方だったというわけです。

そのような気流の悪い場所を過ぎた今は、風景や空のようすも「すきとほつて」落ち着いたものになります。2行目から7行目までを見ると:‥‥「クレオソート」の匂い、静止した山々のシルエット、「古めかしい」「研ぎ澄まされた」「すきとほって」など、静的な語彙・表現が続いているのが分かります。
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