ゆらぐ蜉蝣文字


第8章 風景とオルゴール
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8.1.9


注意したいのは、ここで天沢氏が述べている「病熱」とは、現実の人間として病死したトシとは、いちおう切り離された作品の中での、妹の「病熱」を中心とする《熱い》情念、「透明薔薇の身熱」(噴火湾)のことです☆

したがって、もし現実との対応を考えるのであれば、それは、高熱を病む肉親の姿と並行して、作者自身のうちにある同性愛的恋情(「薔薇」!)や、ファナティックな宗教的情念の炎を象徴することも可能であるということです。

☆(注) これは、天沢氏が、カムパネルラのモデルなどをめぐる蒲生芳郎氏・菅原智恵子氏との論争の中で、強く注意を喚起している点です:「ジョバンニは何故オルフェか」, in:天沢,op.cit.,pp.157-164. なお、引用文中の「詩‥に死をもたらした」という表現にも、誤解無いよう注意が必要です。天沢氏の述べる“詩の死”とは、詩人の生涯における詩作のピークを示す表現のようです。詩が書けなくなるという意味ではありません。そして、多くの詩人は、“詩の死”の後は「余生」を生きる、つまり作風を変えて詩作を続けるのです。

つまり、天沢氏の議論は、『春と修羅』において、《熱い》情念から《冷たい》精神への《心象》の変化を指摘したことに、今日的な大きな意義があると思われます★

★(注) 秋枝美保『宮沢賢治の文学と思想』,2004,朝文社,pp.58,etc.

天沢氏は、【第8章】の【76】「雲とはんのき」を、【第1章】最初の作品「屈折率」と比較して、つぎのように述べています↓

「このとき、おのれの心象の『つめたい風景』の記録・転生へと詩人をうごかしてゆくものは何か。〔…〕

 この『雲とはんのき』という詩が、詩集冒頭の『屈折率』に対応して、その一種のヴァリアション、書き変え詩篇にあたることを暗示している。」

. 春と修羅・初版本

「七つ森のこつちのひとつが
 水の中よりももつと明るく
 そしてたいへん巨きいのに
 わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
 このでこぼこの雪をふみ
 向ふの縮れた亜鉛の雲へ
 陰気な郵便脚夫のやうに
   (またアラツディン、洋燈(ラムプ)とり)
 急がなけばならないのか
(屈折率)

 
.
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