ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.2.10
つまり、母は、トシが未婚のまま死んだことを残念がっているのですが、賢治は(若い男ですから)、もっと具体的に、妹が性愛の楽しみをろくに知らずに死んでしまったことを、不憫に思っているのです☆
☆(注) 宮澤トシ『自省録』を見ると、トシは、高等女学校時代に音楽の先生との間で恋愛体験があり、兄にも打ち明けて相談していたようです。繰り返しますが(笑)、兄妹は“近親相姦”ではありませんw
そうした亡きトシの境遇に対する作者の気持が、「津軽海峡」では、船のまわりで楽しく遊ぶイルカの群れと、あとから悲しそうに啼いて付いてゆくカモメとの対比となって現れているのだと思います‥ あるいは、イルカとカモメの対比から、トシの境遇に対する作者の気持が引き出されてきたのです:
「小石川の責善寮」は、トシ子が日本女子大学校の学生だった時に住んでいた寄宿舎。東京都文京区にあります。
. 津軽海峡
「『あれは鯨と同じです。けだものです。』」
「 」で括ってあるので、イルカについて喋っている乗客の会話か船員の話かもしれません。ともかくそれは、作者の中からも聞こえてくる声なのです。
賢治には、一方では、楽しそうなイルカを眺めながら、性愛の楽しみも肉欲のしがらみも知らずに死んでしまった妹を不憫に思う気持ちがあります。しかし、他方で、不憫に思うあまり、イルカを「けだもの」と呼んで軽蔑し、性欲を汚らわしいと思う気持が起きるのです。
このようなアンビヴァレンツが、賢治にはあります。「(きれいな上等の潮水だ。)」は、イルカに欲情している自分を恥じながらも、性愛を「きれいな」ものと見なそうとする意識。「あれは鯨と同じです。けだものです。」は、逆に、性愛を穢れとみなす禁欲的な意識です。
なお、イルカは、動物学的にはクジラの一種で、“歯クジラ”とイルカを区別するものは何もないそうです。「あれは鯨と同じです。けだものです。」は、やはり、「高等学校の先生」か「大学の昆虫学の助手」か、生物学に詳しい乗客の会話かもしれませんね。
「くるみ色に塗られた排気筒の
下に座って日に当ってゐると
私は印度の移民です。」
と述べられ、…作者は、いま、自身を外から眺めて、みすぼらしい姿だと感じています。
「くるみ色」は、胡桃の樹皮や果皮を染料として染めた色で、薄いこげ茶色です:画像ファイル:くるみ色
「船酔ひに青ざめた中学生は
も少し大きな学校に居る兄や
いとこに連れられてふらふら通り
私が眼をとぢるときは
にせもののピンクの通信が新らしく空から来る。」
甲板の排気筒の下に座り込んでいる「私」の前を乗客が通り過ぎます。
「船酔ひに青ざめた中学生」の姿は、賢治には、艶かしく感じられます。第6章の「風林」にも:
「あの青ざめた喜劇の天才『植物医師』の一役者
わたくしははね起きなければならない」
という表現がありました。「青ざめた」というのは、喜劇のうまい・この生徒を、多分に“理想化”していますから、むしろ、こうした青ざめて弱々しい感じの少年が、賢治のタイプだったのではないかと思います。
「にせもののピンクの通信」は、さきほどの「白い燈台」のところにあった:
「ほかの方処系統からの信号も下りてゐる。」
また、
「信号だの何だのみんなうそだ」
との関係が気になります。
ともかく、こんど「新らしく空から来」た通信は、なにかロリータ風の妖艶な幻影なのかもしれません。
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