ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.2.3


#753 うちゆらぐ
   波の砒素鏡つくりつゝ
   くろけむりはきて船や行くらん。 
(歌稿B)

まず、1919年の短歌↑のほうから見ますと、暗黒色の海面がゆったりと重く波うちながら、日差しを受け波がしらが鏡のように輝いているようすが、目に浮かびます。これは、大型の船体から後方へ放射状に広がってゆくうねりを描いているのだと思います。

賢治が中学生当時から「砒素鏡」を知っていたのか、それとも、1919年に、回想してこの歌を詠んだ時に「砒素鏡」の《心象》を得たのか、分かりませんが、おそらく後者でしょう。

つぎに、1923年のサハリン行きの際の「津軽海峡」では:

. 津軽海峡

「中学校の四年生のあのときの旅ならば
 けむりは砒素鏡の影を波につくり
 うしろへまっすぐに流れて行った。」

とあって、「砒素鏡」の暗黒部は、船の出す煙の影だということが分かります。

『第2集』収録の1924年の「津軽海峡」も見ておきますと:

「水がその七いろの衣裳をかへて
 朋に誇ってゐるときに
   ……喧(かしま)びやしく澄明な
     東方風の結婚式……
 船はけむりを南にながし
 水脉は凄美な砒素鏡になる」





中学の修学旅行と同じ5月に、思い出にあるのとほぼ同じ情景を目の当たりにしています。
津軽海峡の海そのものは、初夏の陽光に映えて、さまざまに表情を変えながら、きらびやかに踊っているのと対照的に、

船が後方に曳いて行く航跡は、「砒素鏡」のように凄美に輝く暗黒の水路を作り出しているのです。

さて、1923年8月のサハリン旅行に戻って、「津軽海峡」のつづきを見ますと:

「今日はかもめが一疋も見えない。
  (天候のためでなければ食物のため、
   じっさいべーリング海峡の氷は
   今年はまだみんな融け切らず
   寒流はぢきその辺まで来てゐるのだ。)」

中学の修学旅行を回想した短歌(1919年)には、これに関連する:

#752 うみすゞめ
   つどひめぐりて
   あかつきの
   青き魚とる 雲垂れ落つを

というのがありました。

「うみすずめ」は、ムクドリくらいの大きさの海鳥で、一生の大半を海の上で過ごします。空を飛ぶよりも、翼で泳いで潜水するほうが得意で、アミ類や小魚を食べています。
ウミスズメ属のうち、暖流に住むのはカンムリウミスズメ1種だけで、ほかはみな北日本から北方の海に住んでいます:画像ファイル:ウミスズメ
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