ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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   【64】 津軽海峡





7.2.1


《初版本》では、「青森挽歌」の次の作品「オホーツク挽歌」は、サハリンの栄浜(スタロドゥプスコイェ)でのスケッチでして:春と修羅・初版本


その間の旅程には、「津軽海峡」「駒ケ岳」「旭川」「宗谷挽歌」という4つの作品の下書稿が存在します。

「津軽海峡」には、1923年8月1日の日付がついています。

朝早く青森に着いたあと、昼間の津軽海峡を渡航する青函連絡船の甲板の上でのスケッチです。
時刻表によれば、青森港7:55発 ── 函館港12:55着。

. 津軽海峡

「夏の稀薄から却って玉髄の雲が凍える
 亜鉛張りの浪は白光の水平線から続き
 新らしく潮で洗ったチークの甲板の上を
 みんなはぞろぞろ行ったり来たりする。」

「玉髄」は、石英と同じ硅酸鉱物(二酸化珪素)ですが、網目状または微細な粒状に固まったものなので、石英よりも軟かです:画像ファイル:玉髄

時期は、真夏のピークですが、北国の空はすがすがしく澄み渡って、夏が「稀薄」に思われます。湿気の多い本州の夏しか知らない者にはそう思われるのです。
その・湿気が広がらない感じを、「雲が凍え」て縮こまっている‥と表現しているのだと思います。

鈴木健司氏の調査によると、この日、青森気象台で記録されている天候は、雲量10の曇り空です。
したがって、全天が雲で蔽われていることになりますが、高い白い雲なのだと思います。

日光を白く反射している海峡の波を、「亜鉛張り」と表現しています。これは、「小岩井農場」の《四階建て倉庫》の屋根のかがやきを想起します:3.6.2 四階建て倉庫

少し先で「砒素鏡」と比喩している中学修学旅行時の波とは異なって、きらきらとまぶしく輝く明るい波が、水平線まで続いているのです。

ところで、最初の行:「夏の稀薄から却って玉髄の雲が凍える」ですが、第2章の作品「真空溶媒」の:

「そらの澄明 すべてのごみはみな洗はれて
 ひかりはすこしもとまらない
 だからあんなにまつくらだ」

を想起しませんか?‥気温が高いと空気は薄くなって広がり、さわやかな軽い大気ですが、夏の空は晴れ渡るということはなくて、かならず薄い雲が上空にただよっています。温められた空気は膨張するから、稀薄になってかえって空は寒くなる──という賢治流の“幻想科学”があるのだと思います。

この詩を「真空溶媒」と比較して読むのは、有益かもしれません。

「津軽海峡」は、連絡船上からの風光や乗客たちを眺めた現実的なスケッチのように見えながら、ところどころ‘不可解’な怪異のような描写もあります。作者は、「真空溶媒」のように《異界》幻視に没入まではしないで、境界線のところで揺れているような状況です。

最後のほうで、官能に彩られたイルカの描写が出てきますが、性欲や性愛は、ある意味で即物的・現実的です。欲情が、作者を《異界視》に追いやるのではなく、かえって《異界》から遠ざけ、現実につなぎとめる役割をする場合があるとしたら、おもしろいと思います。この詩の最後のほうは、そうした場面かもしれません。

さて、詩行に戻りまして、
「チーク」は、南〜東南アジアの熱帯モンスーン地域に分布する落葉高木チーク属の総称で、材質は堅牢で、油分が多いのでニスを塗らなくても光沢と耐久性があります。水に強く、甲板などの船舶用材や内装、家具の材料となる高級木材で、たいへん高価です:画像ファイル:チーク

「みんな」は、連絡船の乗客ですが、大部分が青森までの同じ列車から乗り継いだ人々なので、“長旅の道連れ”の一体感を感じているのでしょう。
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