ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.2.2


. 津軽海峡

「中学校の四年生のあのときの旅ならば
 けむりは砒素鏡の影を波につくり
 うしろへまっすぐに流れて行った。」

「中学校の四年生のあのときの旅」とあるのですが、『年譜』を見ると、

@ 1912年5月27日〜29日(15歳、盛岡中学4年)、仙台・平泉への修学旅行。

A 1913年5月21日〜27日(16歳、盛岡中学5年)、北海道へ修学旅行。

とあって、船旅をともなう中学生時代の旅行は、この2回です。

Aは、やはり青函連絡船で津軽海峡を渡っていて、ぴったりなのですが、「四年生」ではなく、5年次です。
@の、4年生時の修学旅行にも船旅はあります。

どちらの旅行を指しているのでしょうか?

ところで、『歌稿B』の「大正八年八月より」の章(大正8年[1919年]8月〜大正10年[1921年]4月作成の短歌を収録)に、つぎの2首が収録されています:

#752 うみすゞめ
   つどひめぐりて
   あかつきの
   青き魚とる 雲垂れ落つを

#753 うちゆらぐ
   波の砒素鏡つくりつゝ
   くろけむりはきて船や行くらん。

前後の排列から(755番は1920年5月2日付保阪宛て葉書にも書かれています)、#752,753は、1919年の作と思われます。海の船旅のようですが、1919年8月〜年内に旅行をした形跡はないので、過去の船旅の回想と思われます。

#753に「波の砒素鏡つくりつゝ/くろけむりはきて船や行くらん」とあって、「津軽海峡」の「中学校の四年生のあのときの旅」の回想と一致します。

さらに、『春と修羅・第2集』の「津軽海峡」(1924年5月19日付)☆に:

☆(注) 1923年8月1日付と同題ですが別の作品です。こちらは、1924年5月18日〜23日に花巻農学校の生徒たちを引率して北海道に修学旅行した際のスケッチで、たしかに19日に青函連絡船で青森から函館に渡っています。

「水がその七いろの衣裳をかへて
 朋に誇ってゐるときに
   ……喧(かしま)びやしく澄明な
     東方風の結婚式……
 船はけむりを南にながし
 水脉は凄美な砒素鏡になる」

というクダリがあります。

これらから推定すると、中学生5年生時と1924年に、いずれも5月に青函連絡船で津軽海峡を渡ったさいに、“船は黒い煙を吐き、煙の影が波に落ちて「砒素鏡になる」”という光景を眺めたのだと思われます。

しかし、1923年のサハリン行きの際の青函渡航は、8月だったので、海の印象が異なったものに感じられたのです。

したがって、「青森挽歌」に「中学校の四年生のあのときの旅」とあるのは、「五年生」の記憶違いと考えられます。

そこで、“煙の影が波に落ちて「砒素鏡になる」”というのは、どんな光景なのでしょうか?

「砒素鏡(ひそきょう)」は、別名「マーシュ法」。微量の砒素を検出する方法で、イギリスの有名な科学者ファラデーの助手であったマーシュが1836年に考案しました。

砒素は猛毒で★、しばしば犯罪に使われるので、「マーシュ法」は犯罪捜査・法医学の手法として重要です。

★(注) 正確に言うと、単体の砒素は金属で、毒性はありません。砒素の3価および5価化合物は有毒です。亜砒酸[As2O3]は致死量5〜7mg。

. 画像ファイル・マーシュ法
亜鉛を入れたフラスコ(B)に希硫酸を滴下すると水素ガスが発生します━━これは中学・高校でおなじみの化学実験ですが、

このとき、亜鉛といっしょに、砒素を含む試料を入れておくと、水素のほかにアルシン(ヒ化水素:AsH3)というニンニク臭のガスが発生します。
この臭いだけでも砒素の存在を判別できるのですが、微量の砒素まで確実に検出するには「砒素鏡テスト」によります。

すなわち、アルシンを燃やし(D)、その炎を冷たい磁器(蒸発皿)に触れさすと、鏡のように光沢のある黒紫色の単体ヒ素が蒸着します。

写真で分かるように、「砒素鏡」は、ほとんど真っ黒でありながら、鏡のような光沢を持つ特徴的な現象ですので、はっきり見分けることができます。
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